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西洋音楽理論を勉強する理由

いわゆるバークリーシステム、要するにダイアトニックを基準にした音楽理論は「ドレミファソラシを1234567と数えて、それと違う場合は#・♭をつける」と一言で説明ができる。それをどう使うかについては様々だけど、ダイアトニックとそうでない音を区分けして考えるという考えは通底している。
他方、日本では”楽典”という本で説明されているような西洋音楽理論は、それほど単純化することはできない。あえて要約するとすれば「過去の曲を観察するとこうなっている」を網羅しているが、時代や作家によってシステムの扱い方が違っていたりして、結果的に作風のアンソロジーのようなものになっている。
多様な作風を並べているために複雑さを感じてしまうのは無理もない。ダイアトニックのシステムとさほど変わらないことをやっているのだけど、コードで慣れている人からしたらインターバルの数え方が違っていたりして混乱してしまう。

僕はバークリー音楽院3年編入だったから、入学してすぐ西洋音楽理論のクラスを取ることができた。幸い、僕は日本にいた頃は”楽典”の本を開いたことがなかったから、書かれている文字はバークリーシステムのそれとほぼ同じで、インターバルの表記も増減短長などでなく#♭やP5などだったから、言葉は同じで呼び方が違うという混乱はなかった。

っと、ここまでは余談だ。
以下、朝一番9:00からスタートしていた西洋音楽理論のクラスで先生が言っていたことを覚え書きしておきたい。多分、音楽理論を勉強しようという人の初歩の心構えが詰まっていると思う。



「まずクリアなハーモニーを書けるようになりましょう」

8時半くらいに準備をして、マサチューセッツAveのダンキンドーナツでコーヒーとドーナツを買う。先生は一番最初のクラスで「朝食を食べながら講義を受けてもらってOKですよ。私も食べながらやるから」と明るく促したから、遠慮なくそれを実施することにした。このあたりがアメリカの大学らしさかもしれない、あくびをしても怒られることはない。

「みなさんはこのクラスをアサインしたということは、少なからずクラシック音楽に興味がありますか?それともジャズの学校だから、ジャズの勉強のために?」
先生はそうクラスのみんなに質問して、続けた。
「このクラスは過去の偉大な作曲家の作ってきた音楽がどういうものかを再現するための、作曲のクラスです。ハーモニーの歴史というのは、人類が不協和音を受け入れていく歴史です。モーツァルトやブラームスの時代から、ラヴェルやストラヴィンスキー、シェーンベルグやウェーベルンに至るまで、人類は不協和音を徐々に受け入れてきたのです」

続けて「この学校(バークリー音楽院)はジャズの学校で、この学校発祥のバークリーシステムを教えているので、その考え方を忘れる必要もありません」としたうえで、「バークリーシステムは西洋音楽理論をシンプルにしたもので、音楽がどういうふうに作られているのか、それをどう利用するのかという目的は同じです。このクラスでは一定のルールに従って作曲をするメソッドを通して、まず耳の訓練をすることになります。つまり、まだ不協和音が認められていなかった時代の”クリアなハーモニー”がどのようなものかを体感してもらいます。たぶん1学期はそれで終わってしまいますが、退屈しないでね(笑)」と笑顔をふりまいた。

僕はこの前節の段階で、わりと感動した。
1つは、そうだろうと思っていた「不協和音を受け入れてきた歴史」について、先生もはっきり同じ歴史観を語ったことについてだった。やはりそうか!と確信を抱けるようになった瞬間だった。
2つめに、バークリーシステムと西洋音楽理論はどちらも「活かして曲を作りたい」ためのものである点。当たり前みたいだけど、僕らは音楽を良くしたいから音楽の勉強をするんだ、ということを勉強中は忘れがちだ。ましてやテストがあるなら勉強のための勉強になりがちなので、この「目的は曲を作るため」だよと言ってくれたのは大きな救いとなった。僕もそう思いながら理論を勉強してきたから。

そして3つめに、「まずクリアなハーモニーを理解する」ことにより、その先の不協和音の世界を理解するのだという視座も、言われてみればなるほどなぁと思った。僕は元から現代曲が好きだったし、不協和音を美しく感じるタイプだったけど、その”好み”をついまっすぐ追いかけてしまいがちだった。つまり、いきなり12音技法を使って秀作してみたり、ワーグナーのハーモニーを真似たりしていた。
だけど、そうじゃなくてまず”クリアなハーモニー”を身につけて、そこから離れていく順序、不協和音の歴史を追うことで本質的な音楽性を鍛える。具体例でいくと、パラレル5th(5度音程の2音が同じインターバルで移動してはいけない)をちゃんと処理するようになることで、パラレル5thの微小な違和感を逆に使えるようになるということだ。


対位法もダイアトニックも比較のためのツール

基本の西洋音楽の対位法を課題に出され、それを授業中に解説しながら解くレッスンが始まった。基本となる対位法はシンプルに「音の方向にルールを設けて守っていれば”クリアなハーモニー”が得られる」というだけ。なのだけど、メロディの形とコード進行(一応西洋音楽にもコード進行があるのだ)の組み合わせによっては1パターンしか無理、みたいなことが起こったりする。はっきり言ってパズルだ。

だけど課題をこなしているうちに、そのクラス以外の授業での作曲でも音の方向、つまり対位法について考えている自分に気がついた。特にジャズ作曲のクラスで「このコード進行だとメロディはこっちにいけば逆方になるかな」みたいなことを考えていた。まさに作曲のために西洋音楽理論が使われたのだった。

これは特別なことでなく、コード理論を勉強している人がダイアトニックかノンダイアトニックかを判別できる”耳”を獲得できるのと同じで、”クリア”かそうでないかの比較判別できるようになるのが、西洋音楽理論のスタート地点なのだと思う。

その後、別の先生による現代作曲のクラスでも”クリアなハーモニー”の知識は大いに活躍したのだが、それはまた別の機会に。
音楽の勉強は自分の作る曲を豊かにするし、作っている時間をも豊かにする。いい先生に巡り合えて自分は幸せものだと思う。

サポートなんて恐れ多い!ありがたき幸せ!!