『Beep21』お試し記事パック⑨「夢見館の物語」当時の制作者が語る秘話-前編- 書き手 : 鈴木幸一
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まさかの発表!メガドライブミニ2には
メガCDの名作タイトルが収録されることが
明らかにされ、大きな話題となりましたが
まだ3D CG作品がそれほどない時代に
突如として現れ、大きな反響を呼んだ
「夢見館の物語」がメガドライブミニ2に
収録されました。
今までに見たことのないゲームジャンルは
新たに「バーチャルシネマ」と名付けられ
メガドライブの最後の時代を大いに盛り上げて
くれた作品だったと言えます。
当時はこの話題作についての取材記事も
限られたものしかなく、
世の中にこれらの話は
あまり出ることがなかったと言えます。
今回『Beep21』では
当時の開発者のコメントによって
今までベールに包まれてきた
「夢見館の物語」の秘密に迫っていきます。
実はこの作品の原型は最初はメガCDではなく、
なんと「あの幻のハード」で企画されていた
といった驚きの事実も出てきます。
初めて明かされる名作の秘話の数々──
どうぞ楽しんでいってください。
▼「夢見館の物語」の続きの記事はこちらで公開されています。
【書き手紹介】
「夢見館の物語」誕生前夜
「夢見館の物語」は最初はメガCDソフトとして
動いていたものではなかった。
本作を作ったシステムサコムの門戸をたたいた
高校1年生の鈴木幸一氏。彼がそこで見たものとは──
物語は意外なところから始まります。
システムサコムという会社
僕(鈴木幸一)が、当時両国にあったシステムサコムに初めて足を踏み入れたのは、高校1年生の夏休み。『マイコンベーシックマガジン』にシステムサコムが「開発メンバー募集のお知らせ」を掲載していたのを見て、電話したのがきっかけでした。システムサコムという会社は元々ハードウェアの会社という背景があったからか「普通の会社」のようなお堅い雰囲気の部署もあるなか、フロアの一角でゲーム開発のメンバー達が黙々と作品を生み出しているような感じがありました。システムサコムに初めて行ったその時は、ちょうど「ソフトでハードな物語2」のβ版を見せてもらったことを覚えています。
高校生の目から見たイメージでしたから、もしかしたら実態とは少し乖離しているかもしれませんが、システムサコムという会社は「ゲーム好きな人たちが、新しいゲームを世の中に生み出すことだけを考えて、ひたすらにゲームを作り続けている場所」という感じがありました。
どこか学生サークルのような、居心地の良いわくわくするような空間。
当時のソフトハウスと呼ばれる開発会社は、僕が見聞きした限りにおいてですが、いずこも似たような雰囲気があったように思います。この当時のシステムサコムのノリというか雰囲気については、当時の同僚である荻野(洋)君が書いた「ゲーム業界の片隅で1991-1994」という電子書籍に生き生きと描かれていますので、ご興味のある方はぜひご覧下さい。
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新しいMIDIの規格を使いこなす音楽家と伝説のプログラマーがいた
システムサコムでは、国内でもいち早く外部MIDI音源対応のゲームを開発していました。これはもともと、自社のハードウェア部門でMIDIインターフェイスボード(SX-68M)を開発し販売していたこと、そしてゲーム部門にはマサ斎藤(齋藤 学)という素晴らしい音楽家が在籍していたことが関係しているかもしれません。シンセサイザーを自在に制御するMIDI規格という新しい世界へのインターフェイス機器と、その技術を駆使した作品を生み出すアーティストがいる。それがシステムサコムというゲームメーカーの特徴のひとつだったと思います。
システムサコムの技術ドリブンなゲームといえば、伝説のプログラマー、マーク・フリントの作品を思い出す方も多いのではないでしょうか。「MOON BALL」のボールの挙動や「HIGHWAY STAR」のスピード感、パソコンゲームとは思えぬ「ZONE」の浮遊感には、僕も当時大興奮したものです。
マーク・フリントはバリバリ技術畑の方で、「新しい技術で新しい世界を切り拓いてやるぜ!」という情熱をお持ちの方でした。(過去形で書いてしまいましたが、実のところ今なおAIエンジニアとして第一線で活躍しておられます)
そんな彼がCGの表現能力に目を付けたのは、必然だったのかもしれません。
社長室に呼ばれて見せられたデモ
ある日のことです。メガドライブ用テニスゲーム「グランドスラム(1992年6月12日発売/日本テレネット)」を作り終わった頃だったでしょうか…ちょっとはっきり覚えていないのですが、急に社長室に呼ばれました。社長室の机の上にはFM-TOWNSが置かれていて、その隣にはニコニコしているマーク・フリントがいました。
「鈴木さん、こういうの好きでしょ?」
と言われて覗き込んだTOWNSの画面には、従来のLINE-PAINTともワイヤーフレームともスキャン画像とも違う、なんとも言えない独特な質感で表現されたアドベンチャーゲームらしき画面が表示されていました。
大きな中央階段。赤い絨毯。壁に掛けられた額縁──それが僕の初めて見た《あの洋館》のエントランスホールでした。
この時に見せてもらったプロトタイプは、最初の大広間を歩き回れるものでした。階段を登れたかどうかは、ちょっと記憶が定かではありません。ドアは開けられなかったんじゃなかったかな、と思います。「現在のプレイヤーの位置と向き、そしてキー操作から、適切な動画をCDでストリーミングしているだけなんですよ」と、基本的な仕組みをマーク・フリントから説明してもらったのを覚えています。
どうしてこの時のプロトタイプが、FM-TOWNSで作られたのか、その背景は詳しく知らないのですが、プログラムで制御しやすいCDドライブを搭載していたからかもしれませんし、もしかしたら、この当時、システムサコムはFM-TOWNSの周辺機器のハードディスクを作っていた...とも記憶していますので、そのあたりの流れでFM-TOWNSの検証機が社内にあったのかもしれません。
いずれにしても、「夢見館の物語」の最初のプロトタイプは、CD-ROMを搭載したパソコン機であった富士通のFM-TOWNSで動いていたのでした。
そしてこのあと「ある幻の機種用」に作られていた企画と、FM-TOWNSで動いていたこのプロトタイプが、奇跡の融合を遂げることになります。
絵本みたいなノベルウェアと幻のハードの企画書
僕は中学生の頃、小説とアドベンチャーゲームが大好きでした。そのため、ノベルウェアというゲームジャンルにも強く惹かれて、高校一年生の夏、システムサコムにアルバイトとして入社しました。入社して最初に「38万キロの虚空(1989年)」続いて「闇の血族(1990年)」と作らせてもらい、次はもっと絵本みたいなゲームを作りたいと考えていた時に、上司からプレイステーション0(※)用の企画を考えて欲しいと言われたんです。
CD-ROMを搭載したスーパーファミコンであれば「コントローラーを使って操作できる絵本風のノベルウェアが作れるんじゃないか」そう考えて書いたのが「夢色の風」という絵本風ノベルウェアの企画書でした。
残念ながらプレイステーション0(つまりスーパーファミコンCD-ROMシステム)が世の中に出ることはありませんでしたが、前述の荻野君からは、プレイステーション0用に当時システムサコムが開発していた「フォルテッツァ」という技術の流用が「夢見館」につながったのではないか、といったコメントもいただきました。
【参考】「フォルテッツァ」についてはこちらの記事の中で触れられています。
そして、このあと、この時僕が作った企画(「夢色の風」)のことを上司が覚えていてくれたのでしょう。本当に運良く、僕は別の形で「夢見館のプロジェクト」に誘ってもらうことができたのです。
当時の企画書の話と具体的な制作エピソードは
次回「中編」でお届けします。
▼「夢見館の物語」の続きの記事はこちらで公開されています。
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