主体たる命たちⒸ
好機vs嫌機
辞書に好気・嫌気・好機はあるが嫌機はなかった。
辞典にない‥則ち日本の文化史で出番がなかった⁉
そもそも嫌機という単語に出番がなかったようだ。
好き嫌いの感覚は経験則であれば生き物に具わる。
好き嫌いに関係なく好き嫌いの感覚は身に具わる!
であれば私は出逢い出合いに無関心でいられない!
無関心であれば世界の主体性を観ず軽視する結果、
小さな自己を脹らませるだけの‥則ち畜生のまま。
畜生として滅亡の生を選るか?尊い勇者を選るか?
真の主体たりたい私の選択は雄弁・勇気の生き方。
お分りと思うが真は覇道になく捉懇の仲に生れる。
主体は捉懇の道に芽吹く‥存在を好機と捉える処。
この一処にあるふたごころに私たちは一情を観る。
山口誓子は一処一情、ある俳人は二心なき大根と。
嫌機の存在に価値・主体を観るときは好機となる。
何の刺激も成長もない生をあなたも誰も好むまい⁉
発見も発明も悦びも何も起きない貝では詰るまい⁉
深海の貝も上をみあげたら先に明かりが贊贊贊と🌞
必要な「嫌機」であれば及ばずながら造語します。
今回はここまでに。拝!🙇 (筆名.ぞっこん)