巣の精神
昨日のイースターは、早朝若干冷え込みましたが、昼頃になると徐々に気温が上がって、絶好のタイミングでミツバチの分封(分蜂)が始まりました。分封は養蜂場の春の風物詩なので、現象そのものに対して特に驚く事はないのですが、内検の時に王台を見落としていた自分の仕事の甘さに失望した次第です。
優れた観察眼と深い洞察力を持った養蜂家であり、戯曲「青い鳥」の原作者であるメーテルリンクは、エッセー「ミツバチの生活」 (The life of the bee)の中で、「巣の精神」という言葉を使って分封という現象を表現しています。
また、コーネル大学の生物学教授であるトーマスシーリーは著作「ミツバチの会議」(Honeybee Democracy)で、ミツバチの群を「認知主体」という言葉で説明しています。ミツバチの社会はそのものが主体性を持ち、その主体性は個々の働き蜂の民主的な話し合いで決めらていると彼はこの本の中で述べています。
群そのものが何らかの精神や主体性を持っている。では、ミツバチの群あるいは個々のミツバチに「分封したい!」という志しと、それを行なう実行力を与える、その根源となる力はどこから来るのか?それはミツバチの小さな身体の中にはじめから宿っているものなのか?春になると、どこからともなく自然発露的に湧き上がってくるものなのか?それともミツバチや人間や、群や社会というものに備わっていると思われている「自由意思」というものを放任しつつもコントロールしているもっともっと大きな存在が、この世の何処にあるものなのだろうか?
雲の切れ間から覗く青空に乱舞するミツバチたちを眺め、何も出来ずに羽音に耳を傾けているときはいつも、決まって同じ事を考えてしまいます^_^