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【掌編小説】優しい彼#春ピリカ応募

(読了目安2分/約1,200字+α)


 眠る彼を起こさないよう、そっと起き上がる。空が白みだしている。

 鏡に映る顔には、目の下に隈がある。ほうれい線も目立ってきた。二十代の終わりに差し掛かり、明らかに年齢が表れている。私は顔を洗い、メイクをする。

 コーヒーメーカーに三杯分の水を注ぐ。朝一番に彼はコーヒーを飲む。

 ウインナーをボイルし、スクランブルエッグを作る。スライスしたライ麦パン。これらはすべて一人分。

 皿に盛りつけテーブルに置くと、マグカップに自分のコーヒーを注いだ。

 窓の外の街は、昨日までと何も変わらない朝の日常。

「おはよう」

 彼の右腕が私の肩を抱く。まだ少し寝ぼけた声で、私の頭にキスを落とす。

「コーヒー、入ってるよ」

「うん。その匂いで起きた」

 一向に離れる気配が無い。

「ハヤト?」

 彼は少し息を漏らし笑うと、私の苦手な左手を出す。その手にはエメラルドが輝く繊細なデザインのネックレス。ゴールドのチェーンが朝日を受けて輝いている。

「お誕生日おめでとう」

 首につけた私を眺め嬉しそうにほほ笑む。

「やっぱり君は緑が似合うね」

 私の顎を持ち上げると、そっと口付けた。

 コーヒーを飲む間、私たちは他愛のない会話をする。永遠に続けばいいと思う、何の実りも無い時間。その時間を長引かせるために、いつもコーヒーを多めに入れる。大きめのマグカップを用意する。

 その後、彼が支度をするのを私はぼんやりと眺める。彼がハヤトから高野隼人へ戻るのを眺める。

「今日はそれ、ずっとしててよ」

「うん。そうする」

 私の素直な返事に高野隼人は満足そうにうなずく。ネクタイを締めカバンを持つと彼は部屋を出た。

 私は冷めきった朝食を前に座る。四本の細長いウインナー。指のようだった。彼の左手を想像し、薬指を手掴みで取り、めいっぱい口に入れると噛み切った。

 昨夜、彼の薬指を口に含んだのを思い出す。根元から噛み切れば、指輪も外れるのではないかと思いながら、歯を立てる勇気が無くただ嘗め回した。彼は息を漏らし「もう欲しいの?」と優しく問う。ただ見つめる私を、彼は是と捉えた。私は彼の決めた答えに従う。彼の望む答えを私は提供する。

 外した指輪をどこに置くか迷っている彼に「つけたままでもいいよ」と言った二年前の私を思い出す。指輪が無くなり、彼の奥さんから勘繰られて関係が終わることを恐れていた。彼は、ただ私が気にしない人だと理解した。だから私は気にしないふりをする。彼が望む私になる。

 彼との関係が終わることを恐れる私は、奥さんの話題に一切触れない。離婚を迫られない彼は、ただ体の相性が良いのだと理解した。だから私はセフレのふりをする。彼が望む私になる。

 この鎖ネックレスを力任せに引きちぎることができればどんなに良いだろう。気が向いた時だけくれる優しさに、私は絡め、囚われている。

 何も変わらない朝。二十九歳の誕生日に、ひとり静かに泣いた。

(本文 1,185字)



ピリカ様の春ピリカグランプリ2023が開催中です。

800字~1200字の「ゆび」に関する物語が募集されています。
5/10締切の6/3発表予定だそうです。
今までお話を書いたことが無かった人も、これを機に書くとか書かないとか。

前回、右も左も分からない状態でくちばしを突っ込み、ビギナーズラックで素敵な賞をいただいてしまったので、今回はひっそりと一人で「#春のゆびまつり2023」を開催しようと思います。残念ながら募集要項に合わない「ゆび」に関するお話をちまちまアップしていきます。
ひよこが庭先でお店屋さんごっこをするレベルのお祭り具合ですが、ちょっとでもピリカ様の本祭りが盛り上がると嬉しいです。

なんと、この「優しい彼」がすまスパ賞を受賞しました!
ありがとうございます!ありがとうございます!
副賞でいぬいゆうたさんに朗読をいただきました。
↓の記事からどうぞ!


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