【連載小説】Ep4:この街一番のツリーの下で
(読了目安3分/約2,250字)
Wed, December 11, 9:00 a.m.
Side Yukio Fujihara
私は君よりも先に逝ってしまうんだね。
口には出さず、ゆっくりと木を見上げる。モミの木の樹齢は百年以上だという。今年の夏も来てくれた庭師の大野さんが、まだまだ元気だと伝えてくれた。
どうか、私の分もこの街を見守っていておくれ。
その思いにこたえるように、葉を揺らす。青々とした木の上には一番星が輝いている。私が毎年飾るのはこの星だけだ。と言っても最近は孫の奏恵につけてもらっているのだが。
この星を取り付けるのを合図に、街の人々がこの木に飾りつけをする。クリスマスの飾りといえば、丸い球や鈴のようだが、この木にはそれ以外のものも多い。小さなおもちゃや折鶴のような自分たちで作ったもの。中でも多いのが短冊だった。毎年、受験合格や恋愛・健康等の願いごとが飾られていてそれを見るのが何よりも楽しみだった。
ここ数年は、奏恵が電飾をつけていて、晴れの日の夜は煌々と木が輝いている。
「藤原さん」
振り向くと、運動着姿の女性が手を振っていた。
「ああ、りょうこちゃん。おはよう」
「あらやだわ。りょうこちゃんなんて」
笑いながら近づくと、私の隣へ腰かけた。
「なんだか藤原さんに会うと若返る気がするわ。こんな白髪のおばあさんが」
そう言いながら少し汗を掻いている額からパーマのかかった白髪を撫で上げる。
「いや悪い悪い。つい癖で。どうしても、小さな頃を知っている人は昔の印象が強くてねぇ」
コロコロと笑う彼女の顔は、弟の手を引いてお店に通っていたあの時と変わらない。ふと笑うのを止め、愛おしそうにモミの木を見上げる。
「今年もにぎやかになったわねぇ。最近は夜に光っているでしょう。寒い寒いと思っているときにこのツリーが光っているのを見ると、とても温かな気持ちになるの。わたしはこのクリスマスツリーが好きだわ」
声を少し低くして続ける。
「藤原さん、ご存知でしょう? あのホテルにこれよりも大きなクリスマスツリーが飾られていること。この間わたし、見に行ったのよ。なんていうか、奇麗なのよ? 洗練されていて上品で華やかで、とても素敵なの。でもね、それだけなのよ。心がこもらないというか。豪華な、高級な張りぼてのような。それを見て、ああやっぱりわたしはこのツリーが好きだわって、改めて思ったの」
「そんなふうに言ってもらえるなんて、この木は本当に幸せ者だねぇ」
自分が褒められたようにくすぐったく嬉しくなる。
今はもう私と同じ世代の人は少ない。彼女もまた、戦後の光景を知らないのだ。
いつ起こるとも知らぬ悪夢のような空襲に、耐えられない空腹。それでも文句を口に出すことはできず、母と一緒にただ身を小さくして震えていた。今日を生き延びることに必死だった日々。戦争が終わった時には、私たちの住んでいた街はどこかわからないくらいに荒涼としていて、自分たちの家を探して瓦礫の中を彷徨った。見るも無残に崩れた家の前に、このモミの木がまっすぐに立っていた光景を今でも鮮明に思い出せる。
私が生まれた時に父と母が記念として植えたモミの木だ。末永く大きく育つようにと願いを込めた木は、あの日、私と同じ背丈まで成長していた。
戦後の復興は時間がかかり、私たちは長く貧しい暮らしを余儀なくされていたが、それでも街の人々はこの木を愛してくれ、この木が私たちを励ましてくれているように思えた。
父の帰りを待ちながら母はタバコ屋をはじめ、子どもたちが増えると駄菓子屋も始めた。そして私は嫁をもらい、この店を継いだ。いつ頃だったろうか。比較的手先が器用だったため、今座っているベンチもその頃作ったように思う。木の角は擦り切れて丸くなったものの、壊れないように丁寧に固定したため今でも十分に役に立っている。
あの戦争の記憶を共有していなくても、駄菓子を目当てに集う子どもたちが少なくなっても、この木にはたくさんの飾りつけがされる。今年もまたこれだけ多くの飾りつけをしてもらえたことがとても幸せだ。
「そうだ、藤原さん。お店、たたんじゃうんですってね。うちの子が話していてびっくりしちゃって」
「ああ。そうなんだ。今年で終わりにしようと思っていてね」
「てっきりお店に立てなくなるまで続けるのだと思っていたわ」
「うん。私もそのつもりだったんだけど、孫たちがね、家をリフォームしたらどうかと言ってきて。二階への行き来が大変で、今は店の奥の座敷へ布団を持って降りているんだ。店をやめてそこに台所や風呂も作ったら楽なんじゃないかってねぇ。いずれは老人ホームとかへ行くのかもしれないけど、まだ動けるうちは家に居たいと思っていたから、それもいいかもしれないと思ってね」
「そう……。近いうちに家族みんなで駄菓子パーティーでもしようかしら」
冗談めかした言葉に、私は思わず笑う。
「そうかそうか、ありがとうねぇ。今はシールをたくさん配っているから、そうしてほしいね」
「十枚集めると、好きな駄菓子と交換してくれるのよね」
五品購入ごとに一枚シールを渡し十枚で好きな駄菓子と交換、という特典は私が継いだ頃から始めたものだ。
「今は一つ買うごとに一枚渡しているよ」
「大盤振る舞いね」
「今年までだからねぇ」
「寂しくなるわね」
太陽の光を受けて鮮やかな緑の葉が輝く。私たちはしばらくの間、ただじっとモミの木を見つめていた。