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遠藤正二朗 完全新作連載小説「秘密結社をつくろう!」第13話 ─踏み外した道を歩み直そう!─Chapter1-2


鬼才・遠藤正二朗氏による完全新作連載小説、いよいよ最終話の第13話が開始!

魔法の少女シルキーリップ」「Aランクサンダー」「マリカ 真実の世界」「ひみつ戦隊メタモルV」など、独特の世界観で手にした人の心に深い想いを刻きざんできた鬼才・遠藤正二朗氏。

【遠藤正二朗 (えんどう しょうじろう) 】1970年3月3日生。父親は安部譲二氏。学生時代からその才能を発揮し、中学生にしてコミケデビュー。金子一馬氏と同じアニメ制作会社に在籍し、人気アニメの原画マンも担当。その後、出版社を経て、日本テレネットに入社。「魔法の少女シルキーリップ」「Aランクサンダー」などをメガCDで出し、セガサターンで「メタルファイターMIKU」「マリカ 真実の世界」「ひみつ戦隊メタモルV」などを手がけ、現在も現役として活躍中。現在『Beep21』に完全新作小説「秘密結社をつくろう!(略称:ひみつく)」を毎週連載で執筆!

▼遠藤正二朗氏の近況も含めたロングインタビューはこちらから

『Beep21』では遠藤正二朗氏の完全新作小説を毎週月曜と金曜に配信中!
主人公の山田正一やまだ まさかず
は、ある時『鍵』という形で具現化された強大な力を手に入れる。その力を有効活用するため、主人公のマサカズと弁護士(伊達隼斗|だてはやと)は数奇な運命を歩むことに。底辺にいた男が人生の逆転を目指す物語をぜひご覧ください!

前回までの「ひみつく」は

▼第1話〜7話9章まで無料公開中!!

▼衝撃の展開が描かれる「第7話10章」はこちらから

▼新たに加わる5人の若者とホッパー対抗策が描かれる「第8話」はこちらから

▼ホッパーとの戦いが描かれる「第9話」はこちらから

▼マサカズの逃避行と新たな局面が描かれる「第10話」はこちらから

▼新たな秘密結社の立ち上げが描かれる「第11話」はこちらから

▼北見が率いるキーレンジャーとの戦いが描かれる「第12話」はこちらから

【前回までのあらすじ】ある日、手にした謎の「鍵」によって無敵の身体能力を手に入れた山田正一(やまだ まさかず・29歳)。彼はその大きな力に翻弄ほんろうされる中、気になる存在になりつつあった後輩を失うことになってしまう。最初の事件で縁ができた若き敏腕びんわん弁護士の伊達隼斗(だてはやと)に支えられながら、2人は「力」の有効な使い道について、決意を固め、会社を起業する。まるで秘密結社と思えるような新会社"ナッシングゼロ"に3年ぶりに会う、実の兄・山田雄大が入り込み、マサカズの秘密を知ってしまった彼はそれを暴露ばくろしようとし、最悪の結果を迎えることに。これからはとうな道を進もうとした伊達とマサカズはあるルートからその受注に成功し、新たなミッションをこなす中で、バスジャック犯を撃退する活躍も見せていた。そんな中、マサカズと伊達の元に非常に高い能力を持つホッパー剛という青年が現れる。ホッパーが活躍する中、伊達を凍り付かせる一報が入り、それをきっかけに伊達はマサカズに事業を辞めることを申し出る。そんな中、マサカズはホッパー剛に鍵の秘密と力をたくしてしまい、ゆがんだ暴走の矛先ほこさきは伊達に向けられ、マサカズが駆けつけた時にはもう…。その後、マサカズの元には新たな5人の若者たちが集まっていたが、そこにポッパーが現れ、戦いを挑むが惨敗。ホッパーの追撃をかわしたマサカズは雷轟流らいごうりゅう道場で短期間の修行をし、ある秘策をもってホッパーを撃退する。逃避行の旅に出た先でマサカズは北見という男に出会った後、自らの地元に降り立ち、いまだ自首をしない幼なじみの葉月にあるものを託す。その先にたどり着いた北海道の地でマサカズは異常事態に巻き込まれるが、マスクマンの格好で救出劇をげ、今度は南の地、那覇なはへと降り立ち、そこでマサカズは新たな決意を固める。新たに立ち上げた秘密結社は次々と問題が噴出。無人島から半ば強制送還的に戻ってきたマサカズは自分の部屋の前に倒れているホッパー剛をかくまい、北見とキーレンジャーたちとの戦いを見届ける中、ある秘策をホッパーにさずけるが、ホッパーは致命傷を負い、絶命する。実家に戻ってきたマサカズの元を北見の前で、マサカズはマスターキーを破壊し、日常が戻ったように思えたが…。

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第13話 ─踏み外した道を歩み直そう!─Chapter1

 伴洞雅司ばんどう まさしが横浜港の総合病院を、同僚の新開しんかいと共に訪れたのは、三月も終わりに差しかろうとした、まだ寒風がほおを刺す二十四日月曜日のことだった。
 港湾地帯ならではの、塩と油がブレンドされた空気を、埼玉県出身の伴洞が意識することなく当たり前だと感じられるようになってからすでに三年がっていた。
 雨の中、病院の駐車場でグレーのSUV車から降りた伴洞は、かさを差すこともなく五階建ての病院を見上げた。彼はこの医療施設から車で二十分ほど離れた、神奈川県警の警察署に所属する捜査官で、制服ではなくダウンジャケットやポロシャツといった私服を仕事着とする、いわゆる“刑事”だった。年齢は三十歳で、これまでにもいくつもの事件の捜査を任じられてきた中堅捜査官である。仕事の大半は、事件の“解決”ではなく“処理”であり、出来事の証言を容疑者や被害者、事件を直接目撃したり、事情を知りうると思われる証人などから聞き込み、内容をとりまとめ、証拠と共に検察官に送致するまでが職務となっていた。時折ではあったものの容疑者が不明の事件も担当し、これまで三年のキャリアで数件ほど捜査班に参加したこともあったが、自らの捜査で容疑者にたどり着いたことは一度もない。それらの事件において、容疑者特定の具体的な手柄てがらは上司や同僚たちが立て、自分は聞き込みに同行したり、資料を作成したり、裏付けを取ったりと補助的な職務を主にこなし続け、それはそれでいいと考えるほど、伴洞は功名心こうみょうしんに欲のない青年だった。
 伴洞は新開ともに病院に足を踏み入れた。無骨ぶこつなスポーツ刈りに、手足が短くずんぐりとした体型の伴洞は、所属する捜査課が仮にドラマの舞台として取り扱われた場合、自分が決して主役になれるような容姿ではないことをよくわかっていた。キャラクターとしての自分は、主人公の良き相談相手、といったポジションが適当だろうと思われる。そして常に行動を共にしている着た新開しんかいは二十五歳の若手で、自分などよりずっと均整のとれた長身にイタリア製の革ジャケットを着込んでいた。足も長く、つやのあるさらさらな髪をし、さわやかな笑顔が似合う、モデルと見まごうほどの美男子だった。伴洞から見れば、後ろに続いて病院の廊下ろうかを進む彼は、主人公をになう外見に相応ふさわしいと思えた。この仕事にくまで、自他の容姿に対してさほどの興味をいだかなかった伴洞だったが、人相や身だしなみを観察することが、捜査の“アタリ”をつける最短距離だと学んでからは、顔立ちや髪型、体型や着衣などにできるだけ関心を寄せるよう心がけていた。
 四階の個室までやってきた二人は、ノックと応答ののち、部屋に入った。

 ベッドには、身体からだを起こした若い女性がいた。彼女は入室に気づくと、引きつった笑みを伴洞たちに向けてきた。女性はベージュの病衣姿で、左腕はひじから先がギプスで固定されていた。伴洞は彼女のそばまで行くと、ふところから身分証を取り出し、それを見せた。
「事故の被害者として、お話をいくつか聞かせてもらいに神奈川県警から来ました」
 伴洞がそう挨拶あいさつすると、女性は静かにこくりとうなづいた。
 彼女は横浜市内で発生した、ビル倒壊事故の被害者のひとりだった。名前は浅海瀬利あさみ せり、二十五歳で職業は解体業者の作業従業員で正規雇用されている。髪は肩まで伸ばし、化粧のない素顔はありふれた容姿だったが、伴洞は痩身そうしんの彼女から生命力にとぼしい弱々しさを感じた。言うまでもなく、大怪我けがを負い入院している以上、理由はその点が大きいはずで、普段はここまで消え入りそうな印象は受けないはずだ。あまり観察が過ぎると相手が緊張する、そう判断した伴洞はいったん視線をらした。
 浅海が入院する理由となった原因とは、自身も参加した七階建ての雑居ビル取り壊しにて発生した倒壊事故によって負わされた怪我けがによるものだった。
 老朽化のため取り壊し作業が進められていたところ、誰もが想定していなかった崩落と倒壊が突然起きた。粛々しゅくしゅくとその姿を消すはずだった古びた建造物は、あたかもこわされることに対する抗議のごとく、轟音ごうおんを上げくずれ落ち、作業中だった関係者たちは急変した絶望的な環境になぶられ、それぞれが生存に直結する被害を受けた。
 結果として死者五名、浅海も含めた重軽傷者は十三名となり、ある者は高所から地面に転落し、ある者は瓦礫がれきのシャワーに身をさらされ、ある者は新たに生み出されたコンクリートと鉄骨の牢屋ろうやに閉じ込められた。浅海はその中でも閉所に取り残された者のひとりで、積み重なる瓦礫のわずかな空間に加害者なき拘禁こうきんいられることになった。左腕はひじから先が瓦礫で圧迫され血のを失い、救急隊員が発見した際には壊死えし寸前といった危機的な状態におちいっていたのだと、伴洞は消防からの報告書によって存知していた。
 ここまでの情報は、彼女のすぐ近くで作業をし、事故で軽傷を負った労働者の証言によるものである。つまり、浅海が瓦礫がれきおりとらわれるまでの場面が証言されている。問題は、その彼女がなぜいまこうして病院のベッドにいるのかだ。消防から提出された記録には、浅海瀬利は事故現場付近で仰向あおむけになっていたところを、到着した消防の特殊部隊によって事故発生二時間後に発見、保護された、といった内容がしるされていた。
 事故は作業の手違いや見込みの甘さによって発生した、といった見立てで捜査は進んでいる。当然のことながら浅海に対してもその点について証言を求めるべきだったが、伴洞はそれよりも先に、労働者の証言と発見状況の空白点、浅海が誰からいかなる方法で救助をされたのかについて、話を聞いておくべきだと考えていた。そのアプローチについて昨晩、新開に居酒屋で相談してみたところ、イケメン刑事デカの彼はロックの焼酎しょうちゅうのグラスを楽しそうにゆらゆらとかかげ「面白いことになるといいですね」と、賛同とも他人事ともとれるような言葉を返してきたので、伴洞はやはりこの若手とは相性が今ひとつなのだとあらためて知ってしまった。
「事故発生後の状況についてですが……」
 そう切り出し、伴洞は浅海から当時の出来事を聞き込んだ。途中、新開は署からの呼び出しがあり、病室から出て行ったが、よくあることなので伴洞は特に気にすることはなかった。

 伴洞にとって、浅海の証言は耳を疑う内容だった。

「気がつけば瓦礫がれきの下敷き……というか、ちょっとした隙間すきまがあったので左手以外は大丈夫だったのですけど……閉じ込められてしまいました。あ、ダメかなって。一番大きな、胸から頭にかけてふさいでるのが今すぐにも私に崩れ落ちてきそうで。それから時間にして一時間ぐらいでしょうか? そうしたら、その危ない瓦礫が突然動いたんです。なんですか? こう、炊飯器のふたが開くように軽々とどかされるって感じで、そしたら、誰かがいたんです。立って。黒いシャツにジーンズです。なによりもです、プロレスみたいなマスクをしてたんです! その人は私の近くまでやっくると私を、えっと……お姫様さまっこ? してくれて、その場からんだんです。あの、アニメのやつみたく! そして、そっと私を置いて、また跳んでいったんです」

 “プロレスマスクの人物”について語る時だけ、浅海の口調は確かで、表情からは生気があふれ、それまでのはかなげな印象は消え去っていた。おそらくではあるが、これが彼女の普段なはずだ。伴洞はそう推理し、証言者への印象を修正した。
 浅海の言っている内容は、結果だけを照らし合わせれば消防の記録と一致する。それでもこの証言が示す救助過程は、伴洞にとってあまりにも現実味にとぼしい内容だった。消防は浅海を救助していないので、瓦礫を撤去して彼女を保護現場まで移送した人物は、当時事故現場にいた被害者の可能性が最も高い。だが、当時の状況を考えれば、全員が死傷していたせいもあって候補としては適当ではなく、なによりも救助を行ったといった証言はまだ取れていない。そうなると善意の第三者といった見込みも浮上するが、あまりにも作業の手際がよく、民間人の仕業だとしたらその存在に不気味ぶきみさすら覚えてしまう。伴洞は辻褄つじつまの合わない状況と結果に対して明確な解答にたどり着けず、四角いあごに太い指を当て、うなり声をらした。
「伴洞さん」
 病室に戻ってきた新開が、入り口近くで伴洞に手招てまねきをした。伴洞はそれに応じて入り口まで向かい、耳を新開の口元に寄せた。
「どうした?」
「課長からです。本件ですが、一度捜査方針の見直しが必要ですって」
 捜査方針については三日前、合同捜査会議の席でとうに決められていた。伴洞は新開の報告があまりにも不可解だったため、腰に手を当てて彼の顔をのぞき込んだ。
「はぁ? なんだそりゃ。何かあったのかよ?」
「公安からです。この件についてはあっちでシナリオを書くので、それに沿った捜査でまとめ上げて欲しいとのことです」
 先輩の捜査官から、捜査の際に公安の横やりが入ることもあるとは聞いていた。しかしそれは大抵たいていの場合、国際的なテロ事件や、国家転覆を企む思想犯がからんだ事件が該当し、本件のようにそもそも事件かどうかも現時点ではあやしい、ビル倒壊事故に対して介入してくるのは釈然しゃくぜんとしない。そうではあるものの、こうなってしまうとひとまずは公安からの捜査方針を待つ必要があり、これ以上浅海から聴取ちょうしゅするのはルールから逸脱いつだつしてしまう。伴洞は気味の悪さを覚えつつ、病室からの撤収を決めた。雨音は強まり、風向きが変わったのか、水滴が窓を強く打ち付けていた。

 病院での聞き込みから一週間がった。公安からの捜査方針はまだ届いておらず、伴洞は上司の課長に対して本事件を巡る状況の異常性を主張してみたが、いつもは手順に誠実かつ厳格で、部下たちからはかたくな性格で融通ゆうづうかないと言われている課長が、この件についてはどうにも歯切れが悪く、同調を得られることはできなかった。
 浅海の証言は伴洞の中で日に日に存在感を大きくふくらませていき、彼はルールから少しだけ踏み出し、プライベートにてるはずの時間をき、独自に聞き込み捜査を始めることにした。
 まず、事故当時に浅海が閉じ込められた事故現場の目撃証言を集めることにした。伴洞は病院を渡り歩き、解体作業者たちに聞き込みを行った。そうしたところ、プロレスのマスクをけた正体不明の人物について、目撃証言が複数人から得られた。軽い気持ちからたんを発した、新開をともなわない単独行動だったが、二日もすると伴洞はすっかり興味本位のとりこになり、証人たちからマスクの形状を詳細に求めたり、どういった形で現場に現れたのかを聞いたりと、信じがたい存在の輪郭りんかくを夢中になって明確にしようとしていた。

 その日の夜、伴洞は横浜市街のバッティングセンターでバットをにぎり、機械が放つボールを基本に忠実な堅実かつ力強いフォームで打ち返していた。周囲からは断続的に快音が響き、伴洞にとってそれは攻撃側としては心がおどり、守備側としては緊張が走る音だった。中学生から高校生にかけ野球部に所属していた伴洞は、刑事になった現在でも月に二度はこの施設を訪れ、一時間は汗を流すのを趣味としていた。
 今日は単独での聞き込みで六人目の証人となる、事故現場近くまで買い物で訪れていた主婦から興味深い証言が取れた。倒壊したビルの近くにあった電柱にプロレスマスクの男が空から舞い降り、事故現場に向けて跳躍ちょうやくした。まるでそれはアニメで見た忍者のようだったと、アパートのせまい玄関でその主婦は、子供のように興奮した様子で証言してくれた。
 面白い。尋常じんじょうならざる特異な能力を持った人物がこの世に存在する。浅海の命を左右していた、何者かが撤去したと思われる瓦礫も捜査の結果、とてもではないが人間の腕力で撤去できる重量ではなく、跳躍能力はいかなる陸上選手をも凌駕りょうがしている。なんとかしてその正体を突き止めたい。マシンが発射したボールに向かってバットを振った伴洞は、快音に口の端をり上げた。かつて男の子だったころ、漫画やテレビから得られた興奮がよみがえろうとしている。人命救助をしているのだから、この国の平和をおびやかす者ではないはずだ。無論むろん、油断はできず、これまでの経験から警戒心のたては常に構えてはいるものの、どうしても子供じみた期待に胸が躍ってしまう。“伴洞刑事”などといったキャラクターとして、ヒーローの協力者として周囲から、えない人物といった扱いをされてはいるものの、好漢としてたよられているもうひとつの自分の姿が浮かび上がってしまう。我ながら想像力がたくましいものだ。伴洞は、興奮と自嘲じちょうのカクテルをたのしみながらバットの先を地面に着けた。
「バッティングセンターでバントの練習する人っているんですかね?」
 伴洞の背中に、そのような質問が浴びせられた。「いますよ。私も学生の頃は……」そう言いながら伴洞が振り返ると、緑色のネット越しにひとりの男が目に入った。休憩きゅうけいエリアの椅子いすに長身を丸めて腰掛け、おにぎりを手にした男は自分とそれほど変わらない年齢だと思われる。スーツ姿で、眠そうな目をしてあごには無精髭ぶしょうひげがわがままにえ放題だった。彼から“まともではない”何かをすぐに察した伴洞は、バットを手にしたままネットを越え、男に近づいていった。男は大きく欠伸あくびをすると、丸い握り飯にかじりついた。
「どなたですか?」
「こういう者です」
 男はふところから革製の小さなケースを取り出すと、そこから名刺を取り出して伴洞に差し出した。名刺には『東京区検察庁刑事部 検察官 北見史郎』などとしるされていた。名刺を確認する伴洞に対して、北見は上着のポケットから検察官のみが所持を許可された、秋霜烈日章しゅうそうれつじつと呼ばれる官製のカラフルなバッジを出した。彼は苦々しげに目を細めると、ほおを引きつらせて人の悪い笑みを浮かべ、バッジを見せつけるようにリズミカルに手を前後させた。
 伴洞はバットをえ付けのケースに戻すと、スポーツバッグからタオルを取り出し、ひたいの汗をぬぐった。第一印象としてこの北見なる人物は、態度から露悪ろあく的な気質きしつうかがい知れる。伴洞は応対に用心を重ねる必要を感じ、頭の中にフローチャートを用意した。
「なんだ? なんで東京地検が?」
「あのですね、伴洞さん。あなたちょっと勝手に動きすぎ。だからボク、くぎを刺しに来ました」
「話が見えませんね。なんだって東京地検が私に?」
「あー、この際、地検はムシしてもらえませんかねぇ」
 わからないことを言う男だ。伴洞は北見の訪問意図が一向に見えてこないことに、じりじりとした苛立いらだちを覚えたが、それを表には出さず強い意思で態度を補強した。彼は拳を作り、北見と名乗る、よれたスーツ姿の男に向かって分厚い胸を張った。
「用件はなんだ?」
「これです」
 北見はそう言うと、足元にあった革のビジネスバッグからクリアファイルを取り出した。
「なんだそれは」
「公安からのシナリオです。いまごろ別口であんたのボスのとこにも同じものが届いてます。国家公安委員会委員長の署名捺印なついん済みの正真正銘しょうしんしょうめいってヤツだ」
 言葉をくずし、北見は少しばかり品のない笑いを浮かべると、ファイルを伴洞に渡した。受け取った伴洞が中の書類を確認してみたところ、確かに書式は正式なものとして整っていて、偽物にせものとは疑いづらい。しかし、問題はその内容だった。『捜査方針要望書』と題された書類には、倒壊事件についての捜査方針が記されていたが、おおむねについては自分たち捜査班が合意したものと同じだったが、数多くの被害者の中にあって浅海瀬利の件だけ、特記事項が記載されていた。

 “ビルの倒壊の被害者浅海瀬利について、以下の捜査方針を強く要望する。浅海は二次崩落の際、頭上の瓦礫がれきが偶然崩れ、倒壊現場から自力にて脱出できたものと見られる。あるいは周辺にいた現場作業員、もしくは救急隊員、そうでなければ第三者の民間人が救出した可能性もあるが、当時の混乱した状況で、個人の特定は困難であり、事故の本質とは関係性が薄いため、浅海瀬利については被害状況の認定を優先して捜査を進めることを望む。”

 それは、とてもではないが承服しかねる記載内容だった。伴洞は、座ったまま握り飯を頬張る北見をにらみ付け、持っていたファイルを投げつけた。これはフローチャートにない選択肢だったが、思わず感情が先走ってしまった。ファイルは米粒をこびりつかせ、北見の足元に落ちた。それでも北見は黙々もくもくと握り飯にかじりつき、とうとうそのすべてを胃袋に収めてしまった。
「このシナリオ以外、あんたのとこの地検も受付ねぇことになってる。だからマスク野郎の捜査は打ち切ってくれ」
「だとしてもだ、なんだって地検のあんたが公安の命令書を持ってくる? いよいよをもって、わけわかんねぇぞ」
「あー、なんか、この半年でえらいごちゃごちゃしちゃってて、組織関係とかもうあってないようなもんで、ボクが一番詳しいって理由で、便利屋か? って言いたいですよ~」
 北見はおどけ混じりに愚痴ぐちをこぼすと、かばんからお茶のペットボトルを出した。
「プロレスマスクの件、公安が握り済みってことか?」
「さー、それはどーでしょーか。ボクの口からはなんとも言えませんね。ただね、このたぐいってウチじゃ『Y案件』って呼んでるんですけど、そいつについてはボクの書いたこのシナリオ通りの捜査と、必要によっちゃ起訴するっていう、そんなルールが決まったんですよ、二ヶ月前に。ボク、文才なんてこれっぽっちもないのに。ひどいと思いません?」
 ふざけるように手をひらひらと泳がせると、北見はお茶をごくごくとあおった。
「『Y案件』? なんの“Y”なんだ?」
 北見の言葉に従うのはどうにもしゃくさわるが、公僕こうぼくとしてキャリアをもうとしている伴洞は、基本的な方針として上に位置する者からの要請や命令にさからうつもりはなかった。そうではあったものの、そのアルファベットがなにかの略称なのか、意味程度は知りたい欲求が心の内からふくらもうとしていた。北見は顔を思い切りしかめると、後頭部をいた。
「まー、そんぐらいならいいか。“Y”ってね、あんたが振ってたそのバットとかと関係してるかもねぇ。四番打者な」
 バットケースに振り返った伴洞だったが、言葉の意味をまったく理解しかねていた。北見は椅子いすから立ち上がると、かばんを手にした。
「横浜の野球好きなら、ピンときやがれって。まぁ、ボクたち世代だとちょっと古い漫画になっちまうけどさ」
 再び手をひらひらと泳がせると、北見は軽やかな足取りでバッティングセンターから姿を消していった。
 ようやく思い当たった伴洞は、「明訓めいくんの山田?」とつぶやき、下唇したくちびるをにゅっと突き出し、ゆっくりと大きく首をかしげた。

第13話 ─踏み外した道を歩み直そう!─Chapter2

 東京駅の大型駅弁販売店『うたげ』には、常に二百種類を超える駅弁が販売され、旅のお供を求める利用客たちによって早朝から夜の閉店までにぎわっていた。この日の午後五時、その混雑の中で頭一つ抜けた長身だったスーツ姿の北見は、すり足でのろのろとナメクジのように販売ブースを進んでいた。彼は顔をくしゃくしゃにしかめ、ひたいから脂汗あぶらあせを浮かび上がらせ、河豚ふぐのようにほおを含まらせ口先をとがらせていた。誰が見ても彼が苦しみの中にあったのは明らかで、事実、北見の胸の内では駅弁のパッケージが激しい陸戦をり広げていた。
 『ベーシックチキン弁当』がクチバシで銀だらと卵焼きをついばみ、『まったくもって牛だらけ』が角で鶏を串刺しにし、『三元豚さんげんとんのロースカツ弁当』が突進して、正面からの頭突きで猛牛のあごをすくい上げる。激戦は、北見が勝敗を決める権利を有していたのだが、二百もの軍勢がところ狭しと入り乱れては即座に冷静な軍配が上げられるはずもなかった。しかも、チケットを取った東海道新幹線が出発するまでもう二十分もない。彼は緊張でおぼろげになってしまっていた視覚情報だけをたよりに、目についた弁当を二つ手に取り、レジに向かった。

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