【短編小説】春と風#夜行バスに乗って#シロクマ文芸部
(読了目安7分/約4,900字+α)
『春と風林火山号に乗って新宿に行こう!』ツアーにご参加いただき、誠にありがとうございます。このバスは21時00分に出発し、途中〇〇サービスエリアに23時00分、△△サービスエリアに2時00分、〇△サービスエリアに4時00分、終点バスタ新宿へ6時00分到着予定です。私、乗合が運転手を務めます。どうぞ到着までよろしくお願いいたします。
23時00分 〇〇サービスエリア
特に尿意は無いが、僕は固まった体を動かそうとバスを降りる。タラップから足を下ろした瞬間、冷たい横風にあおられ、やはりトイレへ行っておこうと思う。人の流れに沿って歩きながらあくびをする。もともと乗り物酔いをしやすいため、バスに乗った瞬間寝入ったのだがやはりいまいち寝た気がしない。
トイレを出て、煌々とする自販機に吸い寄せられるように向かう。ホットコーヒーが欲しいが眠気が覚めるのは困る。
「やあ、ワンコくん」
自販機を眺めていると、少し低音の艶のある声がする。振り返ると、細身の煙草を挟んだ手を挙げ、美女が微笑んでいた。
「え? 晶さん? 何で?」
「夜行バスに興味があってね」
彼女はこともなげに答え、細く紫煙を吐き出した。
切れ長の瞳。顎のラインで切りそろえられた黒髪。スレンダーな四肢。耳、細い首、指を飾るゴールドの装飾。どこかオリエンタルな雰囲気で、誰が見てもモデルだと思うだろう。煙草を吸う姿は、ファッション雑誌の表紙を飾っていても不思議ではない。だが実際はカフェ兼バーのオーナーで、僕のバイト先のボスでもある。そしてボスは僕のことを苗字の犬塚ではなくワンコくんと呼ぶ。
「てっきり君嶋さんたちと一緒に前乗りして一泊されるのかと思っていました」
僕はホットコーヒーを購入し、彼女に向かい合う。
明日の10時、僕たちミス研のメンバーは晶さんの知り合いだという劇団と会う約束をしている。帳面町からはこの夜行バスが一番安いのでみんなに提案したのだが、女性陣には「絶対無理」と言われ、男性陣……というか守山先輩には「金よりも良質な睡眠が重要」と断られ、結局僕一人が乗ることになったのだ。
「良く寝ていたようだな」
「あ、はい。僕はどこでも寝れるタイプなので」
「それは幸せな特技だ。何か事件が起こっても寝たまま死ねるな」
何だかバカにされている気がするが、どうも、と呟きコーヒーをすする。
「晶さんもできれば寝ておいた方がいいですよ。バスって意外と体が疲れるんで」
「心配無い。もともと不眠症だ」
短くなった煙草を灰皿へ落とすと、すぐに新しい煙草に火をつける。
「それどころか、興味深くて眠気も来ない」
「何がですか?」
「乗客だよ、ワンコくん。彼らをよく観察してみるといい。一人一人に理由があり、このバスに乗り合わせている。電車や新幹線では味わえない、ある種の郷愁をも感じる」
彼女は腕時計に目を落とし、時間だ、と煙草を手放す。長いコンパスでバスへ向かう彼女の背を、僕は慌ててチョコチョコと追いかける。我ながらご主人様の跡を追う飼い犬のような気分だ。
小走りで帰ってきた男女4人組が、ご主人様と僕の間に割り込む。全員メガネをかけた高校生くらいだろう。ホットスナックを抱えて楽しそうに話している。少しムっとするが、水を差すのも悪い。大学生として大人な対応を心がけることにする。おそらく晶さんはこういう人たちの関係性とかを想像して楽しむのだろう。
席に戻り、体の向きを変えるふりをしながら他の乗客を見渡した。確かにそう言われてみれば色々な事情がありそうだ。比較的、僕と同じくらいの若い人が多いが、中には年配の女性や、くたびれた中年男性なんかも乗っている。長距離バスは大きな荷物は預けることが出来るはずだが、重そうなボストンバッグを抱えた人もいる。よほど貴重な物でも入っているのだろうか。それとも壊れやすいものだろうか。
「ワッショッ!!」
静かに走り出したバスの中でひときわ大きなくしゃみが響く。それに応じる、クスクスと笑う女性の声に、迷惑そうな男性の咳払い。クッチャクッチャとガムを噛む音が聞こえる。
もういいや。寝よう。あまり起きていると酔ってしまう。
僕は脱力し、目を閉じた。
2時00分 △△サービスエリア
周囲のざわつきで目が覚める。気づけばバスが止まり、乗客が降り始めている。窓の外を見るとバスに戻って来る人もいる。
突然、真ん中の席でガタンと重い音がする。フードを目深に被った男が何かを拾い上げる。ちょうど手のひらくらいのサイズ。黒っぽい、まるで拳銃のような……拳銃だ。
僕は慌てて周囲を見渡す。バスの中に晶さんの姿は無い。おそらく喫煙コーナーだ。バスを飛び降り、一目散に駆け出した。
外灯の青白い光に照らされてなお黒い、絹のような髪を揺らし、彼女は僕に軽く手を挙げた。鮮やかな赤いネイルの指の間に煙草を挟み、美味しそうに煙を吐き出す。煙草のCMに起用されたら全人類が愛煙家になるだろう。
「他の乗客の観察は進んでいるか?」
「ケンジュッ! 晶さん! 拳銃持ってる人が!」
僕は呼吸を整えながら、切れ切れに訴える。僕の言葉をくみ取ると、彼女は少しだけ頬を上げ、へえ、と呟く。そしてゆっくりと煙草を吸い、細く長く紫煙を伸ばしてその先を視線で追った。
「晶さん!」
まったく動じない彼女に苛立ち、思わず声を荒げる。その言葉にようやく僕と目を合わせた。
「どの席に座っている?」
「えっと……」
記憶を掘り起こす。あそこは後ろが通路になっている席だ。
「4B です。後ろが通路になってる真ん中の席です」
「ああ、フードを被った男性だな。どうして持っていると思うんだ?」
「さっき、バスの中で人とぶつかって落としたんです。慌てて拾って隠してました」
「その後の様子は?」
「その後は……すみません、慌てて出てきたんで」
「まあ、ここからバスの様子を見る限り、問題無さそうだな」
「問題有りますよ! 拳銃ですよ! 拳銃」
新しい煙草に火をつけ、彼女は優しく微笑む。
「落ち着きなさい、ワンコくん。仮に君の見間違いではなく、それが模造品などでもなく、殺傷力のある本物の拳銃だったとしよう。彼は何故拳銃を持っている?」
「え? それはほらバスジャックとか」
「バスジャックをするならもう行動しているのではないだろうか。もう出発して5時間が経過している。犯行をしようと思っている人がここまで待つ理由は何だ?」
「じゃあ、誰かを殺そうと」
「誰を殺す?」
「実は知り合いが乗っていて」
「それこそ5時間待つ理由が知りたい。誰か特定のターゲットがいるなら、こういうサービスエリアで降りて殺すのではないだろうか。だが彼は一度も休憩で降りようとはしない。次第に新宿に近づいている。人が多いところでは逃げることも困難だ」
「じゃあなんで拳銃なんか」
「少なくとも今、このバス内で何かを起こそうという気はないだろう。もしも拳銃を持っているところをワンコくん以外にも気づかれ、その人が悲鳴でも上げようものなら自暴自棄になって事を荒立てるかもしれないが、今見ている様子ではバスの中は落ち着いている。問題無い」
彼女は腕時計に目を落とし、戻ろう、と声をかける。煙草を落とす、ジュッという音を聴き、僕と歩調を合わせてバスへ向かう。
「それよりもボストンバッグを抱えた人々が気にならないか? それぞれ似たようなサイズ、見た目のバッグを預けることなく座席に置いている。どうやら全員知り合いでもないらしい。そのうち中年男性はバッグから大判の写真アルバムを開いて眺めていたのだが、他の二人は違和感がある。若い男性は比較的派手な身なりだ。あのような大人しい黒のバッグを持つのものなのか。また女性は何故キャリー式ではなく重そうなバッグを抱えるのか。とても興味深い」
拳銃のことは全く気にならないのか、彼女は嬉しそうに語る。僕は、はあ、と答えながら車内へ戻った。
4時00分 〇△サービスエリア 通過
ふと気がつくと、バスが発車していた。しまった。寝過ごした。
△△サービスエリアで見た拳銃が目に焼き付いて離れない。僕は後ろからずっと4B の男を観察していた。その男は何も言わずただまっすぐに座っているだけで、全く怪しい動きはしなかった。身を強張らせたまま観察していた僕の方がいつの間にか眠りに落ちてしまい、あろうことか休憩所を過ぎてしまっていた。
そっと座席を見渡すとどうやら満席だ。大丈夫だ。サービスエリアで誰かが殺された、ということもなさそうだ。
安心して座席に身を沈める。あと2時間だ。
6時00分 バスタ新宿
「ご乗車ありがとうございました。まもなく終点、バスタ新宿に到着致します」
休憩のサービスエリアとは異なり、少し大きめの声でアナウンスが流れる。僕はガチガチに固まった体をグッと伸ばして大きく息を吸う。車内は他の人も思い思いに体を伸ばしているのが見える。
バスが完全に停車してから順番に降りると、すでに晶さんは降りていた。手元には1週間くらい海外旅行ができそうな大きなワインレッドのキャリーケースがある。長距離バスとキャリーケースと美人。旅行代理店のイメージ写真もいけそうだ。
「晶さんのですか?」
「色が気に入って購入した。このサイズなら人間も入る」
代わりに押してあげようかと伸ばしかけた手を反射的に引っ込める。
「冗談だ」
「はは、ですよね」
「死体ではない」
「……は?」
「生きてもいない」
「……え?」
彼女はククッと喉の奥で笑う。
「要するに空だということだよ。折角東京まで来るのだ。いくつか店の仕入れをして帰ろうと思ってね。ワンコくんは実に良い反応をするな」
彼女は僕の頭をクシャッと撫で、許せ、と微笑する。許すどころかご褒美をもらった気分だ。
突如、バスターミナル中に破裂音が響く。思わず音の方へ振り向くと、女性の前で男性が拳銃を構えて立っていた。その銃口から紙テープが垂れ、紙吹雪がそこら中に散らばっている。
「もぉう、アッくんたらぁビックリしたぁ」
「ごめんねミーたん、サプライズしたかったんだよぉ」
男性は女性に小箱を渡し、熱い抱擁を交わしている。
「4B の拳銃の男性だな」
彼女は僕に囁きながら、拍手を送る。僕も拍手をしながら、祝福する周囲に二人がお辞儀する様子を眺めていた。
「本物じゃなかったんですね。良かった」
「彼女がここで出迎えてくれることを知り、計画したのだろう。すぐに取り出せるように手元に置いていたのだな。あの緊張した面持ちも合点がいく。良いものを見せてもらった」
「でも、相手に銃口を向けるってドッキリでも心臓に悪いですよ。どうしてあんなプロポーズなんですかね」
「ドラマや映画と言った共通の趣味があるのではないのか? 案外、そのワンシーンを再現しているのかもしれない」
二人はきちんと紙吹雪を拾っている。その様子を眺めながら、晶さんは思い出したように続ける。
「そういえばワンコくんは拳銃を持っている人がいると知っていても熟睡していたな。自分が狙われてないと思えば眠れるものなのか?」
他の人が言えば嫌味でしかないが、晶さんの場合は素朴な疑問だ。僕は人生で一度だけ、拳銃を向けられたことがある。一年前、守山先輩にだ。あの時は本当に人生が終わったと思った。
「そういうわけじゃないですけど、晶さんも問題無いって言ってたじゃないですか」
また笑われるかと思ったが彼女は、そうか、とだけ言いゆっくりと歩き出す。
「かつて君の命を狙った守山くんは、今年は期待してくれと自信満々で言っていた。彼が部長の年だからな。歴史に残る壮大なトリックを仕掛けるらしい。大きな鏡を使うため、劇団に相談したいとのことだったが、果たして今日、種明かしまでしてくれるのかどうか」
彼女は息をつき、腕時計をチラリと見る。
「眠気覚ましにブランデーかコーヒーでも飲まないか? 集合時間までまだあるようだ」
キョロキョロと周囲を見渡すと、エスカレーターの近くにターミナル内のお店の看板が並んでいた。
「ブランデーはわかりませんけど、喫茶ヴァロンっていうのがありますよ」
「良い名前だな。そこに行こう」
「あ、でもまだ朝6時ですよ? 開いてるかどうか」
「開いてなければ他を探せばいい。とりあえず向かおうか」
僕に最上級の微笑を残して歩き出す。大股で歩き出した彼女の後ろを、僕は尻尾を振りながらチョコチョコと追いかけた。
豆島圭様の企画「夜行バスに乗って」に参加致します。
しれっと二週遅れのシロクマ文芸部も。もうこれで許して。
夜行バス「春と風林火山号」は大人気で、乗車券を買おうと思ったら乗車率300%くらいになってました。何号車までできるのかしら。
勝手に他の方に同乗してます。すみません。
なお、自己満足の世界ですが、今回登場した晶さんとワンコくん他ミス研のメンバーは、こちらの話で登場しています。
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