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フェス強行は自己責任論の帰結

波物語2021が話題になっている。

このイベントについて深掘りはしないが、結論からいうと「自己責任論は結果的に『これ自己責任なんでやっちゃいますよ』という無責任な言動を広めた」のだと僕は考えている。そしてこの問題の解決の鍵は、優しさだと思う。

以下、決して一部の人たちを批判するものではなく、客観的に社会情勢や背景を捉えていくことでモヤモヤや怒りが鎮まるようにと願っている内容です。何者かをバッシングする内容になってはいません。ご理解いただけたら幸いです。



ヤンキーカルチャーは昔からそう

マイルドヤンキー層に自己責任論が定着しているという話は、そのカテゴリが発見される以前からヤンキーカルチャーの基本で、ルールや社会通念を読む力がない人が一定数いるだけで、読める人/読めない人の分断が発生する。
今回、伝染病対策でも同じ分断が起こっている。

自己責任論というのは平たくいうと、生きるも死ぬも自分の責任なので全員が自己防衛なりすればいいという理屈で、これはこれで社会を前向きに進めようという意思がある考え方といえる。だけども、全員が考えを共有しなければいけない点において完全に全体主義的な発想だ。つまるところ、違う考えの人を排除しなければ成立しない。福祉の発想が少しでもあるなら、自己責任論がいかに幼稚で狭量の考え方か理解できるはずだし、多くの人は理解していると信じたい。

言葉を選ばずいうなら、文章が読めない人がいる。
ペンキ塗りたてと書いてあるベンチに、日本語が読めない外国人がうっかり座ってしまうかのように、「これは危ないですよ!」という警鐘を「へーそうなんだ、でも自分には関係ないかもしれないし」とスルーしてしまうのは、悪意があるのではなくて、文章や意図を読む力がないというケースがある。これを忘れてはいけない。
なんらかの理由で初等教育や義務教育のレールから外れてしまって、そもそも国語力が足りていなかったり、社会通念や共同生活のルール設定を体感できていない人がいる。あるいは、学校で本来学ぶべきことよりテストの点数を重視してきたような人にとって、それを学ぶ機会があったのにスルーされてしまっている。
ヤンキーカルチャーは、いつもそういう人たちの集まりがコアにある。マイルドヤンキーと呼ばれる層は、後者によるカルチャー形成なのだと思う。

そして社会は彼ら彼女らを守らなきゃいけないし、自己責任だからどうなっても知らんと切り捨ててはいけない。それこそ同じ穴の狢(むじな)になってしまう。


危機感や不安が思考能力を奪う

命の危機や貧困が迫っている人に「ルールなのでここで立ち止まってください」と伝えて、そのまま死んでしまう人をどう思いますか?
そんなことをするはずがないと考えているなら、それはだいぶハッピーな人生ですね。
実際、ルールを守ることで誰かが救われるなら自分は死んでもいいという人はいます。ですが、それは善意ではありますが、思考停止しているといえます。自分が生き残った方が社会貢献できるので、貢献するならば生きて働くのが良いことは明らかだからです。
どこかで考えることをやめるから、自己犠牲は起こってしまうのです。

たとえば職場が嫌で仕方ないのにやめられないのは、金銭的な問題を考えることをやめている(別の仕事でも稼げる、けど転職はめんどくさい)、自分の人生設計を変えられない、という風に、思考停止は身近に起こり得ることです。
危機的状況において、冷静で客観的に判断することは容易ではありません。なんなら訓練が必要なほどです。人は不安や危機にとても脆弱で、真っ先に思考能力を奪われてしまうし、新たな情報をシャットアウトするように設計されているのですね。心の防衛本能なので仕方がない。
極端な例で、反ワクチンの人たちやスピリチュアルに傾倒する人は、それを支えにしなきゃいけないほど不安で、不安定だから”支え”を手にしたい。これも心の防衛本能に従っている様子です。
思考停止している人は、それほどの危機感を抱えているのであって、頭ごなしに批判しても何も解決しないし、的外れなのです。

自己責任論者も危機感や不安を抱えているがゆえに、それが実現不可能な全体主義だという前提をスルーしています。全員が自分の意思と責任でもって行動できるなんて、そんなに社会や人は単純ではないですよね。
(そんなことないという方は是非パラリンピックを見てくださいね)


批判てはなく、優しさで

翻って、「自己責任なんだからやってもいいし自分が責めを負うだけなんで文句ある?」という考え方は自己責任論の『考えないこと』が行き着いた先と言えます。
ここまで読んでくださった方ならご理解いただけると思いますが、フェス強行”だけ”を批判することもまた、その背景を考えることをやめているのです。

フェス強行に対する適切な対応は、参加された方を非難するのではなく「ちゃんと体調管理して、ダメになったら病院に行って」をシェアすることですよね。
ヤンキーカルチャーやオタクカルチャーは優しさに弱いので、優しく接してあげることが分断を緩和し、結果的にコロナ禍を乗り越える力に変えられるんじゃないかと思います。

感染症対策はバカとの戦いだみたいな論説が飛び交っているますが、僕はそうは思わない。
文章や文脈を読めない人と戦うんじゃなく、「読めないなら手伝うよ」の思いやりがあった方がコロナ禍は早く収束するし、そうでなければ、いずれ禍根を残してしまうのではないかと危惧しています。

分断に加担してないよう、心がけています。

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牛心。
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