電波は公共のモノ
公共の電波‥この感覚を人類みんなで共有できたら好いのになあ‥私はそう思っていて、その先駆けをすべく、電波を利用するように務めている。またその方向でこの記事を仕上げようとしていたときに͡ナイス(nice)な記事が私の目に飛び込んできた。もちろん、そのままを伝えることはしないが、強く共鳴した部分をアピールしてご紹介しておく。記事の執筆者は野口悠紀雄氏。10年程前にnhkでPCの講義をなさってらしたと記憶する。今回の記事のお題は「間違った報道はしないでほしい」となっていて、私は「フェイクニュースはやめようぜ」って受取った。いやいや、その程度の次元の話ではないと仰る人はいらっしゃるかも知れず‥ココは私の受留めかた。
フェイクニュースが駄目なことはどなたも共感なさると思うが、なぜ駄目なのかまでは共有・共感されていないのを強く感じる。なぜ? 理由は公共の電波だからです‥私の場合はこの一点に尽きる。フェイクニュースを流す報道機関を苦々しく感じておられる日本人は多いと思うが、己の一派だけは規制の対象外にあると受取れる意識や言動はインターネット空間でも多々みられるようです。「己に都合の悪い発言は封じてしまおう」「誹謗・中傷‥自分は何しても構わん」‥こういった卑しい心根に屈した感覚は健常な心を失くしてしまう。そしてその一番の被害はその人たちの伴侶や子供、家族に違いない。健全な心を家族から失くしてはならない‥公共の基本精神です。
卑しい心に支配されてしまうと堂々と批判できないから、有ること無いこと、なんでも陰でコソコソ言いふらす無様さ。なにを言ってるかというと「中傷はいけない」みたいなことを拡散してる者も多いだろうなあ。(誹謗中傷を)堂々と言うからいけないんだ‥みたいなことを思ってるなら狂ってる。そうでないのかな。誹謗中傷は駄目です。それが分らないとき、私のこの記事をみても「誹謗だ」と言いたがる哀れ。また選挙だからという理由て電波を使っての誹謗・中傷が見逃されるべきではない。野口悠紀雄氏は電波に限らず報道機関すべてを指しておられるが、私は報道機関に限らず人類すべてを対象にしてこの記事を書いていて、このどちらも公共の心でしょう?
公共の心は私(= あなた)から始まる。政治が悪くなるのも、政治家が劣化するのも私に原因がある‥私はこう捉えている。私が一票を投じる政治家は清廉潔白でなければ絶対に許さない。選挙目的の候補者は私たち国民に害悪をなす。分るかな?選挙が目的なら卑劣でも悪行でもナンだってやる連中だろう。私にとって選挙は目的でない。あなたにとっても選挙は目的でないと思う。この候補者に実行力は伴っているか?‥考えてみたら「反対」するしか能がない者に高給取りの国会議員は似合わないのでないか?いやいや、私の記事を誹謗中傷と言いたい人は大勢いても、私はそんなのに少しも臆さない。正論を堂々と発信する場‥それが公共の電波。私はそう思っている。
あなたは如何でしょうか?