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【連載小説】Ep10:この街一番のツリーの下で
(読了目安4分/約3,000字)
Tue, December 17, 9:00 p.m.
Side Shoma Oribe
定休日に一日働いたのは久しぶりかもしれない。
来週の予約分をオーダーに合わせて焼いていく。キャラクターものは本当なら版権上アウトなんだけどな、と思いながらも1つずつ仕上げ、急速冷凍する。冷凍ができないものはその直前まで準備をし、焼き菓子の生地も作るだけ作って冷凍しておく。賞味期限が短いものはどうしても準備が直前になってしまう。
二十四日のデートのことをオーナーに伝えたら、一笑された。クリスマスを祝うパティシエはこの世にいない。この業界の常識だ。一年の中で一番の山場なのだ。予約される方はもちろん、その他のケーキも飛ぶように売れる。そして二十六日から落ち着き、また年末年始に売れるようになる。二十六日に休めばいいじゃないかと言われたが、それでは意味が無い。
二十四日はなんとか十八時に上がらせてもらうよう頼みこみ、それまでに俺がすべきことは全部やることにした。少しでも前の日に準備できることはする。ただでさえ今年はあのホテルに予約を取っていかれて売上が伸び悩んでいるのだ。
洗い物を片付け店の戸締りをすると、すっかり夜になっている。朝七時から夜九時までか。明日からの一週間が勝負なので早めに切り上げたのだが、一体この生活が何年続けられるだろう。二十四日の日菜の誕生日を一日中一緒に過ごすことは、パティシエである限り一生叶わないのだろうか。
クリスマスムードの街をぼんやりと眺めながら歩いていると、香ばしい珈琲豆の香りがした。確かここは雑貨屋だったはずだ。だが、立て看板には「ヒトリ珈琲」とある。
思わず足を止めると、ちょうど店の入口の扉が開き、白いマフラーをした女性が出てきた。柔らかく微笑んだその女性は扉の向こうにお辞儀をして、軽い足取りで帰っていく。
「いらっしゃいませ。良かったら中で温まっていきませんか」
女性の後ろ姿を見送っていた俺は、声の主に目を止める。俺と同じくらいかちょっと上か。くしゃっとしたパーマに丸い眼鏡の男性がにこにこと笑っている、清潔感のある白いシャツに茶色いエプロンが喫茶店らしさを出している。
今日一日誰とも話さず立ちっぱなしで作業をしていたからか、声をかけられたことが嬉しくて俺はふらふらと明るくて暖かい店内に吸い込まれた。
やはりずっと前に入ったことのある店だ。ウッディな内装で男一人でも入りやすく、ざっと一巡して出たような記憶がある。
「こちらへどうぞ」
店員が微笑みながら、奥のテーブル席を示す。というかこの席しかない。
「ここ、たしか雑貨屋でしたよね」
手渡されたメニューよりも、店内の方が気になって思わず問いかける。
「ご存知でしたか。実は姉が雑貨屋をしていまして、夜の間だけ間借りさせてもらってるんです」
そうですか、と安堵する。別に常連どころか買ったこともない。そのくせ、知っている店が無くなったかと思うとドキッとするのだ。他人事ではないからかもしれない。
「お決まりですか」
弾かれたようにメニューへ目を落とす。ホットコーヒー、と思ったが豆の種類がずらりと並んでいる。ブレンドも何種類かあるみたいだ。
「えっと、オススメとかありますか」
「もしよかったら、なんですが。僕に見立てさせてもらえませんか」
店員は目をくるんと輝かせる。生気にあふれた目に気圧されて、思わず頷いた。
「ありがとうございます!」
店員は嬉しそうに頭を下げると、カウンターの後ろの棚を振り返る。ガラスケースの中には色とりどりのマグカップが収められている。
客のイメージに合わせたカクテルを作るバーテンダーの話は聞くが、珈琲を入れる店員は初めてだ。豆のブレンドとかを考えてくれるのだろうか。それだったら、正直わからない。そこまで珈琲党ではない。
程なくして、蒸気と香ばしい薫りが漂ってくる。この音、エスプレッソだ。どうしよう。わからないどころか、苦くて飲めないかもしれない。
机に置きっぱなしだったメニューをもう一度開き、豆の種類を眺める。良く見ると紅茶もある。適当に頼んでおいた方が正解だったかもしれない。何か甘いものを一緒に頼んで苦味を中和しようか。フードメニューは、アイスクリームに……レモンパスタ?
「おまたせいたしました、カフェモカです」
濃紺のマグカップに溢れそうな白いホイップクリーム。その上にはチョコレートソースが網の目にかけられている。鮮やかなコントラストが波打ち、ふわりと甘い香りを漂わせる。
火傷しないように注意しながらひとくち含むと、チョコレートの香る甘く優しいカフェオレだ。知らず知らず強張っていた体が脱力する。
「甘くておいしい」
「お気に召して良かったです。疲れた時には甘いものが一番です」
俺は思わず顔をゴシゴシとこすって、店員を見上げる。
「俺、疲れてるように見えますか」
「あ、いえ、そうではなく……。ええと、すみません。あの商店街のパティシエさんですよね」
「え?」
「すみません。実は僕、プリンが大好きでよく買うんです。あのシンプルで素朴な卵の味がいいんですよね」
「あ、ありがとうございます」
プリンは去年から俺の担当だ。オーナーは作るときの温度管理にこだわりがあって、合格点をもらえたのはどのケーキよりも遅かった。
「それで、今日は定休日なのにこの時間にお越しになられて。来週はクリスマスですから、きっとお忙しいのだろうなと想像したのです」
思わず笑う。温かい空間に自然と素直になれた。
「エスパーみたいですね」
「いや、お恥ずかしい」
「誕生日なんです。二十四日。彼女の。本当は一日中デートして祝いたいんですが、俺らの仕事って二十四日は休めないんですよ。なんとかして夜だけでも明けようと思って頑張ってるんですけど、これ、一生続くのかなって思うとなんか……」
耳を傾けていた店員は、静かに口を開く。
「カフェモカってアメリカ生まれなんですよ」
俺はそっとひとくち口に含み、店員の言葉の続きを待つ。
「アメリカ生まれなんですけどイタリアのエスプレッソを使うんです。それにミルクを足してホイップクリームとチョコレートをのせます。チョコレートソースが一般的ですけど別に決まりはなくて、ココアとか刻んだチョコレートとかをのせるお店もあって、すごくフランクなんですよ。自由にアレンジできる。それが魅力なんです」
いびつな形になりながらもユラユラと揺れるホイップクリームを眺めながら、自由、と声に出す。
「そう、自由なんです。珈琲屋がこんな甘い珈琲を出すのも紅茶を出すのも自由だし、昼間雑貨屋の店舗で夜だけ営業するのも自由です。クリスマスに休むパティシエがいたっていいんじゃないかって思いますよ。……すみません、無責任なことを言って」
申し訳なさそうに頭を下げた店員に、いえ、と短く答える。
どうして今まで、絶対無理だと思い込んでいたのだろう。
どうして今、無理じゃないかもしれないと思えるのだろう。
身体の芯からじわりと温まり、視界が開けたように感じていた。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
店員は目を輝かせて大きくお辞儀をした。俺は椅子から立ち上がる。驚くほど身体が軽かった。
【特別出演者のご紹介】
ヒトリ珈琲 は、ピリカ様のところからお借りしたお店です。
昼は雑貨屋・夜は喫茶店、しかも客席はひとつというお店。人生に悩んだ人々が店主と会話し美味しいお茶を飲み、そこで元気をもらって帰る素敵なお店です。
客席ひとつという設定がとても文学的で良いと思うのですが、経営状況を心配されたピリカさんが、お店を繁盛させていて、ちょっと笑ってしまいました。
回転だけじゃなく客単価を上げていかないと経営は厳しいかもしれませんねぇ。アルコール無しなら、テーブルチャージを取りましょうか。
【私信】ピリカさんへ
お願いがあります!
この連載小説終了後となりますが、条件付きで、いぬいゆうたさんに全話朗読をしていただけることになりました!
条件は「ゲスト出演者の生みの親のnoterさん全員からも許可を取ること」。
そこで、もし掲載の内容でよろしければ、コメント欄に「許す」と一言いただけますと非常に嬉しいです。
NG・内容修正依頼等はお手数ですが、クリエイターへのお問い合わせからいただけますと幸いです。
何卒よろしくお願いします<(_ _)>
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