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ビリー・シーンの技術論

ビリー・シーンの動画がTLに流れて来まして、書き起こしてみた。

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でも間違っても技巧で一喜一憂しないことだ。
自分にないテクニックを誰かが持っててもね。
そんなのは関係ない。
大切なのは出す音、奏でる音楽だよ、技巧にとらわれて見失いがちだが。
「手の位置が・・・・」なんて考えていると音楽じゃなくなってしまう。
最初に言ったように音楽をしたい気持ちが先だ。
この音を弾きたい、この音色を出したい、それが原点だよ。

技巧への執着は上達の妨げだ。
芸術家や演奏家を目指せ、そうすれば結果はついてくる。
上達は常に志の数歩後ろを追いかけ、たまに追いつく。
そんなもんだよ。
(後略)
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「上達は常に志の数歩後ろを追いかけ、たまに追いつく」

ビリー・シーンについてご存知ない方に補足すると、彼はロックベースに超絶技巧のプレイングを持ち込んだ第一人者であり、彼こそがテクニカル・ベースのアイコンです。
何度も繰り返し「どうすればそんなテクニックが?」と尋ねられてきたビリー・シーンが語る技術論です。

多くの偉大なロックプレイヤーが同じことを言います。
「大切なのは音楽的であることだ」とか、「表現をするんだ」とか。
それは言葉では分かるけど、じゃあ表現って?音楽的ってどういうこと?という疑問が生まれて、やっぱり踏み出せなかったりします。

ビリーの言葉は少し違います。
彼の考えではテクニックは副産物として獲得できるのだと言っています。

冒頭でスリーフィンガー奏法がいかにして生まれたかを解説しています。
とても明瞭な理屈です。

技術は目的に合わせて生成されるということ。
これって、楽器や音楽に限ったことではないですよね。

目的のために技術向上が必要、ではなくて、
技術向上には目的が必要、なんじゃないでしょうか。

どんな人も最初はビギナーだし、どんなに学校で教わったとしてもリアル・ライフに出た瞬間はレベルです。
だけど目的・結果は出さなきゃいけない。その内容がどんなに稚拙でも、作らなきゃいけない目的があるから作るんですよね。
その過程で得られた知識やコツが、技術向上の糧になる。

つまり「上達は常に志の数歩後ろから追いかけ」てくる。
そして「たまに追いつく」というのはつまり、「あ、こうすればいいんじゃないかな?」という発見です。

その気づき”が”上達と呼ばれるものであって、とにかく手を動かした方が早いぞとビリー・シーンは言っています。

音楽に限ったことじゃないですよね。
絵を描くにしても、デザインするにしても、
何かを作る人は「走りながら上達する」しかないんです。

牛心。
高知在住の音楽家・ギタリスト。MR.BIGはポール・ギルバート派だけどサウンドの肝はパット・トーピーとビリー・シーンの噛み合わせだと思ってたのでパットの訃報には随分落ち込んだ。ちなみに今回のインタビューと同じようなことを20年くらい前のヤングギターで読んだことがあるんだけど誰が言ってたか忘れた。

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