伊吹 拓 始まりのつづき
京都の木津川市に伊吹さんのアトリエがある。
Google mapで探しても出てこない。手入れも最小限で草や木、虫や動物なんかが遊具と共に静かに暮らしている。元は保育園として使われていたその物件には冷暖房器具はなく、照明もない。明かりは自然光のみ。自然のリズムや気候と共に製作活動を行なっている。
日が沈んだら製作は終わるよ。見えないから。という伊吹さんの姿に、面白いなと憧れを抱いてしまう。
つくることの始まり
「絵以外でもつくることに意識を持ち始めたきっかけは何かありますか?」という私の質問に「どんなストーリーを想像してる?」と逆に質問。伊吹さんらしい。対話を楽しもうとしている。
小さい頃から絵は描いていて、それがアニメなのか風景画なのかは分かりませんが、家では常に何か書いていた。僕が思い描く画家はそのようなイメージです。と答えると
「僕がドラえもんを家で書いてるように見えるかなぁ」と悪戯っぽく返答が返ってくる。
「印象は今を切り取ったに過ぎなくて、実像と過去のストーリーは大抵違っている。もっと観察しなきゃね」と質問しながら教わっている気分になってきた。この対話が伊吹さんの面白さの一端にある気がする。そして始まりを語ってくださった。
伊吹さんは8歳から18歳までは野球一筋。甲子園を目指す高校球児だったそうです。絵や図工は好きだったが、とにかく野球に向き合った10年だった。
17歳の頃その野球を応援して見守ってくれていたお父さんが亡くなるというショックがあり、同時に野球も怪我を理由にこれ以上続けられないという状況に陥った。
お父さんは着物職人で、家でも仕事を見る機会もあり「つくること」に対しては身近に感じていた。高校卒業後は自然と芸術の道に進むようなっていたそうです。そのお父さんの友人には芸術に携わる方々が多かったことも要因のひとつ。父が自分に残してくれたつながりだと感じた。
そこからつくることは始まったのかとメモを取ってる私に伊吹さんは、
「いや、野球の動き方、考え方、礼儀それらは今にも大きく影響してる。分かることではなく分からない事に向かう姿勢はずっと続いているから、そういう意味ではいつからかは分からんね」
ゆったりしたアトリエの空気と共に思考の深いところにいるような気分になった。
つくること
自分も野球をしていたけれど、その野球と今が繋がっているなんて考えたこともなかった。伊吹さんが語る言葉にはハッとさせられることが多い。
10年野球をしたから、次の10年(28歳)までは美術をやろうと何気なく思っていたという。10年区切りでいろんな人生楽しむのは面白いなと本気で考えていたそうです。
デカルコマニーのようなもので、野球という絵を半分に書いてそれを閉じたら反対側にも模様がついてひとつの絵になる。美術の道もそんな風にイメージして進んでいた。
けれど28歳は何かに引っかかる事もなく過ぎ去っていった。目の前にはつくる事があり、終わりを思うこともなかったという。「描けども描けども、全然想いは消化されない。探求しかないね」と語られた表情にはもがいているというよりも、清々しさがあった。あくまで自然体。
野球は怪我でなくなく辞めたから、そりゃそうかと言う気もあるけれど、か細い糸がずっと見えていて、その時々に薄ら光が差す時があって……、そんな感じ。とこれ以上言葉で表現せず余白を残す。これも伊吹さんの特徴のように思う。
実際に絵を描いている場に居合わせた時に、「絵は飾られた時にそのキャンバスしか見れないでしょ。でもこのように描いている時には外にも絵の具は飛び出す。中も面白いけどもしかすると絵の面白さや本質はそのキャンバスの外側なのかもしれない。そう思って絵を見るとキャンバスに収まりきらないものが見えてくる」と話してくれた。余白に何が描かれているか。
絵の見せ方は壁に掛けるだけなのか?そう思って美術以外のフィールドに出ていくことも最近は多い。それを筋トレと語る伊吹さん。か細い糸の先にある景色を見るためにそれは欠かせないのだそう。私が「頂上の景色はどんなでしょうね?」と何気なく言うと、「それが頂上だとは思ってない。前進したら見えるとも思ってない。もしかすると後ろ戻ることに答えがあるかもしれないし、高いところじゃなく低いところかもしれない。だから今自分の立っている位置がどこにあるかを大事にしている」と語ってくださった。
またまた自分の意識の外を歩く伊吹さん。その考えの柔軟さと自然体でいられることの要因を聞いてみる。
外ではなく内側に意識があって、絵は血で描いていると言っても過言じゃない。父と母から出てきたストーリーの流れに自分の絵があるから、人と比べて描くこともない。人に向かって描いてもいない。だから流行とかじゃなく色褪せないものが描けているのだと。
父と母が自分をそうさせたので、全部責任は2人にあると冗談のような本気のような口調で語ってくださった。
つくることのつづき
以前伊吹さんは「未来の絵」を考え続けていると話していたのを思い出し、その事に触れてみた。
実際今も考え続けているという。ふざけていると思われようと、自分に答えがかなかろうと「黙ってはいけない」と話す。
思っていることを嘘のように思っても自分に自信がなくても語る。言葉にすることで変わる未来はある。そしてそれを聞く人の心も小さくとも動く。自分の世界と他人の世界が繋がり、その対話の延長線上に作品(もしすると未来の絵)が出来る可能性があると思う。
「だから黙ってはいけない」
伊吹さんは絵をつくり続ける。しかし最近は18歳の頃にフル充電されたバッテリーが残り少ないことを感じ始めたと言います。(18歳の頃のバッテリーが今まで続いたことが私にとっては驚きだったが。)
新しいバッテリーを見つけるか、今あるバッテリーを筋トレしながら維持するか。これが今の関心ごと、と面白い課題を見つけたような表情で語る伊吹さん。
アトリエは風の音と秋を感じさせる虫の声。昔使われていただろう錆びついた遊具とその周りで誰にも邪魔されず思いのまま伸びている草や木。油絵具の独特の匂い。
伊吹さんはその環境に囲まれて、か細い糸を見続けるエネルギーを模索しながら作品をつくり続ける。