日本の麦酒歴史ができるまで ⑪
麦酒伝道師を目指している重富です。
北海道でビールを醸造するキッカケとなった場所での撮影です。その場所は「岩内」です。日本で初めて「ホップ」が見つかったのです。
札幌市内から近いように感じてしまいますが、バスで約3時間かかります。
【過去投稿】日本の麦酒歴史ができるまで ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ 開拓使麦酒仕立て
朝一番のバスで岩内に向かいます。高速バスではなく、どうみても路線バスです。出発して数か所の停留所で、ほぼ満席状態です。札幌市内では通勤用のバスですね(でもトイレはあるのです)。
札幌市を離れるにつれて、乗客も少なくなりました。途中有料(高速?)道路も走ります。小樽から岩内にかけては、山間部を走ります。道路に雪はありませんが‥車窓からの風景はどんどん「雪国」に近づいています。
ここで不安がよぎります。岩内にある「ホップ発見の地」の石碑の前で撮影を考えているのですが、雪で記念碑が埋もれて居たらどうしよう?おまけに、今日は記念碑がある「岩内町郷土館」は休館日です。
#監督は雪を見てテンション高めです
そんな不安は、海沿いに近づくにつれて薄らいで行きました。雪がどんどん少なくなっていきました。
岩内に到着し、タクシーで「岩内町郷土館」に到着。雪はまったくありません。立ち位置、カメラ位置を確認し、撮影開始です。「OK」が出るまで何度も何度も撮り直しです。もう監督もあきらめ気味です。重富のこのポンコツを楽しんでもらう方向に変更します。バラエティー?
⇧写真に記の枠のようなモノが写っていますが、夏になるとこの枠にはホップが巻き付いて枠が見えなくなるそうです。開拓使時代、トーマスアンチセルが岩内に視察に訪れた時に「野生のホップ」を発見し、その発見から北海道でのビール造りが本格始動はじめるのですが…なぜアンチセルが岩内を訪れたのかが不明でした(重富的に)
撮影も終わり、そろそろタクシーを呼んでバス停まで戻ろうとした時です。1台の乗用車が駐車場に入ってきました。今日は休館日です。岩内役場の方には「撮影許可」は頂いています(AD重富の仕事です)。
車の中から初老の男性が下りてこられ「資料館」見学しますか?と‥
「???」となる、重富ですが、男性は郷土館の玄関のカギを開けて、中に招き入れてくださいました。
名刺交換で、その方がこの郷土館の館長さんであることを知ります。その後資料館を見学し、詳しく説明してくださいました。トーマスアンチセルが何故岩内に立ち寄ったのかの理由も、丁寧に教えてくださいました。
もっともっと詳しく話を聞きたかったのですが、次の場所へ行くためのバスの時間が迫っています。AD重富はタクシー会社に電話してまずタクシーを手配します(タクシー会社の電話番号は広島で登録済(ドヤ)。タクシーが到着するまでの時間で、少しでも話を聞く時間を確保しました。その時間のおかげで、館長が貴重な資料をコピーしてくださいました。その一部です。
後日、この資料を元に札幌の坂巻さんが「アンセチルのホップを探す旅」にでかけられました。なんと!子孫ではないかというホップを発見されたそうです。今度ご一緒に「ホップ探索隊」を結成します!
資料をいただいた時に、丁度タクシーが到着しました。館長に丁寧にお礼を申し上げ出発です。
岩内からバスで余市に向かいます。
余市では撮影はないのですが、余市には重富の前職のニッカウヰスキーの余市蒸留所があり、現役時代にも仕事で来た懐かしい場所に監督を連れてきたかったのです(個人的理由)。昼ご飯を食べる(生理的理由)という意味もありました。
余市工場は、現在ではとても珍しい、直火蒸留です。ちょうど石炭を投入する時に遭遇しました(持ってる)。ベテランになると、釜の前を通るだけで、中の状態や温度がわかるようになるそうです。
ニッカウヰスキー余市蒸留所+昼食を終え、JRで小樽に向かいます。
小樽では、まず小樽市総合博物館(運河館)で、明治20年頃の街の地図を見せてもらいます。中川清兵衛の足跡があるのです。地図を確認し、その地図を撮影させていただきました。
その後、小樽港、小樽運河での撮影です。ちょっとシリアスなシーンなのですが、間抜けなセリフ間違いで顔が柔和になってしまいます。
撮影できているか、音声は?の確認は、モニターなどありません。撮影に使用している一眼レフカメラの小さな画面と、小さなカメラ内臓スピーカーか、イヤホンでの確認作業です。 うまくいったと思った箇所でも、イヤホンで聞くと「撮り直し」な事も多々あります。というか、ほどんど全部です。
ようやく撮り終えたのですが、どうも重富的にはしっくりいかない部分がありました。撮影場所がイメージと違うのです。
監督とカメラマンに無理を言って、再度撮影場所を探します。小樽港は広く、3人で探すのでは時間が足りません。手分けして撮影場所に適したところを走り回って探します。監督ははるかかなたに走り去って見えなくなってしまいました。
重富は割と近くを、カメラマンはちょっと遠くを探します。カメラマンが「ありませんね~」と帰ってきましたが。監督は帰ってきません。どこまで行ったんだろうと思っていると、向こうの方で手を振っている監督を見つけました。「手招き」しているようにも見えました。カメラマンと2人で行ってみると、怒っています「何度も電話したのに」と‥ 撮影用にマナーモードだったので気が付かなかったのです(ごめんね)
波止場の奥の方で良い場所を見つけました。
おかげで、大事なシーンを撮ることができました。
映画の撮影って、最小の撮影ではだめなのですね、使える使えないではなく「撮っておく」が大事なようです。あちこちで、観光客のように撮影していた部分も、完成の映画の中にでてきて、いいシーンやシーンチェンジになっています。(映画大学に高い授業料を払った甲斐がありました)
撮影は終わりました。小樽ビールさんで「おつかれ乾杯」です。
mini工場見学コースもあったので、説明してもらいました。
その後は、小樽と言えば「お寿司」ですね。博物館で教えてもらったお寿司屋さん「寿司達」さん。気さくな大将とおかみさんの味わいがプラスされて、優しくて美味しいお寿司をいただきました。
小樽駅までは歩いて行けるのですが…せっかくなのでタクシーで小樽運河の夜の風景を見ながら小樽駅に向かいました。
札幌についた後に、夜の撮影が待っていました。映画のタイトル画面にも使っているシーンです。
その後…すすきのに行ってちょっと飲もうかとカメラマンを誘おうと思ったのですが、監督が怖い目でにらむので大人しくホテルに帰ることにしました。ホテルに帰り、撮影日程表と、脚本とにらめっこです。撮りこぼれがないかの確認です。脚本の順番通りに撮影できないので、撮影が済んだ箇所を「墨」で塗りつぶしていきます。
翌朝は、昨晩の撮影と同じ場所で、今度は「朝」の撮影です。「夜・朝」のイメージを映画のシーンと被らせたかったのです(映画っぽい)
今日は、撮影最終日、基本予備日として残しておいた日です。
撮り忘れはなさそうなので、サッポロビール博物館やサッポロファクトリーで「資料」の撮影をすることにしました。もう重富のセリフを言うシーンがないので気分は楽です。お昼ご飯はビアケラー札幌開拓使。監督は「ジンギスカン」を食べ、ジンギスカンの本当の美味しさを体感したようです。
店内は、開拓使麦酒時代の後のサッポロビール札幌工場時代の煉瓦造りのビール貯蔵庫がそのまま客席になっています。
食事が終わり、監督とカメラマンは東京に帰るために札幌駅に向かいました。重富は、万が一?の為にもう1泊です。
今日はここまでです。
万が一という名目で居残りの重富ですが、夜に台本を読み漁ってて、1つ勘違いしているシーンがありました。「札幌冷製麦酒」の誕生です。のシーンで「ビール瓶」を撮影していないことに気が付きました。監督にどうすれば良いかを聞き、翌日、デジカメの録画機能で撮影に挑戦することになりますが…どこかで三脚を買っておけば良かったと後悔します。撮影場所を再度巡り、記録を残します。そして夕方の広島行の飛行機で6泊7日の撮影旅行が終了しました。
札幌の坂巻さんより写真が届きました。ホップです!(感謝)