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遠藤正二朗 完全新作連載小説「秘密結社をつくろう!」第7話 ─バッタの力を借りてみよう!─ Chapter5-6
前回までの「ひみつく」は
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【前回までのあらすじ】
ある日、手にした謎の「鍵」によって無敵の身体能力を手に入れた山田正一(やまだ まさかず・28歳)。彼はその大きな力に翻弄される中、気になる存在になりつつあった後輩を失うことになってしまう。最初の事件で縁ができた若き敏腕弁護士の伊達隼斗(だてはやと)に支えられながら、2人は「力」の有効な使い道について、決意を固め、会社を起業する。まるで秘密結社と思えるような新会社"ナッシングゼロ"に3年ぶりに会う、実の兄・山田雄大が入り込み、マサカズの秘密を知ってしまった彼はそれを暴露しようとし、最悪の結果を迎えることに。これからは真っ当な道を進もうとした伊達とマサカズはあるルートからその受注に成功し、新たなミッションをこなす中で、バスジャック犯を撃退する活躍も見せていた。そんな中、マサカズと伊達の元に非常に高い能力を持つホッパー剛という青年が現れる。ホッパーが活躍する中、伊達を凍り付かせる一報が入る…。
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第7話 ─バッタの力を借りてみよう!─Chapter5
これで三度目になる。道場のよく磨かれた板の上で、得体の知れない相手と対するのは。ライダースジャケットを瓜原に預け、Yシャツにデニムのジーンズ姿のマサカズは、今回はこの喜劇を如何なる形で決着させようかと考えを巡らせていた。目の前にいる胴着に袴姿の老人は、対したときから薄笑いを浮かべていて、態度に余裕が感じられる。おそらくだが、己の勝利を確信しているのだろう。きのうまでの土砂降りは今朝になってすっかり止み、道場の窓からは柔らかい陽光が差し込んでいた。どうにもモヤモヤとする。マサカズはその心地の悪さがどこからきているのか、なんとなくだがわかっていた。
こうなってしまったきっかけは、庭石の火葬から三日前まで遡る。その日の仕事を終え、地元の小岩駅まで帰ってきたマサカズは行きつけのラーメン店でワンタン麺を注文した。そろそろ引越をしてもいいかもしれない。アルバイト時代から月収は三倍増しているので、もう少し代々木の事務所に近く、例えば伊達が暮らす飯田橋辺りなどどうだろうか。マサカズはラーメン屋での夕飯を終え、そのようなことをなんとなく考えながら自宅アパートの近くの路地を歩いていた。すると、横に並んだ三つの大きな肉体の塊に突然出くわしたので、思わず足を止めてしまった。塊は、三人の大男だった。いずれもが地に伏し土下座をし、額をアスファルトに擦りつけていた。街灯に照らされていた彼らをよく見ると、右は入れ墨だらけで、中央は黒い短髪で、左は禿頭であり、マサカズにとってどれも見覚えのある頭部だったので、彼は怪訝そうな声で「えー?」と漏らした。
「山田クン! 一生の頼みだ! 聞いてくれないか!」
中央の短髪、真山がそう嘆願してきた。マサカズは真山の前にしゃがみ込んだ。
「あなたたちとのあれこれは、隣にいるタヌキ拳法とのことで終わりでしょ。だって、おたくの業界じゃ、このひと神様なんでしょ。最強なんでしょ?」
禿頭を睨み付け、マサカズは怒気交じりにそう抗議した。
「更にだ! この神をも越える超武神と呼ばれるお方が、山田クンの存在を知ってしまったのだ! だから、キミは戦わなければならん!」
「やです」
「超武神、海野示現様は、一度戦いたいと願った相手とは必ず戦るお方だ!」
「知りません。僕はやりません。だって、僕になんのメリットもないんですよ」
「それは違う! 超武神と手合わせするなど、武人としては僥倖としか言いようがない! 事実、ここ五年であの方と真剣勝負をしたのは、この狸王拳、尾之花紅化殿ひとりしかおらぬのだ!」
真山の左隣にいた禿頭は、「ケチョンケチョンにやられた……」と低い声で呟いた。先ほどから連呼される“超武神”という呼称は安っぽく、伝統や歴史を感じられず、いかにもこの界隈でつい先日貼られたラベルなのだろう。これ以上関わり合いたくないマサカズは、更に強く反発することにした。
「もうムチャクチャです。僕は武人とかじゃないし、お金にもならない!」
「百万円……勝っても負けても……どうだ?」
真山の申し出にマサカズは「いりません!」と即答した。すると右端の瓜原が顔を上げた。入れ墨だらけのその表情は苦悶に満ちていて、目は涙で潤んでいた。
「頼むよ山田さん! 超武神はワイらの世界では超、影響力ありまくりで、お願いを実現できなかったら、真山さんの業界での立場がググっと悪くなるんスよ! スポンサーとか剥がされたり、海外の大会でいいホテルとれなくなったり」
「格闘技界でもそういうのって、あるの? なんか、芸能界とか、政治の世界みたいなの」
マサカズの言葉に、真山は頭を上げた。
「誠にお恥ずかしい限りだ。我々の世界でなによりも勝るのは、いち個人のエゴだ。そして、武とエゴの強さは比例する」
つまり、自分が戦いを受けなければ、真山はその実力とは関係なく空手界での立場が危うくなってしまう。マサカズはひとまずそこまで理解した。すると、三人目の禿頭が、のっそりとした挙動で顔を上げた。彼は十一月終盤であるにも関わらず、半袖のアロハシャツに短パン姿だった。
「自分も真山もお前に負けた。超武神はお前に興味を抱いた。どの程度の武人なのかを」
「なら、闇討ちでもなんでも先方から仕掛けてくりゃいいのに」
「超武神は衆人の元での仕合をご希望している」
尾之花の言葉に、マサカズはちりちり頭をひと掻きすると、ため息交じりに「はい」と答えた。
神をも越える“超武神”海野示現との戦いを引き受けることになってしまった。今回はいかなる怪物が現れるのだろうか。身長は二メートルを超え、長髪で常に悪魔のような笑みをたたえ、両手を鷲のように広げて威圧してくる人ならざる者。対戦相手をそのように想像した上でその翌日、伊達に相談してみたところ、海野示現とは齢九十を越える小柄な老人で、合気道の達人とのことだった。伊達はプロレス好きが高じて格闘技関係にもある程度の知見があったので、マサカズが超武神と戦うと知ってから、一週間も猶予がなかったものの、できうる限りの情報を集めてくれた。
確かに、目の前にいるのは皺だらけの長い白髪の老人だ。解像度の低い動画において、彼が屈強そうな門下生を次々と転ばせていくのは見たものの、大男たちがこの小さな老人に太刀打ちできない様は、どうにもやらせをしているようにしか見えず、真山たちが畏怖する“超武神”なる存在だとは素直に受け入れられなかった。
「山田クン! いったんさがりたまえ!」
壁際にいた胴着姿の真山がそう叫んだ。
「キミはいま、こう思っているだろう。“かように華奢な老体が自分の攻撃に耐えきれるはずがない”と」
「ど、どうなんでしょう」
「百聞は一見にしかず。だ! 瓜原クン! まずはキミが超武神と手合わせしてくれ! 海野様、よろしいでしょうか?」
真山に促されたジャージ姿の瓜原は即座に立ち上がり、海野は静かに小さく、どこか他人事のように素っ気なく頷いた。勝手に進行していく事態にうんざりしながらもマサカズは瓜原と居場所を入れ替わった。
スーパー銭湯の着替え場で食らった右ストレートが、老体に向け繰り出された。質量にして倍以上はあるかと思われる体格差から考えると、命中すれば軽傷では済まないだろう。しかし次の瞬間、瓜原の巨体は宙に舞い、彼は背中から床板に叩きつけられた。対する海野は薄笑いを浮かべたまま、いつの間にか左手を前に出しており、マサカズには一体なにが起きたのか皆目見当もつかなかった。瓜原は身体を起こすと海野に土下座し、「ご指導、ありがとうございました!」と叫び、壁際へと引き返していった。
「くぅぅぅ……ワイなんて子供扱いっスよ~」
頭を掻き照れ笑いを浮かべて、瓜原はマサカズにそう言った。
「山田クン! 強さとは何だ!? 強さとは決して破壊力ではない! 勝たせないことが真の強さなのだ!」
続いた一方通行な問いと答えは真山からだった。マサカズは心底うんざりし、首を傾げた。
「それって、負けないってことです?」
「なにもせず、戦わずでも不敗は誇れる。だが、常勝とは戦った結果なのだ。強さの証なのだ!」
真山の言っていることは明らかに言葉遊びだ。戦わない者を不敗と認めるのは無理がある。だが、マサカズはその反論を口にするのも億劫に感じていた。
「伝統を重ねた末、海野様が辿り着いた境地をキミは体感する! 光栄だと思いたまえ!」
勝負の行方を見守る雷轟流空手門下生たちの緊張が、気配で伝わってくる。しかし、この空気を弛緩させる術をマサカズは持っていなかった。なぜなら、今回は勝負を始めること自体が困難だったからだ。
伊達からのレクチャーで、合気道というものの概念を知ってしまった。この伝統武術は基本的には、対する者の攻撃を返すことで成立する。先制攻撃もあるのだが、狸王拳のような体力を消耗する苛烈な技はない。相手の攻撃を呼吸と体裁きで対応し、無力化することを是としている。だが、鍵の攻撃力は人間の領域を遙かに超えているので、超武神といえども対処は不可能であり、下手をすれば大怪我を負わせる可能性もある。改めて老人と対したマサカズは、顎をゆっくりと下げた。
あれ、負けるって選択肢もありだろ?
そう、真山に対しては攻撃を要求されたから仕方がなかった。狸王拳は葉月との思い出に浸っているうちに、相手が勝手に消耗しきって終わっていた。先の二戦は一応勝利したと言ってもいいのだが、たとえば今回は鍵を使わず、スポーツジムで囓った打撃を仕掛け、先ほどの瓜原のように床に打ち付けられる、というのはどうだろう。そうすればこの馬鹿げた場面も終わってくれる。そう、負けてしまえばいい。そもそも“武人”ではないのだから、三戦目にして負けたところでなにも失うものはない。
だが、その正しい結論に対して、マサカズはその場に正座するという矛盾した行動をとった。真山や門下生たちは彼の奇行とも言うべき座り込みに、大きくどよめいた。
「ごめんなさい。僕、なにしてるんでしょうね。自分でもちょっとわかりません」
「戦わずに済むのなら、それはとても優しい世界だ」
老人は薄笑いを崩さず、やや鼻にかかった声でそう言うと、マサカズの向かいに胡座をかいた。
「初対面で失礼だと思うのですが、僕はあなたが嫌いです」
「ほう」
失敬だと思われる物言いに対しても神を越えた神は、天空から統べるべき者のように余裕を纏ったままだった。
「にわかですけど、合気道って暴力を制する武術なんでしょ? なのにあなたは真山さんを脅迫してこの戦いをセッティングさせた。なにが余裕ぶっこいて“優しい世界だ”ですよ。ただのクソジジイって感じです。ムカつきます。もちろん、こんなこと言えるのも僕が絶対に負けないって自信があるからなんですけど」
ペラペラとよく喋る。マサカズは自分に呆れてしまっていたが、モヤモヤとした気持ちを言葉にできたので心地はよかった。
「あ、そう言えばルールってどうなってるんでしたっけ? 転んだら負け? 相撲みたいに。なら、僕に勝ち目はないかも」
バスジャックの際にわかったのだが、鍵の力を以てしても重力自体には逆らえず、振動などがあった場合転倒は避けられない。もちろん、それで怪我をすることはないのだが、スポーツとしてのルールがそれを負けとするのなら、敗北もあり得る。
そこまで考えてみて、マサカズはようやくわかった。自分は負けたくないのだ。負けてもかまわないはずなのに。いや、勝てる条件を満たしている以上、負けてはならないのだ。ここで手を抜いて負けてしまえば、今後別のことでも負けてもいいといった、諦めの選択肢に心が傾いてしまう。鍵を手に入れる前は条件をクリアできること自体が稀だったので、ほとんどのケースで“負ける”の一択だった。しかし、今は違う。雨の中落ちていく七浦葵が、喉を詰まらせ吐瀉物まみれで果てていく兄が、それぞれの死の光景が浮かんだ。諦めてしまうことで、もう、あのような失敗は繰り返したくない。そう、選挙演説の警護で自分に気づける異変があれば、迷いなく鍵の力でそれを制して命を護る。その判断を研ぎ澄ますためにも、勝てる勝負を落とすことはできない。あのとき、躊躇がなかったホッパーは正しかったのかもしれない。彼も総合格闘技の世界で、これまでに何度も勝つための選択を迷いなく下してきたはずだ。ならば、自分も。マサカズは三度目の経験で初めて、闘志というものが内から沸いてくるのがわかった。
そして、ルールに対して超武神からの返答はなかった。彼の顔からはいつの間にか笑みは消え、歯ぎしりの鈍い音が響き、胸に皺だらけの右手を当て、わなわなと震えていた。
「だ、大丈夫ですか? 僕、言い過ぎですかね?」
老人は返答もせず、震えながら立ち上がると突然、血と泡を吹き出してマサカズの前に倒れ込んだ。どうやら意識を失っている様である。
「ふ、触れずにして、超武神を制した……だと!?」
「ワイもビックリですわ~!」
真山と瓜原の呑気なやりとりに、マサカズは鋭い眼光を向けた。
「超武神、血と泡を吹いてます! 危険です! 救急車を呼んでください!」
マサカズの叫びに、ポニーテールに髪をまとめた道場生の少女がスマートフォンを取り出した。マサカズは立ち上がると、うつ伏せになっている老いた上体を抱き起こした。
「山田クン! キミの勝利だ!」
興奮した様子で真山がやってきた。それに続き、タオルを手にした瓜原が超武神の口を拭った。
「生きてるっスね。超武神。負けたけど」
マサカズは瓜原を睨みつけた。
「あのさ、いちいちおかしくない? こんなの勝負でもなんでもない。僕はなにもしちゃいない。この超武神は、なんか……持病とかで倒れただけだ」
「いや、山田クン。これはキミの勝利ということにさせてくれ」
神を越えた神。さらにそれを越えた山田正一に敗北したということなら、自分たちの面子も保たれるということだろうか。この考え方も伊達のアドバイスによるものだったが、真山の頑なな態度から察するに、それは正解だと思えた。
「まだ、上はいるんですか?」
瓜原に老体を預けたマサカズは、真山と向き合った。
「いや、もう天井だ」
「なら、終わりなんですよね。期待の新人が腕試ししたいとか、そういうのはナシですよ」
「ああ、キミは超武神を越えた。武人としての頂点を極めたのだ」
勝ってはいないが、負けずに済んだ。それがマサカズの認識だった。今回は伊達からのアドバイスや情報提供が多かったので、いくつかの心構えができた。それに感謝しながら、到着した救急隊員たちと入れ替わるように彼は道場を後にした。
第7話 ─バッタの力を借りてみよう!─Chapter6
彼がこの自宅アパートを訪ねてきたのは、起業前の夏以来のことになる。マサカズは目の前で片膝を立てて佇む伊達から、重苦しさを伴う決意のようなものを感じていた。超武神が救急搬送された翌日、十一月末日の今日、伊達は珍しく会社を休んでいた。仕事を終え、中華料理店で夕飯を済ませ帰宅したところ、ヘルメットを抱えた彼がアパートの前で待っていた。なぜ事前の連絡がないのか、マサカズは疑問を口にしたが、明確な返答は得られず、その時点で異変は感じられた。
庭石の訃報に際して、彼は自我を壊し狼狽の極みに達していたが、早退させた次の朝には復調した様子で、従来の毅然として時にはユーモアを漂わせるいつもの伊達隼斗に戻っていた。超武神との戦いに対しても積極的に情報を集め、合気道に関する基礎知識を伝えてくれたおかげで心構えもできた。その際、伊達はとても楽しげで、ゲームの攻略をするような気分だとも言っていた。
「瓜原さんからメッセージが来たんですけど、超武神、心臓発作だったそうです。命に別状はないってことで安心です。なんか、僕とのやりとりで極度の緊張状態に陥ったって感じらしいです。瓜原は、“だからあんさんの勝利ですわ”なんて言ってますけど、何がどうなるかなんて、予想できないですよね」
取りあえず、言葉を口にしてみる。黙ったまま睨むように見つめてくる伊達に、マサカズはあくまで平静を保とうとした。
「マサカズ。突然ですまない」
ようやく、仏頂面が口を開いた。
「もう、辞めよう」
単純すぎる言葉だった。だからこそ、そこに含まれる意味はあまりにも広かった。マサカズはちりちり頭をひと掻きすると、「辞める?」と返した。
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