幸せ恐怖症の女のはなし

誕生日がハッピーラッキーなイベントだったのは何歳までの頃だっただろうか。
ここ10年くらいは誕生日が近づくと毎年憂鬱になる。


学生時代には、起きたら貿易センタービルに飛行機が突っ込んでいてお祝いムードじゃなかったことくらいのエピソードしかないが、大人になってからの誕生日には毎年あまりいい思い出がない。


誕生日にはケーキ買っておくからと言われて帰宅したら男の姿はなく、パチンコ出まくってるからまだ帰れないと言われ、挙句ケーキ屋は閉まり、パチンコの景品のお菓子が誕生日プレゼントになった27歳。

誕生日お祝いしようと言われていたのに当日になって急に今日は仕事忙しいから無理というかしばらく無理と言われて他の女と会っていた事が判明した29歳。

誕生日の直前に男と別れ、当日にその男から、俺は結婚出来るけどなすちゃんは一生一人だと思うよとありがたい捨てゼリフいただき、一人で初めての回転寿司デビューをキメた30歳。

祝ってくれた男がいたが既婚子持ちを隠されていた事が判明した31歳。

結婚式直前の準備で揉めに揉めて険悪な雰囲気の33歳。

ケーキくらい買ってきてほしいと言ったら、めんどくせえな俺はケーキ食べないからと言われて喧嘩して散々だった34歳。

胆振東部地震の直後でそれどころじゃなかった35歳。

金銭トラブルに巻き込まれていた36歳。

なんというか別に誕生日に限らずという気もするけれど、自分の誕生日付近に起きたエピソードはやっぱり記憶に残りやすいので、誕生日が近づくたびに毎年恐怖に震えている。


今年ももう少しでこの季節がやってくる。
毎年友人たちや職場の人から誕生日会を開催してもらえるのは救いなのだが、今年はコロナの影響で複数人の飲み会は自粛しているのでそれも無理だろう。

しかしありがたいことに個人的にお祝いをしてもらえるというお話をいただいた。
ものすごく嬉しかった反面、これは何かあるのではないか、それまでに何か起こるのではないか、もしかしてコロナにかかっちゃうのではないか、なんて、嬉しい気持ちよりも恐怖が勝り、後1ヶ月不安でならない。

食べたいものや欲しいものを聞かれても、いやいやそもそも祝っていただくという気持ちがあるだけでありがたいお言葉なのでそれに加えて何かしていただくなんて滅相もございませんそれ以上お気を遣われませんよう・・・・と完全に自分を卑下してしまう。

自己肯定感が低いという話にも繋がるのだと思うが、私は幸せ恐怖症なのだと思う。

こんなわたしが幸せになるなんてありえない、という気持ちがどこか深い心の底に渦巻いていて、そのせいで自らが幸せになる方向から逸れるような行動をとりがちなのだろう。

昔から、自分のしたいことよりも相手がしたいことに合わせて生きてきたので、自分の希望を意思表示するのがとても苦手だ。
それを表明することで嫌われるのが嫌なんだと思う。

最近おばさんになってきたのと、今まであまり接したことのなかった人たちと話すようになったりして、少し考え方が変わってきた。

まず自分がしたいことを言って嫌われるような人とは一緒にいる意味がないから自分を殺してまで嫌われないようにする意味なんてないこと。(自分もそうだけど、普通は自分の好きな人たちが多少わがまま言っても嫌いになんてならないから。)

自分をごまかして付き合う人間関係は、自分にとってストレスでしかないこと。
100%わかり合う関係は無理だけど、それを話し合いで解決できれば違う意見を持っていてもいい関係を構築できること。

金と体力と気力がある状態で生きられるのはあと30年くらいしかないだろうこと。
それを楽しくない状況で生きていくのはもったいないということ。

日々なんだか色々な事件が起きてもそれを笑いに変える事で昇華させてきたのだが。
もうそろそろ自分に言いたい。幸せになる権利は誰にでもあるんだよと。


まずは今ある戦いに勝利し、自分の人生を取り戻し、残りの人生ハッピーラッキーに生きていきたい。

そんなことをぼんやり思った昼下がり。

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