ギターと一緒に”算数”を教えている
学生相手のレッスンで「いまどんな勉強してる?」という”つかみ”は鉄板で、嬉々として「勉強難しい」「得意な教科がある」と話題がつながる。学校の話は彼ら彼女らにとって一番の日常で、話したいことがたくさんあるようだ。ギターをチューニングしながら、他愛もない世間話ならぬ”学校話”でアイスブレイクをするのが僕の常套手段だ。
ある生徒さんは中学校にあがって「数学はまるで分からなくなった」という。「いまどこやってるの?」と聞くと「正負の計算」だという。ああ、これは既視感があるぞ。
中学校の学習支援をしていた頃
20代前半の時分、公立中学校の放課後学習支援のバイトをしていたことがある。バイトというか非正規雇用だったがそれはともかく、僕は英語と数学を担当していた。
そこに集まるのは中学2年と3年の生徒たちで、概ね1年生の頃の学習を完遂できず、あるいは自らスルーしたことで追いつけなくなっていた。特に正負の計算が「意味不明」と投げ出していたり、分数の理解と解く手順をすっ飛ばしているケースがほとんどだった。
ある3年生の子は「こんなの何の役に立つんだ」「僕は農家の子だから高校もいかない、勉強なんかしなくても生きていける」と豪語し学習放棄していた。僕は「農家を舐めるな、分数ができなくて農家ができるかよ、面積計算と収量計算と濃度計算ばっかりだぞ」と理詰めで納得させたり、あるいは好きなことと紐つけて理解させたりした。正負の計算は「RPGの戦闘でいうダメージと回復だと考えてよ」と教えるとすんなり入ったようだった。
正負の計算は概念の話であり、抽象的で無機質に感じて、「これが何の役に立つ?」と疑問を抱く生徒は多かろうと思う。実感を伴わない勉強は辛いものだ。分かるぞ、若いの、頑張れよという気持ちで支援のバイトはやり甲斐があった。
カウントができない
話を戻して、前述のギターの生徒さん。レッスンをしていてカウントを取ることが難しいことに気がついていた。4カウントを続けること自体が難しく、小節数を数えることも時間がかかり過ぎる。
ギターを弾いていなくてもそれらが難しいことから、これは認知機能の発達が未熟なのだと気がついた。おしゃべりも苦手で、何かを話そうとするのに10秒くらいタイムラグがあるのも、そういった傾向かもしれない。
「算数、苦手でしょ」と聞くと大きく頷いた。これまで苦手で出来ないことを努力不足だと思っていたようで、「違うよ、そうじゃない。人によって数を数えたり言葉を発したりするのが苦手だったりする」「だけどそれはちょっとずつ解決していくから焦らないで、数が苦手なら今から一緒にギター弾きながら訓練していこう」と伝えると、少しだけ涙が流れたようだった。
そういったやり取りがあって、ゆっくり時間をかけてカウントを取れるようになり、その間にコードもいくつか覚えて、学校でも前向きに生活できるようになったようだった。2〜3年くらいはかかっただろうか、今は通常の同年代と同じように数を数えられるようになった。
取り残されている人は多い
僕は医者でもなければカウンセラーでもない。だから学習障害や発達障害、境界知能などを専門的に勉強しているわけでもない。だけど偶然にも、ギター講師を続けているとそういった人たちと巡り合い、考えさせられる。
前述のような「困難」を抱えている生徒さんの多くは、どこでつまずいたかも気が付かぬまま学校では取り残され、支援されないまま年齢を重ねていく。
学校教育ではカリキュラム以上のことをサポートするのは難しい。放課後学習支援がある校区はまだラッキーだが、それでも登校拒否児童には支援が届かない。
ギターレッスンをしていてそういった困難を散見する。1人や2人ではない、学生のみならず大人でも「あれ?」という感じの方は多くいる。
やるべきことが音楽なので、一から勉強していけるからまだ大丈夫なものの、一般社会では「一から勉強」する機会を与えられない。分からないまま労働を強いられている大人も多かろうと感じる。そのまま取り残されている人は社会に適応できないまま、なんとなく乗り切ろうとしているのかもしれない。たくさんいると思う。
生徒さんが「数学が分からない」というので、ホワイトボードで簡単に説明したりする。ギターレッスンに送り出してる親御さんには申し訳なく思わなくもないが、「ギターには物理と数学が必要なので仕方ない」と腹をくくって「算数」を教えたりする。だいたい、一番最初の定義を見落としてるから進めてないだけだったりする。「分からないと感じたら、単元の一番最初のページからやり直せばいいよ」などと伝えると、案外それでなんとかなっているようだ。
ギターの腕前も非常にゆっくりではあるけど上達している。人には人の歩くスピードがある。僕はそれに寄り添うのが、レッスンの仕事だと思っている。
高みを目指す以前の価値観を、生徒さんから沢山学んでいる。