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『Beep21』川口博史(Hiro師匠)インタビュー 『セガハードヒストリア』コンプリート版
セガの体感ゲームの名作で数々の名曲を生み出したHiro師匠。『Beep21』で開始予定の新連載「Hiro Maniax ─セガ サウンド ヒストリア─」でそれぞれの楽曲の詳しいエピソードを語る前段として『セガハードヒストリア』で掲載されたインタビューのコンプリート版をお届けする。
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最初はサウンドではなくプログラマーだった
──1984年にセガに入社した当時はどんな感じで?
Hiro師匠 セガ・マークⅢが発売される前、まだSG-1000の時ですね。僕は中(裕司)と同期で、最初は研修目的で上司から「女の子向けのゲームを作りなさい」と言われ、中と2人で相談しながら作った作品が「ガールズガーデン」でした。最初は2人しかいなかったので、デザインも自分で描いてて、サウンドはまだ入ってなかったんですが、作っているうちに、だんだん「これは面白いゲームだ」ということで、製品にしようと途中からなって。そこから、デザイナーとサウンド担当も追加で参加しました。
──最初の頃はサウンド(クリエイター)ではなく、いちプログラマーだった?
Hiro師匠 (セガの)面接の時は「ゲームの音をやりたいです!」と言ったんですけど、入社したらプログラマーになっていました。実は学生時代は、いろんなゲームプログラム雑誌に自作ゲームを投稿してたりして、何度か(誌面に)掲載もされてたんですね。それを面接の時に話したら、プログラマーになってました。
──セガに入ったということは、ゲームも当時は結構遊ぶほうだったんですか?
Hiro師匠 市販のゲームは実はあまり遊んでいませんでした。ファミコンもほとんど遊んでないですし、ゲームセンターにもたまに行く程度でやり込むことはありませんでした。中学生の頃「スペースインベーダー(1978年)」が大ブームになったんですが、全くハマりませんでした。100円がすごくもったいないと感じてしまって。だったら自分で(ゲームを)作ればいいじゃないか!という発想でした。
──ゲームのサウンドとHiro師匠の接点というと?
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