遠藤正二朗 完全新作連載小説「秘密結社をつくろう!」第13話 ─踏み外した道を歩み直そう!─Chapter7-8
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第13話 ─踏み外した道を歩み直そう!─Chapter7
「昔は入ってわりとすぐにパンダがいたんだけど、今は違うんだな」
雨曇りの空のもと、まとわりつくような湿った空気の中、五月最後の火曜日に恩賜上野動物園の正門をくぐったその男は、上着を肩にかけていた北見に、粘り気のある声でそう言った。動物園のパンダの配置など、まったく興味がなかった北見は、言葉にならないほど曖昧な声で返答をすると、古い英国産の自家用車を自ら運転し、日比谷の東京検察庁からここ上野まで自分を連れ出してきたその男をあらためて観察した。
年齢は六十歳、身長は百六十センチ足らずと小柄で痩せていて、ワイシャツにはネクタイを締めておらず、裾は灰色のスラックスから外に出していた。靴はよく磨かれたバーガンディのオックスフォードシューズで、靴に詳しくない北見にもそれが高級品であることが、なんとなくだが窺い知れた。左手首の腕時計は一見しただけでは価値のほどがわからない地味なデザインのアナログ式ではあったものの、彼の収入を考慮すれば隠れた逸品と値踏みして間違いないだろう。
人相についてだが、まず端正な顔立ちだと言える。眉は薄く、鋭い目つきは猜疑心を漂わせ、今日あらためて対面してから現在に至るまで、常に一定の緊張を強いてきているような気がしてならない。鼻筋は通り、顎は鋭く、オールバックに固めた髪がその険しい印象をより強調させていた。総合すると年齢に対して若い外見を有していて、知らぬ者が相対すれば四十代の凜々しいルックスの人物だと思うかもしれない。北見は見立てを終えると、深々とため息を漏らした。
目の前で二頭の象がのんびりとした足取りで歩いている。都心にあって、壁や塀で隔てられているそれは、料金を支払わないと目の当たりにできない生き物だ。実物を見るのは何十年かぶりで、小学生のころ以来だと思う。それでも北見はその巨体に感動することなく、草食動物が排泄する便の臭いに不快感を覚えながら眠たい目で、背中を向けている男の動向に注目していた。
彼の名は長崎栄三郎、検察官でも地方検察庁を統括し、そこに所属する者たちを指揮、監督する検事正で、北見が所属する東京地方検察庁のトップに君臨する人物だった。着任は一年前で、そのころの長崎は「神谷の番頭」とのあだ名で呼ばれていた。東京地検に着任する以前、彼は神谷検事総長の懐刀として、実務全般を担当していた。神谷は当時、総理大臣と極めて近しい関係で、その威を借り、政権与党に寄り添った捜査指揮や起訴判断を下し、それは三権分立の原則として正しからぬ姿勢だと、マスコミや市民団体からの批判を受けていた。長崎は政権に忖度し、当時の内閣における政治資金にまつわる悪質な不正行為などに対して、現場から上がってきた起訴への意見具申を、神谷の名前を持ちだしては手当たり次第に握り潰すことに注力していた。北見も特捜部に所属する知り合いの検察官から、長崎に対しての罵詈雑言は何度も聞いてきた。安っぽいフィクションであれば、長崎は「悪の検事」「政権の犬」と言ったキャラクターであり、象の鼻を見上げるこの牧歌的な風景にはあまり似つかわしくない人物だ。強引とも言える検察への介入を続けてきた総理大臣が昨年退陣し、対立派閥の長にその座を奪われてから、半年足らずで検事総長は退任し、飼い主を失った長崎は、論功行賞として昇進といった形で東京地検にボスとしてやってきた。一介の検察官でしかない北見は、着任の挨拶や忘年会でしか顔を見たことがなく、これまで言葉を交わす機会はなかった。
分厚い硬化ガラスで覆われたライオンの檻までやってきた北見たちだったが、雄も雌も姿が見えず、長崎はしきりに身を乗り出しそれを求めたが、やがて諦めてしまい、北見に振り返った。
「さて、そろそろ話を聞かせてもらおうか。概要は報告書で確認済みで、もう“にわかに信じられん”などといった眠たいことを言う時間帯ではないことを、私自身よく理解している」
急に濃密なやりとりを要求されたため、普段は人の隙間に付け入り、会話のペースを奪うのを得意としていた北見も面食らってしまった。長崎は本日付けで、『異能特命班』の班長に就任し、北見は今日、会議室で彼への引き継ぎをするつもりでいた。朝からの聞き込みを経て夕方前に、東京地検内の倉庫を改造して作られた特命班の狭い事務室にやってきた北見に対して、開口一番長崎が口にしたのは挨拶などではなく、「北見、ドライブだ」との言葉だった。
「あのう、長崎班長。今一度あらためて確認したいのですが、今日からあなたが特命班のボスってことでいいんですよね?」
「ああ、特命班の責任者は私になった。従って私は君から現場の生の声を聞いておく必要がある」
「それはわかるのですが……あっ!」
北見は雄ライオンがのしのしとガラスまで歩いてきたので、思わず指さした。長崎は振り返り「すげぇ」と、感嘆の声を上げた。
「なんで動物園なんです? 今や国家のトップシークレット級ですよ“Y案件”は」
「会議室? 盗聴の危険がないと納得できるまで、あんな場所で重要な案件について話をするつもりはない」
長崎は北見の質問に対して、背中を向けてライオンを見たままそう答えた。こいつはいわゆる変人だ。こういったタイプは説得に相応の労力を要するのだが、北見にはそれを支払う精神的な余裕がなかった。
「では、どこから話します?」
「昨年の九月、山田氏が鍵を粉砕して以後についてだ。報告書は既読だが、君の感想が知りたい」
「わかりました。まず、自分はマルチェンコの急変に対応するため、現場から栃木の救急病院に移動しました。幸いなことにマルチェンコは命に別状もなく、その点は安心しました。そして、山田があまりにも馬鹿げた真似をするのに、憤るのを通り越して可笑しく感じました」
「で?」
「山田は二週間後、こちらの要請に従い身体検査に現れました。彼も普段は仕事があったので、主に夕方からで、全部で十回です。結果は空振りで、なんら特別な数値も導き出せず、研究部門の落胆ぶりたるや、です。ヤツは極めて淡々とした様子で、今は普通に生活できててホッとしているなんて言ってやがりましたが、自分はすぐにウソだって思いましたね」
「なぜ?」
「山田はウソをつくとき、必ずと言っていいほどこちらの目をしっかり見据えてくるんです。笑ってしまうほどに」
「では君はその時点で山田氏が鍵を所持していたことに気づいていたのか?」
相変わらず、長崎は背を向けたままだった。北見も仕方なく肉食獣の散歩を眺めることにした。
「いえ、さすがにそこまでは。破壊されたのと同時にマルチェンコの鍵も消失したので、もうアレは一本もないと思っていました」
「わかった、続けて」
「十一月からです、ヤツが活動を開始したのは。まずは横浜の地下鉄脱線事故です。テレビで報道があったのち、まずはメッセージが来ました。これから現場に急行する、と。そして現着と結果報告のメッセージです。すべては一方的で、こちらの返事に応じることは一度もありません。今日までで、五つのY案件を処理してきました。自分はすべての事件で証拠、証言のもみ消しを、工作を行い、場合によっては直接会って説得することもありますが、正直なところ、この令和の時代に隠匿なんざできるものじゃない、そう思っています」
「そうだな」
「ですんで、長崎さんにこの仕事を引き継いでいただけるのがとても有り難い。これで自分もやっと普通の生活に戻れます」
「何を言っている?」
長崎はそう言うと、ゆっくりと振り返った。
「君の仕事はこれまでと変わらん。君は命令書を読んだのか」
「いや、ですから長崎さんが特命の班長になるって」
「君については?」
「そういや辞令にしちゃヘンですね。確かにボクのことが何も書かれていない」
「つまり、そういうことだ。君は引き続き特命班専任の検察官として、これまで通りとまったく同じ仕事をしてもらう。このY案件については、慣れている君が最適任だからな。余人を持って代えがたい。そして、私が長になった以上、班全体の権限は強化される。公安トップの署名捺印では、何かと小回りが利かんだろう。君もこれまでよりは動きやすくなるはずだ」
「あのう、今日のこれって、引き継ぎじゃないってことなんですか? 長崎さんが今後、ボクみたいな仕事をやっていく上での」
「私が? 私には東京地検トップとしての職務がある。そんなヒマがあるわけないだろう」
勝手に思い描いていたのは確かだ。わけのわからない鍵の力にもう関わらなくていい、それは的確な予測などではなく、単なる願いだった。北見が落胆すると、ライオンが前足を硬化ガラスに向かって掻き、それがまるで慰められているように感じられてしまったため、彼はすっかり情けない気持ちになってしまった。
「なるほど、君はこの仕事に無力感や虚しさを感じているのだね。Y案件にはもう関わりたくないと」
「すべて仰せの通りです」
「なら、今後も頼むよ。情報の統制は、今後も続けていかなければならない。しかし権限の増強で負担はずっと減るはずだ。私に対しては発生案件に対する結果報告だけで構わんし、経過においてすべて私の許可が取れている形にしてくれ。サインと捺印が必要なら白紙に予めやっておく、百枚でも千枚でも。そうだな、なんなら山田氏との連携を深めても構わん」
長崎班長の言葉に動揺した北見は両手を広げると、肩にかけていた上着が地面に落ちた
「自分は任官させていただいてからこっち、わかりきった世界に生きてきたつもりです。そしてそれは予測ができる、とても不安のない、退屈だけど見通しのつく暮らし向きを約束してくれます。けど、山田のアレ、つまり人殺しのホッパーがウチの門を叩いてきて、殺人罪で起訴っていつものコースを辿らせないってとんでもない判断を法務省がしてきてから、もうしっちゃかめっちゃかです。わからないことだらけで見えないことだらけで。ボクはですね、この“わからない”ってのが一番怖いし嫌いなんです!」
渾身の訴えに、それでも長崎は眉ひとつ動かさず「嫌なら辞めろ」と、言い捨てた。
猿山を見渡せるベンチに、二人の検察官は腰を下ろしていた。北見はウーロン茶のペットボトルを、長崎はコーヒー牛乳の紙パックをそれぞれ手にしていた。
「辞めません。ヤメ検できるほどボクは器用じゃありませんし。大体ボクはもう知り過ぎちまった。そもそもホッパー以前に山田に目をつけたのはボクですし、法務省のイカれた判断のきっかけになっちまったと自覚はしちゃいます」
「いい心がけだ、北見。君は今後、私を最大限に利用してくれればそれでいい」
「それってつまり、山田氏の力を今後も有効活用していくってことですか?」
隣に座る長崎の横顔を横目で見て、北見はそう尋ねた。
「考えてみろ、君の報告を信じるのなら、敵対する可能性がない超人が手に届く範囲にいる。国益のためにそれを使わない手はないだろう。実際、これまでの五件で十一名の人名が直接的に救われ、二人の傷害犯の検挙ができた」
「しかしその課程で、我々はいくつもの命を失いました」
「それをしでかした狂犬は始末できたのだろう? 君の部下の銃弾で。であればもう、憂うことなどない」
長崎の言っている意図が今ひとつ判然としない北見は、背を丸めて長崎に顔を向け、顎の無精髭を撫でた。
「えっと、どういうことです、それ?」
「山田正一をコントロールしろ、そういうことだ」
「ボクはドッグトレーナーじゃありません」
「私たちは犬だろ? なら、その気持ちはとうに理解ができているはずだ。自分たちが喜ぶエサを使って、未曾有の力を常に囲いの内側に入れる。今回の着任にあたって公安委員長から言葉を濁しながら要請された内容だ」
「強硬策には出ないんですね?」
北見の言葉を耳にしながら、長崎は一匹の猿を目で追っていた。北見もそれに倣うと、若い猿が石の山を縦横無尽に跳びはねていた。
「あれは、自分が自由だと思っているのかな?」
長崎の疑問に、北見は隠すことなく口の中の粘り気を音にした。
「嫌な言い方ですね。吐き気がします」
これまでに北見は、山田とはいつでも会うことはできた。彼の住所、電話番号、職場のすべては把握し、長崎が言うところのコントロールを試みることは、いくらでもできる状況にあった。しかし昨年九月の身体検査以外、直接どころか電話でも連絡を入れなかった。なぜなのか、北見はその分析を済ませていないどころか、考えること自体を拒絶していた。
芳賀町の神社で錠前に拳を叩きつけた彼は、確かに本気だった。あのわかりかねる力と決別し、平穏な暮らしを望み、装甲車で地元まで押しかけてきた、ふざけきった自分たちに対しての最大の抗議があの拳だった。それを理解していたから、北見は現在の山田がどういった心持ちで事件に関与し続けているのか、見当もつかずにいた。それをアパートや職場を訪問して尋ねるといったアプローチは、自分の中で何やら釈然としない。やはり一度、現場で直接あのちりちり頭から現在の心境をインタビューする必要がある。そこまで考え至った北見は猿から目を離し、ウーロン茶を呷った。
「ところで北見、山田氏は今日、どうしてるんだ?」
「えっと……小岩の本屋でバイトですね」
そう、今日は事故や事件の報道はない。アイツは今頃、駅のショッピングセンターの本屋でレジでも打っているはずだ。北見はウーロン茶を飲み干し、大きく伸びをした。すると、彼の額に生ぬるい雨粒が跳ねた。隣の長崎は立ち上がるとポケットに手を突っ込み、北見を見下ろした。
「夕飯でもどうだ? 機嫌を損ねてしまった詫びも含めて。いいフレンチを知っているんだが」
その誘いに対して、北見はベンチから立つと上着を着込み、軽く咳払いをした。
「すんません。ボクは長崎さんとは仲良くなれそうにないんで。今後も割り切った関係で行きましょう。ボク、頑張りますから」
長崎からの返事はなかったが、彼の顔は穏やかで微笑みをたたえていた。それを了解の合図だと解釈した北見は別れの挨拶を告げ、雨に打たれながら動物園を去っていった。
第13話 ─踏み外した道を歩み直そう!─Chapter8
北見史郎が新しい上役から不愉快な要請をされていたころ、山田正一は江戸川区小岩駅のショッピングセンター内で営業している『ブックス本郷』のレジに立ち、知識や娯楽をアナログな手段で求める人々の接客をしていた。現在の時刻は午後四時、本日のシフトは五時までとなっていた。
二年ほど前に同じ場所でアルバイトをしていたイマオカ書店と比べ、店長は人当たりも柔らかく、自分たちの働きぶりをよく見ていて、得手不得手を直ちに把握し、的確なアドバイスと配置をしてくれていた。しかし、売り上げについてはイマオカ書店と当時と比較して、縮小傾向が続いていた。これはネット通販や電子書籍のシェア拡大に伴い、全国の書店が抱えている問題が原因となっている。店長の三好は、不安を漏らしたアルバイト店員にそのような説明をし、「みんなの働きぶりがどうとか、そういう理由じゃないから、引き続き頑張ってね。もちろん、なにかいいアイデアがあったら、どんどん提案して」と、明るい笑顔で皆を励ましてくれた。
マサカズは早速、イマオカ書店で成功体験のあった『店員さんのオススメ漫画』の企画を書面にまとめて、店長に提案した。この企画は店員が推奨する漫画を特設したコーナーに配置し、お薦めの内容を短く記したポップを掲示する、といった内容で、提案は即決で採用された。その効果もあったのか、五月のコミックの売り上げは前月を二割ほど上回る見込みになっていた。ポップの文章はイマオカ書店の当時とは違い、店長の意見で手書きとなった。これはその方が店員の情熱がリアルに伝わるといった理由からであり、マサカズは目利きに自信はあったものの、字はあまり上手ではなかったこともあり、同僚の女子大生、小山内美香に代筆をお願いしていた。
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