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『Beep21』協賛「メガドライブ35周年記念パーティー」イベントレポート!

【New!】Hiro師匠と岩垂徳行氏の特別対談トークのパートを追加公開しました!(2023/11/09)


メガドライブ35周年! レジェンド達が集結!!

1988年10月29日に発売されたメガドライブは35周年を迎えました。それを記念して、関係者を集めてのプライベートイベントが開催されました。

会場にはレジェンドクリエイターをはじめ、ファンにはおなじみの方々が多数来場。久しぶりにその場で再会できた、という方も多く、このお祝いの場をみなさん楽しまれていました。

今回のイベントはプライベートイベントであったため、気になる会場の様子をイベントレポートとしてお届けします。

来場いただいたクリエイターや関係者の方々からは、お祝いの寄せ書きもご覧のようにいただきました。

※クリックすると拡大して見ることができます。今回のプライベートイベントは主催が『Beep21』の運営会社であるトロ企画によるもので、『Beep21』連載陣をはじめ、ファンにはおなじみの方に多数ご来場いただきました。みなさんから当時の思い出やメッセージを会場でいただきましたので、そちらもレポート記事の中で順にお届けしていきます。
Hiro師匠と古代祐三氏。サウンドクリエイターのレジェンドにもお越しいただきました。
この日のために用意された初代メガドライブとメガドライブ2をあしらったケーキも素晴らしいデキでした。
ゲストによる特別トークショーとしてHiro師匠と「LUNAR」シリーズをはじめ「グランディア」「ラングリッサー」シリーズなどでおなじみの岩垂徳行氏とが対談。ものすごく濃密なトーク内容はメガドライブ初期の頃の初めて聞く話も満載で、必見です。

多数のレジェンド達の集ったお祝いイベント。
ぜひ最後までご覧ください。

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レジェンド達が振り返る35年前のあの頃

今回ご来場いただいたレジェンドクリエイターや関係者の方へメガドライブが発売された当時の思い出を以下の質問で語っていただきました。

・最初に近況についてお伺いします
①1988年10月は何をしてました?
②その時のメガドライブとの接点は?
・一番思い入れの強いメガドライブソフト・出来事は?
➂自分にとってメガドライブとは?(どんな存在?)
・最後にボードにサイン(メッセージ)をお願いします

実際に聞いてみたところ、思いがけない回答や、今まで知らなかった事実も飛び出したりして興味深い内容になっています。一番好きなメガドライブソフトについても、それぞれの方から意外なタイトルが飛び出したりしますので、そのへんもあわせてお楽しみください。

突撃取材①・光吉猛修氏──いつかやりたい憧れのハードだった

会場一番乗りのレジェンドは光吉さんでした。最初のメッセージは左下にいただきました。

──光吉さんは2年前の『セガハードヒストリア』の取材以来ですが、最近の近況は?
光吉 最近は、仕事的には音ゲーというよりはモバイルのほうが多いですね。あと、4年くらいで定年なので、仕事としては曲をたくさん書くというよりは、マネージメントというか、後輩とか若い人たちのサポートが多くなりました。

──メガドライブが発売された1988年10月というと、光吉さんはまだセガに入社する前ですよね?
光吉 おっしゃる通り、セガに入る2年前で大学3年生でした。この頃はバンドに明け暮れていたのですが、その(バンド活動の)おかげで、セガに入ることができたと考えれば、セガに入社する準備をしていた、という言い方もできるかもしれません(笑)。

──その頃はメガドライブって知ってましたか?
光吉 おずかしながら、知りませんでした。ぶっちゃけると、ファミコンとセガのハードの見分けがつかないくらいだったと思います(苦笑)。

──その後、1990年にセガに入ってから、メガドライブとの関わりはありましたか?
光吉 実はメガドライブは入社してから会社から配られました。当時は会社もイケイケで景気がよかったんだと思います。確か「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」付きでしたね。

──光吉さんにとって、メガドライブはどんな存在ですか?
光吉 私の場合は入社してすぐアーケードゲームの部署に所属となったので、結果的にメガドライブの仕事はメインではやっていないんですが、いつかはやりたかったな、という憧れのハードでしたね。

突撃取材②・内藤寬氏──”工夫のしがいがあった最後のハード”

二番目にお越しいただいた内藤寬さん。「メガドライブでなければランドストーカーはできなかった」と会場でも熱く語ってました。

──1988年10月は、何をされていましたか?
内藤「ドラクエ」を作ってたんじゃない? 1988年2月にドラゴンクエストIII そして伝説へ…が発売されているので、ドラゴンクエストIV 導かれし者たち(1990年2月発売)をバリバリ作っている最中ですね。

──その頃はメガドライブの存在は知っていましたか?
内藤 知ってはいましたが、遊んだことはなかったですね。持っていても遊ぶひまがなかったと思います。

──思い入れあるメガドライブソフトは?
内藤 自分が作ったもの以外だと、アイルトン・セナ スーパーモナコGP II (1992年7月)です。3D視点なので気になっていたんですが、技術的にすごいテクニックを使っているんですよ。基本的に気になるゲームは解析をしてしまうんですが、それでもよくわからない作りをしてました。

開発者目線でいうと、3Dポリゴンで表現されたスタークルーザー (1990年12月)もすごいですよね。これは解析とかではなくて、普通にやり込みましたね。

──メガドライブでは「シャイニング&ザ・ダクネス (1991年3月)」や「ランドストーカー (1992年10月)」を手がけられましたが、内藤さんにとってメガドライブとはどんな存在でしたか?
内藤 僕が独立をして、最初に触ったハードがメガドライブだったんですが、とにかく自分がやりたかったことを表現できたハードでしたね。このあとにセガサターンやドリームキャストが出てきますが、あそこまでいくとちょっと複雑すぎたというか、作り手として工夫する必要がなくなっちゃう部分もあったというか。そういう意味では、メガドライブは”工夫のしがいがあった最後のハード”でした。さっきの「スーパーモナコGP II」や「ソニック」など、プログラムやハードに制限がある中で、いかに面白くことを表現できるかという工夫ができた最後のハードだったと思います。

▼参考

寄せ書きの下段に「メガドライブ スゲー!イカス!」とご一筆をいただきました。

突撃取材③・奥成洋輔氏──選んだソフトは意外にも...

今年(2023年)の夏に『セガハード戦記』を出版した奥成洋輔さん。

─奥成さんの近況というと...やはり?
奥成 本を出しましたね(笑)。セガの家庭用ゲーム機の歴史をまとめた『セガハード戦記』です。

──トーク対談の時はありがとうございました。

──さて、1988年10月というと、奥成さんは何をされていました?
奥成 その時は高校2年の修学旅行直前でした。

──メガドライブは発売前から買うつもりだった?
奥成 発売日の1ヵ月前にセガが発売会をやってまして、それがセタネットというところの(メガドライブの情報の)書き込みで知り、その日の翌日には横浜の高島屋に電話して予約をしました。

──発売日に本体と一緒に買ったソフトは?
奥成 「スーパーサンダーブレード」です。先日桜井(政博)さんもYouTubeの番組内でおっしゃってましたが、その判断は間違っていませんでした(笑)。

──メガドライブソフトはここにズラリと並んでいますが、奥成さんにとって、一番思い出あるメガドライブソフトを1つあげる、としたらどのタイトルがあがりますか?
奥成 1つとなると難しいですよね...。タイトルごとにいろいろ思い出がありますし。何だろう…トージャム&アールでしょうか。自分が今まで知っていたゲームというものの常識を超えてきたというか、”ローグライク”なんて言葉は後から聞いて、この2年後に発売された「トルネコの大冒険(1993年9月)」とかを遊んだときに、「これ、トージャム&アールじゃないか!」と思ったんですよ。

──なるほどー。さて、奥成さんにとってのメガドライブとは?
奥成 もう人生の一部になっている感じはありますよね。「一番好きなゲームハードは?」って聞かれたら、必ずセガ・マークⅢって言ってるんですけど、最近はメガドライブミニを2つ作ったり、そのメガドライブミニ収録用に「ダライアス」を作ったりとか。自分が高校生のときに出会ってからのフィーバーも含めて、ずっとメガドライブと共に過ごしているというのを考えると、自分の人生がメガドライブというか(笑)。自分が書いた書籍の表紙もメガドライブを使わせてもらってますしね、メガドライブは僕の人生に大きく関わっていますよね。

『セガハード戦記』の出版記念サイン会で用意された落款印もサインの横に押印していただきました。

突撃取材④・鈴木幸一氏──メガドライブは筐体がカッコよくて「いいなー」と思ってた

『Beep21』でメガCDソフト「夢見館の物語」について、数々の初公開秘話を明かしてくれた鈴木幸一氏も会場へ起こしいただきました。

▼参考

──昨年のメガドライブミニ2の時は「夢見館の物語」の貴重なコラムをありがとうございました。鈴木さんの最新の近況は?
鈴木 新しいゲーム開発にまたちょっと関わり始めています。「新しいことやりたいね」っていう人たちが集まっているところにじって、企画的なことをしています。

──(メガドライブが発売された)1988年10月というと、鈴木さんは当時何をされていましたか?
鈴木 1988年は僕が16歳なので、おそらくシステムサコムに入る前後のタイミングですね。どうしてもゲーム業界に行きたくて、いろんな企画書を書いて持ち込みを始めようと思った頃だったと思います。

──そのころはメガドライブという存在は知ってましたか?
鈴木 メガドライブについては知っていました。筐体きょうたいデザインがかっこよかったんで、「いいなー」と思っていたのをすごく覚えてますね。セガはSG-1000の頃の筐体イメージがあったので、メガドライブは筐体が黒くてカッコいいなー、というイメージがありました。

──その後、メガドライブを買うことは?
鈴木 その頃僕は、親にパソコンを買ってもらっていたんですが、親父が「パソコンがあればゲームもできるんだろう」と言って、ゲーム機はファミコンすら持っていませんでした(苦笑)。

──気になっていたメガドライブのソフトはありましたか?
鈴木 「マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー (1990年8月)。あれは最高でした。ゲーム会社に入ってから遊ぶ機会があったのですが、夢中になってずっと遊んでいましたね。

──その他のゲームで思い出があるものは?
鈴木
 あとはアイラブミッキーマウス ふしぎのお城大冒険 (1990年11月)ですね。もともとディズニーは大好きなのですが、あのビジュアルと音にとても感動したのを覚えています。

──振り返るとメガドライブはどんなイメージでした?
鈴木 洋ゲーっぽいゲーム機、ですかね。ちょっと海外のニオイがするというか、AMIGAのゲームっぽいというか。とにかくカッコいいという印象でした。

突撃取材⑤・JUDY TOTOYA(山口恭史)氏──1988年入社のデザイナーの新卒は即実践投入された

『Beep21』で連載中の「斗々屋堂」では、「ソニック2」のアメリカでの開発秘話を公開してくれたJUDY TOTOYA(山口恭史)氏。寄せ書きにはマイルス"テイルス"パウアーのイラストも即興で描いてくれました。

▼参考

──先日は「斗々屋堂」のエピソードとイラストありがとうございました。JUDYジュディさんの最近の近況はどんな感じですか?
JUDY 全然仕事してないです(笑)。ちょっと去年実家でバタバタがあったせいで新しい仕事を入れられない状況だったのですが…。そろそろ仕事しないとやばいかもしれません(苦笑)。

──以前の『Beep21』でも書いていただいてましたが、1988年は、メガドライブ版「スーパーサンダーブレード」に新卒でいきなり関わることになるんですよね。
JUDY  他の新卒入社組はちゃんと佐倉で研修とかあって「ギャラクシーフォース」の筐体きょうたいの組み立てをやってたんですが、職種がデザイナーの新卒たちだけは、全員そのまま即実戦投入でした。セガ・マークIIIからメガドライブになったときに、開発環境に新しいデジタイザーが入ったんです。このデジタイザーを勉強していた先輩の下にすぐ入ることになりましたが、メガドライブの開発機材もたたみぐらいのデカさでしたね、まだその時は。実は、開発段階のメガドライブの筐体デザインは(赤の部分のカラーリングと16bitの文字のサイズで)候補が3種類あったんですが、僕らデザイナーのあいだで一番人気のないデザインが選ばれたんですよ。あの「16-BIT」とデカデカと書かれたデザインはさすがにずかしいだろ!と思ってたんですが、あれが採用されて驚きましたね。

──一番思い入れがあるタイトルは何でしょう? やはり「ソニック・ザ・ヘッジホッグ2」ですか?
JUDY 確かに一番の思い入れという意味で言ったら「ソニック2」ですね。初めてアメリカに行っての開発でしたし、ものすごくワクワクしましたし。

──メガドライブを振り返ると、どんな印象がありますか?
JUDY  自分の中では思い入れの強いハードです。初セガハードは「ファンタシースター」がやりたくてセガ・マスターシステムを買いましたが、社会人としてセガに入って、ちょうど8ビット機から16ビット機に変わるタイミングで仕事として関われて、どんどんハード性能を引き出すゲームも出てきましたよね。せめてカラーパレットが倍あって、選べる色がアーケードゲームと同じくらい多かったら、メガドライブはもっともっといけたとは思っています。

突撃取材⑥・Hiro師匠──「ヴァーミリオン」は聴いた人みんなが「いい」と言ってくれた

『Beep21』では古代祐三氏との対談トーク「古代祐三が訊く!」で名曲について数々のエピソードを明かしてくれたHiro師匠。アーケードの体感ゲームシリーズのヒット曲以外にも、メガドライブのRPG「ヴァーミリオン」では、独自ドライバーを作って重厚な音を出した、というのは有名な話。この後の岩垂徳行氏との対談トークでは当時の話がかなり詳しく語られました。

▼参考

──今日はお越しいただきまして、ありがとうございます。HIro師匠の近況をお伺いできますか?
Hiro 最近ロケテストを実施したメダルゲーム「MONOPOLY THE MEDAL」というのをやっています。セガに入社してもう39年(!)なのですが、今回初めてメダルゲームのサウンドをやっています。来年(2024年)くらいにゲームは出ると思います。

──1988年というと、Hiro師匠は「パワードリフト」がアーケードで出たあたりかと思いますが、メガドライブはまだやってなかった?
Hiro 「ヴァーミリオン」ってあれいつですか?

──『ヴァーミリオン』は1989年12月です。
Hiro たぶん、まだやってなくて「ダイナマイトダックス(1988年・アーケード)」とかやっていた頃でしょうね。

──「ヴァーミリオン」はどうしてやることになったのでしょうか。AM2研としてメガドライブもやれ、みたいな感じだった?
Hiro そうですね。(鈴木)裕さんのチームとしては、今後コンシューマーもやっていきたいということで作られたゲームですね。

──それまではアーケードのサウンドを手がけられてきたHiro師匠としては、コンシューマ(家庭用ゲーム機)のサウンド作りというのはどうだったでしょうか?
Hiro あまり違いは感じられなかったですね。サウンドドライバーはゼロから作りましたけど。もともとあったものは、あんまり機能がなかったので、だったら自分で作ってしまおう、と。

──メガドライブで一番思い入れがあるソフトというと、やはり?
Hiro メガドライブタイトルで一番思い入れあるのも「ヴァーミリオン」です。初めてメガドライブで作った、ということもありますし、FM音源とPSGとPCMをストリームで鳴らすドライバーを作ったのも楽しかった。新曲は開発中に聴いた人で評価が分かれることが多かったんですけど、「ヴァーミリオン」のオープニングは聴いた人全員が良いって言ってくれたんですね。そんな経験は今でもこれしかないですから。あと、「ヴァーミリオン」はRPGだから、アーケードゲームと違って、暗い曲とかいろんな曲が必要だったので。そういう部分はアーケードとはちょっと違いましたね。基本的にいろいろ楽しみながらやれたタイトルでしたね。

突撃取材⑦・サムシング吉松先生──こんなにいいハードで面白いソフトも揃っているのに

『Beep21』ではメガドラ兄さんをはじめとした「セゲいち一家」がドタバタ劇を展開する「セガのゲームは21!!」を連載中のサムシング吉松先生。寄せ書きにはキャス子とメガドラ兄さんを描いていただきました!
◆寄せ書きイラスト動画 (※クリックすると動画を見ることができます)

──いつも連載ありがとうございます。吉松先生の近況を教えてください。
吉松 新作アニメを鋭意制作中です。あとはコロナの間はあまり海外に行けなかったのですが、最近はアニメや日本の文化を紹介する海外のイベントに呼ばれて行ってたりします。今年はいろんな国に行ってきました。

──多方面でご活躍中ですね。吉松先生はメガドライブが発売された1988年10月はどんなことをしてましたか?
吉松 アニメの仕事をしてましたね。メガドライブは発売日を楽しみにしていました。元々セガ・マークⅢユーザーだったので、その次がくるということで、発売前からメガドライブには注目していましたし、楽しみにしていました。

──最初に買ったメガドライブソフトは?
吉松 スペースハリアーII (1988年10月)です。ちょっと微妙でしたが。メガドライブのソフト全体で思い入れがあるタイトルとなると、ベタですがマイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー(1990年8月)でしょうか。ちなみにマークIIIだと北斗の拳 (1985年)が大好きです。

──今振り返ると、吉松先生にとって、メガドライブはどんな存在でしたでしょう?
吉松 どうなんだろう…セガのハードはいつもそうなんですが、二番手三番手になってしまっていつもくやしい思いをしていました。いいハードなのになぁ、と。そういう思いをし続けた思い出が強いですね。こんなにいいハードに面白いソフトがそろっているのに、買わないだなんて可哀想かわいそう、くらいに思っていましたよ(笑)。

突撃取材⑧・鶴見六百氏(Beep旧名:氷水芋吉)──「テクモスーパーボウル」は最高でした

『Beep21』でセガのDNAの探検隊として奥成洋輔氏、堀井直樹氏と記事を展開中の鶴見六百氏。この日も前後にイベントがあって、ハシゴ状態で参戦の多忙さ。当時のCS(家庭用ゲーム)の開発現場についてもいろいろと詳しい方です。手にしている「バハムート戦記」の中に「モヘップ」という名前のキャラがいるのは、実は鶴見さんが案を出したものだったというエピソードも。

──最近もお忙しいとお伺いしておりますが、近況は?
鶴見 今、締切に追われて大変な日々を過ごしております(汗)。今日もこのあと別のイベントにいく予定でして。

──今日はそんな合間にお越しいただきましてありがとうございます。鶴見さんはメガドライブが発売された1988年10月は何をしていました?
鶴見 大学5年生で、年明けの1989年4月のセガ入社に向けて、(大学で)残りの単位をなんとか取って卒業しよう…あるいは卒業できないかも…というようなことで悩んでいた頃だと思います。

──当時、メガドライブについてはどのような印象でした?
鶴見 最初の頃はメガドライブというハードウェアに期待していたんですが、ソフトはちょっと様子見な印象でした。ソフトが充実してきたタイミングで一番遊んだのは「テクモスーパーボウル(1993年11月)」ですね。あれは最高に面白かった。これをずっとしっぱなしにしてました。

──鶴見さんの人生でメガドライブはどのような位置付けというか、存在でしたか?
鶴見 (セガにいたのでメガドライブにも)関わるかな、と思っていたんですが、案外関わらなかったですね。アーケードゲームの開発部署でずっと仕事をしていたこともあって、メガドライブは、新人の頃にファンタシースターⅢ (1990年4月)バハムート戦記 (1991年3月)のデバッグをしたぐらいで、ほとんど接点がなかったんです。アーケードゲームの仕事で身体からだを壊してしまって、コンシューマ(家庭用ゲーム機部門)に異動したときは、ちょうどサターン立ち上げのタイミングだったので、メガドライブについてはすっぽり抜けてしまった感じです。自分でも意外なんですが(笑)。

セガの開発内での顔の広さはさすがの鶴見さん。今後の「セガのDNA」の記事も期待してます。

突撃取材⑨・遠藤正二朗氏──ゲームライフをめちゃくちゃ豊かにしてくれたメガドライブ

『Beep21』で完全新作小説「秘密結社をつくろう!」を連載中の遠藤正二朗氏。今回のイベントの司会を務めた上間江望さんとは意外な形でつながりも。

──メガドライブが発売された1988年10月ごろは何を?
遠藤 その頃はまだ青年漫画週刊誌の編集をやっていました。メガドライブの存在は知っていて、そのうち買おうとは思っていましたね。

──最初に買ったメガドライブソフトは?
遠藤 ヘルツォーク ツヴァイ(1989年12月)スーパー大戦略 (1989年4月)です。

──思い入れあるタイトルは?
遠藤 今ここに並んでいるメガドライブソフトを見た中で思い出したのは(※会場には全メガドライブソフトが並べてある)、カース (1989年12月)ですね。当時社内でみんな夢中になって遊んでいました。

──読者レースでは結構最下位争いをしていた(笑)。
遠藤 あとは魔王連獅子 (1991年10月)とか。でもとくに好きだったのはゲイングランド (1991年1月)です。あれは相当やり込みました。

──振り返ってみると、遠藤さんにとってメガドライブはどんな存在だったでしょう?
遠藤 ゲームライフをめちゃくちゃ豊かにしてくれましたね。ファミコンとPCエンジンも持っていましたが、これにメガドライブが加わることですごく豊かになった。そんな存在だったと思います。

突撃取材⑩・竹崎忠氏──人生を変えてくれたメガドライブ

メガドライブ後期以降、セガの広報として活躍した”竹ちゃん”こと竹崎忠氏。現在は「名探偵コナン」などヒット作を手がけているトムス・エンタテインメントの社長。超多忙な中、会場にもお越しいただきました。

──竹崎さんはもちろん、メガドライブは1988年10月の発売日に買われているんですよね?
竹崎 そうです。家電量販店で予約しておいたのですが、2日前に突然「入荷できなくなった」との連絡が入り、当日店頭販売分を探して3時間半ほど原付で街を走り回ってなんとか入手しました。ソフトも入荷数が少ないので1本しか売れないと言われて、スーパーサンダーブレード(1988年10月)を選びました。

▼竹崎さんによるその日の顛末記

──遊んでみてどうでしたか?
竹崎  微妙びみょうだな、って(苦笑)。画面の切り替わりとかワクワクしたのですが、なんだかグラフィックがベタっとしてて、オブジェクトのパターンも少なくて、16BITのすごいゲーム機という期待とはちょっと違ってたような。でも、せっかく買ったので、良いところを探しながら一生懸命遊びましたよ。

──メガドライブで思い入れのあるタイトルは?
竹崎 全部のメガドライブタイトルを持っているので、全てのタイトルそれぞれに思い入れがあるんですが...。私がセガに入って広報担当になって、初めて総合誌さんの緊急速報コーナーで扱ってもらったエコー・ザ・ドルフィン (1993年7月)は思い出深いですね。総合誌でメガドライブの記事を増やしてハードを普及させるという野望をいだいていたので、その第一歩だと(笑)。

──竹崎さんにとって、メガドライブはどんな存在だったでしょうか?
竹崎 いつも言っているんですが、自分の人生を変えたハードです。メガドライブがなければ東京にも来なかったし、セガにも入らなかったし…。いちファンからセガの中の人に転じるキッカケになったハードですからね。自分の人生も変わったけど、セガハードの歴史も少しだけ良い方に変えられたんじゃないかなって思ってます。めっちゃファンなだけに、セガに入ってからは、自分の全てをかけてセガハードの普及に取り組みましたから! そんなメガドライブのおかげで、今でもこうしてみんながつながっていてうれしいです。

突撃取材⑪・岩垂徳行氏──自分を世に出してくれた存在がメガドライブ

『Beep21』では「LUNAR」シリーズの回顧録を書いてくれたサウンドクリエイター岩垂徳行さん。「ラングリッサー」シリーズや「グランディア」シリーズなども有名な岩垂氏ですが、実はメガドライブ初期の頃から多数の作品を手がけていた、という話を今回のイベントで明かしてくれています。後半でお届けするHiro師匠との対談トークは必見です。

▼参考

──最近もコンサートなどがあったばかりかと思いますが、岩垂さんの近況をお伺いさせてください。
岩垂 先日(10/1に)に「ラングリッサー」関連の吹奏楽のコンサートをやらせていただきました。もちろん今でもゲーム音楽を作らせていただいています。

──メガドライブが発売された1988年10月について、この頃はもう実はメガドライブのサウンドの仕事に関わっていた?
岩垂 この頃かどうか記憶は定かではないのですが、とにかくメガドライブ版アフターバーナーII (1990年3月)のFM音源作りみたいなことをやっていました。当時はキューブという会社に入ったんですが、FM音源について詳しいならコレをやれと言われたのが、メガドライブ版「アフターバーナーII」だったんです。実はゲーム関連の最初の仕事が、この「アフターバーナーII」だったので、作品的には忘れられないゲームですね。

──ギターの音の再現とか、かなり苦労したとお聞きしましたが?
岩垂 すんごい苦労しました。僕はDX7というシンセサイザーを使っていたのですが、メガドライブのFM音源はパラメーターなどの扱いが全然違うので思い通りの音色が作れなかったんです。ギターの音にすごく時間がかかってしまって、(ソフトの発売元の)電波新聞社の方にはすごくご迷惑をおかけしました。でも、この作品が評価され、この時の経験が下積みとなって、この作品以降もメガドライブのタイトルばかりやっていました。

──実は岩垂さんが手がけたメガドライブソフトは、他にもかなりあると聞きましたが、具体的にはどのあたりのタイトルを?
岩垂 タイトーさんのメガドライブ版ダライアスII (1990年12月)とかもそうですね。「アフターバーナーII」のころはまだモノラルだったんですが、その後開発のドライバーが進化してステレオやパン、PCMも使えるようになりました。タイトーさんのタイトルだとスペースインベーダー90 (1990年9月) などいろいろやらせてもらいましたね。あとはメサイヤさんのラングリッサー(1991年4月)」「ジノーグ (1991年1月)、 ホット・ビィさんの鋼鉄帝国 (1992年3月)もやりましたし…。講談社総研さんのブルーアルマナック(1991年6月)とか魔天の創滅 (1993年12月)とか。メガドライブは本当にいろいろやらせてもらいました。

──そんな中から一番思い入れのあるメガドライブタイトルはやはり?
岩垂 やっぱり「LUNAR」シリーズになっちゃいますよね。すごく時間もかけて作ったので…。「1」と「2」だと、「1」の曲は私以外にも何人か曲の担当がいたので、全部自分が手がけることになった2作目のLUNAR エターナルブルー (1994年12月)は本当に思い入れがあります。

──岩垂さんにとってメガドライブという存在はどのようなものだったでしょうか。
岩垂:僕という人物を世の中に紹介してくれたハードがメガドライブでしたね。それこそ『BEEP!メガドライブ』の誌面でこのゲームの音楽は岩垂だと紹介してもらって、それでユーザーに認識してもらえましたから。メガドライブで曲を担当することによって、よりたくさんのゲームクリエイターやユーザーの方に(僕のことを)認知してもらえて、それが自分の自信にもなりました。メガドライブはある意味、僕の原点でもありますね。

突撃取材⑫・重馬 敬氏──実は「港のトレイジア」が好きでした

『Beep21』で「LUNAR」シリーズの秘話をたっぷりと明かしてくれたシナリオの重馬 敬さん。メガドライブについての思い出を語ってくれました。

──1年前の「LUNAR」シリーズの回顧録コラムはありがとうございました。重馬さんの近況を教えてください。
重馬 相変わらずゲームシナリオを作成しております。サービスは終了しちゃったんですが...スマホ向けゲームアプリ「テイルズ オブ クレストリア」関連についてはとくに力を入れてやっています。コミックスも3巻まで発売されていますので、ぜひ読んでいただければと思います。

──メガドライブが発売された1988年10月というと、何をされていましたか?
重馬 ガイナックス…というかゼネラルプロダクツにいました。パソコンゲーム「電脳学園」のプロデューサーをやっていた時期ですね。いちおう、メガドライブという新しいハードが出ることは知っていました。ゲーム アーツさんとの付き合いもあったのでチラチラっと。でも仕事としては、まだパソコンゲーム中心でした。

──メガドライブはいつごろ買われました?

重馬 メガドライブを買ったのはメガCDからですね。もちろん個人的に買いました。買ったはいいのですが、最初の頃は惑星ウッドストック ファンキーホラーバンド(1991年12月)とか…(苦笑)。あ、でもメガCDではないのですが、港のトレイジア (1992年2月)はすごく好きでした。日本テレネットさんとは、のちに「テイルズ オブ (1995年〜)」シリーズ(の開発)でご一緒することになるんですが、その頃はまったく接点がなくて。普通にいちユーザーとして遊んでいました。「港のトレイジア」はキャラクターデザインが当時ガイナックスの前田真宏さんということもあって、それでかれたんだと思います。

──メガドライブで思い入れのある1本を挙げるとしたら...。
重馬 やっぱり一番思い出深いのは「LUNAR エターナルブルー」ですね。すごく制作が遅れてしまって、メガCDの旬が終わった時期に発売が延びてしまいましたが…。

──でもメガドライブの読者レース1位ですからね。
重馬 ありがとうございます。本当にありがたいです。

──重馬さんの人生の中でメガドライブは、どんな存在、というか位置づけなんでしょうか?
重馬 それはもう本当に人生において欠かせないものですよね。うちの奥さんには「LUNAR」でずっとご飯食べてるから演歌歌手みたいだってよく言われてました(笑)。最近は本当にそう思いますね。

突撃取材⑬・堀井直樹氏──鍛錬する場でもあり”道場”でもあったメガドライブ

最近はメガドライブミニシリーズでおなじみのM2・堀井直樹社長。メガドライブ後期の名作「ガントレット」の移植はまさにその原点。当時の思い出を語っていただきました。

──堀井さんは相変わらずのお忙しさかと思いますが、最近の近況はどんな感じですか?
堀井 あいかわらずハイカロリーなエムツーショットトリガーズでいろいろ出す準備をしています。あと、各社さんから「こういうのを出したい」という提案をたくさんいただいてまして、そういうのも相当やってます。

──35年前、1988年10月は何をされていましたか?
堀井 メガドライブ発売日に池袋西武やビックカメラを回ったのですが、「売り切れ」という状態でした。発売日に買えなかったので、実際に入手したのはそこから1年後くらいでした。買うのはいったん諦めて、友だちの家で遊びまくったんです。

──最初に買ったメガドライブソフトは?
堀井 メガドライブのスペックを見て「これなら『ガントレット』が動くぞ」としか見ていなかった…いや、そんなことはないですね。スペースハリアーⅡ (1988年10月)は相当遊びましたけど。

──思い出深いタイトルと言うと?
堀井 開発したガントレット (1993年9月)以外だと、サンダーフォースII MD (1989年6月)とか大魔界村(1989年8月)あたりは、やっぱり思った通りのポテンシャルがあるなって思ったタイトルですね。

──今振り返ると、メガドライブとはどんなハードでしたか?
堀井 ”道場”ですね。鍛錬たんれんする場だったと思います。メガドライブ版「ガントレット」は作り始めてから開発に3年かかりましたが、本当に多くのことを学びましたね。

突撃取材⑭・二木幸生氏──セガらしいハードだなぁ

「パンツァードラグーン」の生みの親でもある二木幸生氏(※写真左)は『Beep21』でもインタビューで当時の詳細なお話を伺いましたが、今回はメガドライブの思い出を語っていただきました。※『Beep21』で「セガ・アーケードメモリーズ」を連載されている元『ゲーメスト』編集長の石井ぜんじ氏(写真右)とツーショット。

▼参考

──二木さんには、2023年から始まったクリエイターインタビューのトップバッターでご対応いただきまして、ありがとうございました。その後の近況をお伺いできますと。
二木 私はグランディングというゲーム会社をやっています。うちで出した「街コロ」というボードゲームがあるのですが、これのデジタル版を来春にNintendo SwitchSteamで出します。「みんなと街コロ」という気軽に遊べるボードゲームなので、ぜひ遊んでいただければと思います。

──メガドライブが発売された1988年10月は、二木さんは何をされていましたか?
二木 まだセガに入っていませんね。大学生でただのゲームファンでした。アーケードゲームが好きだったのでセガファンではあったのですが、セガのコンシューマ(家庭用ゲーム)はあまり好きではなく…。元々”アーケードゲーム至上主義”だったので。でもメガドライブは買って持っていました。シャイニング&ザ・ダクネス(1991年3月)は相当遊びましたね。これは本当に大好きでした。

──すると、メガドライブで好きなタイトルを1本挙げるとしたら…。
二木 「シャイダク」ですね。本当に何時間も遊んだゲームでしたので。

──振り返ると、メガドライブはどんな存在でした? 
二木 自分はそこまでメガドライブに思い入れがあったわけではないのですが、ルックス(見た目)がスーパーファミコンとは全然違ったので、セガらしいハードだなあ、とは思っていましたね。

突撃取材⑮・戸崎健司氏──セガとの縁が始まったメガドライブ

『Beep21』ではセガハード開発当時者としてそれぞれのハードの開発者に当時の秘話を訊いていくシリーズ「真・セガハード列伝」のナビゲーターでもある戸崎健司氏もご来場いただき、当時の懐かしい面々と話に花が咲いていました。

▼参考

──近況はどうでしょう?
戸崎 仕事がまた忙しくなって、『Beep21』の連載も書きたいことがいろいろあるのですが、そこは末永くお待ちいただければと思いますので、よろしくお願いします。

──1988年10月はどこで何をされていましたか?
戸崎 お茶みとかですかね(笑)? まだセガに入社して間もないころでしたので、たいしたことはしてない時期だったかもしれません。

──メガドライブで遊ぶことはありました?
戸崎 いっぱい遊んでましたよ。会社にあるソフトでしたが、めぼしいタイトルは、ほぼ遊んだと思います。その中でも1本挙げるとしたら…難しいですが、やはりソニック・ザ・ヘッジホッグ (1991年7月)でしょうか。

──戸崎さんにとって、メガドライブはどんな存在でしたか?
戸崎 セガとの縁はこのメガドライブから始まったと言ってもいいですし、結果的にそれは今でも続いているので、メガドライブには大変感謝してますね。

突撃取材⑯・古代祐三氏──自分を育ててくれたメガドライブ

大トリとして会場入りしたサウンドクリエイターのレジェンド、古代祐三さん。メガドライブの思い出と最新作のメガドライブ対応ソフト「アーシオン」の開発状況も話してくれました。

──古代さん、今日はありがとうございます。最近の近況はやはりあのタイトルですかね?
古代 そうですね。メガドライブ向け新作シューティング「アーシオン」をまさに今作っています。完成度はまだまだ40%くらいです。想定としては、来年(2024年)の春ごろに通して遊べるものができあがるイメージです。

──1988年はメガドライブが発売された年なのですが、そのころは何をされていましたか?
古代 PC88向けに「ザ・スキーム」を作っていた頃ですね。

──メガドライブについては、その頃は何か意識していたとかはありましたか?
古代 ハードとしてスペック的に非常に魅力があるな、という印象を持ったことを覚えてます。FM音源でアーケードと同じようなものが期待できるのかなと思っていたんですが、ローンチのタイトルラインナップはまだ力を発揮できてなかったかもしれませんね…。そのあと「ザ・スーパー忍 (1989年12月)」で接点ができて、「ベア・ナックル (1991年8月)」シリーズの開発につながっていきます。

──古代さんにとって一番思い入れのあるメガドライブタイトルは?
古代 トレジャーさんが開発した幽☆遊☆白書 ~魔強統一戦~ (1994年9月)ですね。メガドライブの中では一番遊びましたし、仲間内で毎日のように夜中ずっと対戦していましたね。自分が関わったタイトルでいうとストーリーオブトア 光を継ぐ者 (1994年12月)です。当時、もうちょっと評価されてもよかったかなと思っていましたが、最近になって再評価されているようで、よかったです。

──今振り返ってみると、古代さんにとってのメガドライブはどんな存在でしょうか?
古代 当時はメガドライブの仕事が圧倒的に多かったので、自分を育ててくれたコンソール(家庭用ゲーム機)だと思っています。自社でソフトを開発していたのも大きかったのですが、メガドライブの時代くらいまでは好きなことが何でもできたというのが大きかったですね。

【後半戦】会場ではゲーム大会やトークショーも!

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