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祖父と戦争と「反省」と ~ 終戦記念日に
今年5月に祖父が95歳で亡くなった。
昭和2年生まれ。
もちろん、戦争を経験している。
祖父が戦争で生き残った為、
母が生まれて、父と結婚し、私が生まれた。
戦時中、祖父は、自ら特攻に志願し、
人間魚雷「回天」に乗る予定だったらしい。
明るい話が好きな祖父は、
当時のことを話したがらなかった為、それ以上のことは分からない。
同居していた頃の私は、知識も想像力も乏しく、
詳しく話を聞こうともしなかった。
今では少し後悔している。
祖父は、「回天」に乗る前に終戦を迎えた。
「回天」は、狭い土管のような魚雷に入って、自ら魚雷を運転し、
敵艦に当たる兵器である。
有名な「カミカゼ特攻隊」の魚雷版だと思うが、
暗くて狭い魚雷の中で、1人で死に向かう点は、
ある意味、最悪の兵器だと思う。
想像するだけで気が狂いそうだ。
祖父はそんな特攻に志願している。
他の隊員も志願らしい。
社会全体が狂っていたのか?
そう言えば祖父は言っていた。
何故志願したのか?
国が間違っていると思わなかったのか?
と聞いた時、
「そんなこと考える状況じゃなかった」
「志願するのが当然という雰囲気だった」
なるほど・・・。
8月15日は日本における終戦記念日。
日本だけでも300万人以上の方が亡くなっている。
そのうち1/3近くが一般人らしい。
国・軍隊が戦争を起こし、
その結果、沢山の人が亡くなっている。
日本以外の国の人も、日本人も。
そして、日本は戦争に敗れたが、日本と言う国は残っている。
「世界で最も長く続いている国が日本だ」
そのことを誇らしく書いてある記事や投稿を、最近よく目にする。
自分の国に誇りを持つ事はいいことであると思うが、
同時に、
この国が、過去にしてきたことに目を瞑るわけにはいかない。
この国が、人の命を粗末にしてきたことを忘れてはいけない。
この国が、長く続いていると認識しているのであれば、
この国が、過去にしてきたことも認識しなければならない。
従って、今でも国としての「反省」が必要だと、私は思う。
「あの戦争は、アジアを開放する正義の為の戦争だった」
「戦争をせざるを得なかった状況にした欧米が悪い」
という意見も知っている。
私は、そのような側面も観方も否定しない。
だけど、それをもって、この国が「反省」しなくていい理由にはならない。
日本以外の国・国民に向けての反省。
そして、日本の国民に向けての反省。
これは、この国がなくなるまで、続ける必要があると思う。
終戦記念日の天皇陛下の言葉に、「反省」が入っているのは、
そんな想いであると思う。
そして、為政者の挨拶から「反省」という言葉が消えたのは、
よくない兆候だと思っている。
私は、過去の反省をしない人が、何をするか、想像できる。
過ちを犯した国が反省を忘れれば、再び過ちを犯すのではないか。
私は、そんな懸念を持っている。
最後に、
あの戦争がどのくらい長引けば、
祖父が「回天」に乗っていたかは、分からない。
ポツダム宣言の受諾が1日遅れていれば、
祖父が人間魚雷に乗り、
私はこの世にいなかったかもしれない。
逆に、1日でも早く終戦を迎えていれば、
もっと多くの命を救えたことは間違いない。
戦争が始まったのも、終わりにするのが難しいのも、
世の中の「雰囲気」が影響している。
祖父が「回天」に志願したのも雰囲気。
雰囲気を作るのは、政治家とマスコミと国民ひとり一人。
私は、どんな状況になっても、
戦争から遠ざかる雰囲気を作る側にいたい。
たとえ、どんな理由や正義があっても。