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ダイバーシティーの作り方
明治32年に誕生した日本初の「ビアホール」
当時エビスビールを東京で醸造・発売していた日本麦酒の社長「馬越恭平」が、ビールを販売する大型店舗の名称に生み出したのが「ビアホール」という言葉。これは日本人が作った名称です。
今の東京新橋に誕生しました。
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当時の新聞記事
1899(明治32)年8月26日付『報知新聞』は「遠方から態々(わざわざ)馬車でやつて来る程の大繁盛、一日平均八百人内外の来店で、上高百二三十円に及ぶ由」と伝えた。
開店から1か月過ぎても人気は衰えることなく、1899(明治32)年9月4日付『中央新聞』は店内の様子を「其の中の模様は全く四民平等とも言ふべき別天地で、ちよつとしたお世辞にも、貴賤高下の隔ては更に無い。此処へ這入れば只だ誰れも同じくビールを飲む一個の客で、車夫と紳士と相対し、職工と紳商と相ならび、フロツクコートと兵服と相接して、共に泡だつビールを口にし、やがて飲み去って共に微笑する」と紹介した。
ビアホールは開放的で、様々な人たちが、ビールを飲みながら「笑顔」になったと紹介されています。
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四民平等ともいうべき別天地=ダイバーシティ
「四民平等」(しみんびょうどう)とは、明治政府が主張したスローガンで、封建的身分制による差別を廃し、国民すべてが平等であるとしたものです。
ビアホールには、この四民平等が存在していたという新聞記事です。
四民平等とは今どきの言葉で表すと「ダイバーシティ」です。
ダイバーシティは、わざわざ知恵を出し合って創り上げるものではなく…ビールを互いに飲むことで自然と存在するものではないでしょうか!
Voicyでもお話しています
🍺ビールスタンド重富(銀山町本店)
→昭和8年当時のビールサーバーを復刻したお店。
営業時間 17時~19時
🍺ビールスタンド重富(広島駅ekie)
→広島駅新幹線口1階にお店があります
→昭和8年当時のビールサーバーの規格を、
令和の最新版で再現しました。
営業時間 10時~21時