Hiro Maniax ─セガ サウンド ヒストリア─01 セガ入社前 : 創造の原点
はじめに
こんにちは! セガのHiroです。私のセガ40年史となる回顧録「Hiro Maniax ─セガ サウンド ヒストリア─」がいよいよ始まりました!
最初は自分で文章を書く形で執筆をBeep21さんから依頼されたのですが、丁重にお断りしました。なぜ? そう! 自分で書くのは面倒くさいからw
…で、しばらくして今度は、セガマニアのライター(ヴァフィョーン原さん)をインタビュアーにして、インタビュー記事を回顧録にするのはどうかと再度打診がありました。これならもちろんOK! 話すだけで記事にして頂けるということで、この企画が実現しました。しかも原さんは以前に一度インタビューを受けて、その記事のまとめ方が完璧だったので、安心です。
今までいろいろなインタビューを受けてきたけど、これが決定版の記事になると思います。というか原さんがしてくれます! よろしくー!
それではスタート!
Hiro
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▼Hiro師匠のインタビュー記事もあわせてご覧ください!
1.将来の夢と音楽
原 今年でセガ入社40周年ということですが、セガに入社される前のことからお話を聞かせていただきたいと思います。まず出身地や子供の頃のことを教えていただけますか?
Hiro 千葉県の銚子出身です。漁港町ですね。小学生の頃は毎日レゴで遊んでいました。小学6年生の時に「レゴ」という題名の作文を書きましたから覚えています(笑)。レゴは兄が元々持っていたので、それをお下がりでもらったのがきっかけです。任天堂ブロックというレゴと互換性のあるブロックも持っていました。ただ、当時はその認識はなく、後々大人になってから持っていたものが任天堂ブロックだったと知りました。
原 子供の頃の将来の夢や、なりたかった職業などは覚えていますか?
Hiro 父が大工だったので、小さい頃は大工になりたいと思っていました。
原 大工だったお父様の後ろ姿を見て、モノづくりに興味を持ったということはありますか?
Hiro すごくあると思います。父は盆栽をやっていたり、木の角材から仏像を彫刻刀で掘ったりしていました。陶芸もやっていたから、仕事以外でも自分でものを作り出すことが趣味だったんですよ。それを見ていたので、かなり影響されているだろうと思います。
原 大工以外でなりたかった職業はありますか?
Hiro 小学校の低学年ぐらいまでは大工で、その次はコックでした。中学生になって聖悠紀さんの「超人ロック」や松本零士さんの「銀河鉄道999」などの漫画にハマって漫画家になりたいと思うようになりました。高校生の頃にはマイコン(現在で言うパソコン)でプログラミングをしていたので研究開発的な仕事に就ければいいなと思っていました。
今思うと、結局どれも何かを作り出す仕事がやりたかったんだなと思います。
原 音楽の話が出てきていませんが、子供の頃は興味がなかったのでしょうか?
Hiro 興味がないというか、小学生の時は授業でやったぐらいでした。音楽の授業は嫌いで成績は常に5段階中3で、自ら音楽をやろうと思ったのは中学生の頃でした。フォークギターが流行っていて、かぐや姫さん、さだまさしさん、イルカさんなどのコピーを始めたのがきっかけです。
原 コピーから入って、その後ご自身でも曲を作ってみようかなという感じでしょうか?
Hiro そうですね。中学3年の時には自分で曲を書いていました。歌詞付きの歌物で、今でもノートに作った曲が残っていると思います。
原 作曲するには、コードなど音楽の基礎知識的なものが必要だと思いますが、どうやって学んだのでしょうか?
Hiro フォークギターをやっていた頃に、フォークソングの歌本がいろいろあったんです。それで、いろんな曲を練習していくうちに、このコードをこう行くとサビに来やすいとか、こんな感じの曲になるっていうのを多分なんとなく習得したんだろうなと思います。
原 音楽教室のようなものに通ったことはなかったのでしょうか?
Hiro 一切ありません。音楽理論は今もわかりません(笑)。
2. マイコン少年時代
原 コンピューター関係に興味を持ったのはいつ頃からだったのでしょうか?
Hiro 小学生の頃だったと思うんですけど、家に兄が買ったマイコンの本があったんです。雑誌じゃなくて、AppleIIのゲームやアプリをまとめて紹介してあるような本ですね。それを見ていて、まずすごいなと。
原 ゲームというキーワードも出てきましたが、興味の対象としてはマイコンとゲームは同時だったのでしょうか?
Hiro 同時です。マイコンという当時はまだよく分からない機械でモニターに画面が映って、それが動いて遊べるのに憧れました。その本に「スタートレック」のゲームが紹介されていて、すごくやりたいって思って。当時AppleIIって数十万したんですよ。当然、買えないじゃないですか。買えないけど情報収集して、大きくなったらこれとこれを買う! という夢を膨らませていました。中学生になってからマイコンがどんどん安くなってきて、コモドールのVIC-1001が発売されるんです。本体が69,800円で画期的だったんですよ。
原 当時としては破格値ですね。でも中学生が買うには高価だったのではないでしょうか?
Hiro お年玉やお小遣いやいろいろ貯めていたお金を全部つぎ込んで発売日に買いました。親にもいくらか援助してもらったのかな。本体とモニターとデータレコーダー(データ保存用のカセットテープレコーダー)を揃えました。
原 そのVIC-1001でゲームを作ったんですね?
Hiro はい。当時は毎月新しいゲームが出る時代ではなかったですし、そもそもVIC-1001の市場はとても狭かったので、あまりゲームが出回っていませんでした。先ほど話した本に載っていた「スタートレック」のゲームももちろん市販されていなかったので、手に入らないなら自分で作ろうと思ったのが、プログラミングを始めるきっかけでした。
その本には、「プログラミングで自分で何かを作り出せる」という概念が書かれていて、それを読んで「このVIC-1001があれば自分にもできるんじゃないか」と思い、ワクワクしながら取り組んでいました。
原 どんなゲームを作ったのですか?
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