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愛があれば大丈夫

私が子供3人と夫を置いて清里に2年間行っていた、というと必ず言われるのが

ご主人すごいね!
だから、私の夫は主人じゃないってば、私の人生の主人公は私なんだって!
と突っ込む。

次に言われるのが、
お子さんおいくつなの?

行った年に人から言われて気づいたのですが、
3歳 み
6歳 ろ
9歳 く

弥勒の年だったんです。ちょっと運命的な1年でしたよ、やっぱり。

で、小さいのにー!?と続くわけですよ。
はい、そうですね、下が保育園2人、上が小学生。
母親と離すのに抵抗のある人も多いのはわかります。
幼児は手を握り、児童は目を離さず、中学生は心を離さず、でしたっけ?
わかってます。
でも、親がなくとも子は育つ!

私は教員の仕事を辞めるつもりは全くなかったので、
1人目が生まれる時から、
「産み落とすところまでは私しかできないことだけど、そのあとは全てあなたにもできることだからね」
と夫に言っていました。
彼は当然のように、ミルクもおむつも、寝かしつけも、なんなら育休も経験済み。

育休中は土曜日は父の日としていました。
私は一切の赤ちゃんの世話をしない日を
設けてリフレッシュに出かけたりしていました。

なので、母がいないのは子供にとっては普通のこと。
母がいなけりゃ、父がいる。

ウチの祖母の時代では考えられない!
両親は、本当に感謝しかない、と夫を褒め称えます。
が、まぁ、当たり前のことだと私は思っています。
もちろん、感謝はしています。それが関係のベースなので。
その辺はパートナーシップ編をご覧ください。

子供に話を戻すと、
清里には当初3、6歳の保育園時を伴っていました。
自然の中で子育てをしたい!と思っていたし、
子供にとってもそれが幸せだと思っていたので。
でも、違いました。
3歳の子供が横浜の保育園に戻りたいと言ったのです。
保育園が小さくて、一緒に遊ぶ男の子が転園でいなくなってしまったのが
きっかけでした。
でも、キッカケでしかなくて、多分。
行き慣れた、とにかく楽しく遊ばせてくれる横浜の園に戻りたいと
泣いて頼まれました。
それで、夫と相談して、保育園激戦区の横浜に子供を転園させる手続きを始めました。
それに伴い、保育園を卒園する次女をどうするか、ということになりました。
私「1人だと寂しいから、残ってくれると嬉しい」と言ったら
夫「子供はみんなで一緒にいるべき」と速攻で言われました。
本人は真ん中で優柔不断。
あちらの顔を見て、こちらの機嫌を察知してというタイプでとても優しい子です。
「母を1人にするなんて、かわいそう」(だから一緒にいてあげる)と言ってくれていました。
私が大丈夫!と強がって、伝えました。
そして、強力なネエネが「一緒に小学校に通おう!」とお誘いしてくれたので、横浜に帰っていきました。

子育てで大切にしてきたこと

あなたは風邪を滅多に引かない強い子ね、と言い聞かせる
鼻水が垂れたら、あなたの体は頑張っているね、と褒める
なので、滅多に風邪もひかないし、熱を出して休むのは年に1回あるかないか、です。

自分でやってみる
自分が何をしたいのかちゃんと言葉にする

ぐずった時ほど、これを聞きます。
こういうこと?と誘導してしまうこともありますが、その辺は加減するかなぁ。
長女は遠慮してしまうことが多いので、
言葉にすると叶うよ、ということを常々言っています。

癇癪を起こして取っ組み合いの喧嘩を私としたり、夫に追い出されたりもしています。
でも、そんな時はタイミングを見て、パートナーがフォローをするという形が自然にできています。

つめすぎたな、と思ったら「さっきは怒りすぎてごめん」と謝れるようになったのは、子供が生まれるまでの私からは考えられない成長です。

それから、どんなに怒っても、私はあなたのことが大好きよ、と日頃から刷り込んでいます。変なトラウマになったりすることがあると潜在意識の勉強をする中で知ったからです。


離れていても大好きよ、っていつも電話でも言っていたなぁ。
何事も経験してみてわかることがある。
私にとっても、多分子供にとっても、
離れていても大好きって気持ちはちゃんと伝わっていた。

離れたことで、大切なことを学んだと思っています。
そう、結論、
子供たちが大好きってことが伝わってれば大丈夫なんだと思います。

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