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思いが言葉になる。それ自体が前進だ。

コミュニティー内で母のように思っている女性Mさんにコーチングというか傾聴セッションを受けました。

テーマは「母と私のこと」

このテーマについて話したのは、ほぼ初めてでした。

なぜなら、話し出すと愚痴っぽくなり、何の解決にもならないのは分かっているから。
すでに関係をどうこうしたいと思っていないから。
彼女から遠いところ(海外)に来て、離れていることで心の平安を保っていられるから。

だけれども、先日久々に電話で話したときに心がざわめき始めて。

ちょっと話しただけでなぜこんなに心がざわめくのだろう。

なぜ?なぜ?

日々自分に問い続けながら、ふと誰かに話したくなりました。

全てを受け止めてくれるであろう、私の親であってもおかしくないご年齢のMさんにお願いしたわけです。

母が完璧主義者で厳しい人であること
幼い頃からウマが合わなかったこと
気に入らぬ発言をすると激昂すること
わたしの発言は大概彼女を激昂させ「あんたと話すと気分が悪くなる。あっちに行って」と言われてばかりだったこと
母親に心を許したことがないこと、、、

そんなこと、なかなか人に話せません。
ただただ聴いてくれる、ジャッジしないで聴いてくれると分かっているから話せること。

話すだけで「やっと誰かに話せた」という思いが湧いてきました。
安堵に近い思い。
緩んでいく感覚。

そんなことを話していると、「どうなったらいいのかな?」と聞かれて。
考えました。

口から出てきたのは「私は彼女の一部じゃない。別の人なんです。一人の人として扱ってほしい。」という言葉。

人と人として向かい合えれば、という願いを数十年持ち続けてきた自分に気付きました。

彼女になんの期待もない、と思っていたけれど、心の底で人と人として向かいあいたいのに、そう扱ってほしいのに、という願いを持ち続けていたんですね。

「子供なんだから」
「一生子供なんだから」
「言うことを聞くものだ」

という呪縛から一生懸命逃れようとしていたワタシがそこにいました。

だから甘えたことがない。

甘えられなかったんです。

ずっと甘えてみたかったのかもしれないね。

Mさんの一言が響きました。

「えーっ!そうなの?そんなはずは!」って思ったけれど、甘え上手な人を見ると「ずるいなーっ」って思うワタシ。

そんなワタシがこっそりいることには気付いていました。

嫉妬してたのかな。
嫉妬してたんだよね。

マッハ5秒くらいで出た答え。

そっか甘えてみたかったのか。

第三者の視点があるからこそ掘り出せる心理。
心の奥の奥に潜んでいたワタシの気持ち。

喉を震わせて音にして出してみたら、心の底まですとんと落ちました。
繋がった。

声に出すって大事。繋がるんです。

だから話すってすごい。

甘えられるようになりたいな

声に出して言ってみました。
なれる気がしました。
言霊だから。
口に出したら叶います。

ワタシは甘えられる人になる。

子どもたちも甘えさせてあげたい。

そうして甘え方を知っている人になったらいい。

甘えられない関係を私の代で終わりにしたい。

もっともっと自由になりたい。

開放したい。

母も甘える術を知らないまま育ちどうしていいのか分からないのだと思います。
不器用な人。
その母を甘えさせてあげる自信はまだないけれど。

ワタシ自身は甘えを練習してみよう。

次のステップが見えました。

ただただ聴いてくれる人がいて、安心して話す。
これがどれだけのパワーを持つかを実感したセッション。
第三者の視点をもらうことで、自分の奥底に眠っていた願いが引き出されるマジック。

その思いを言葉にしてみること。

話すは放す。

思いが解き放たれました。

これでまた先に進んでいけます。

これが傾聴。

これがコーチング。

この救われる思いを他の人にも伝えたい。

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