生産性のない時間への怒り
時間は有限である。
同じ時間の中で、いかに濃密なコミュニケーションを取る事ができるか。
これが時間生産性を高める。
とした時に、その前提をすり合わせることが出来ていない状態って、悪に等しいと思った出来事が先日あった。
お互いがゴールを定められてない状態。
今日、そこに数十分間安泰して時間を無駄にしてしまった自分自身への怒りを、冷静に整理していこうと思う。
■この会話の、本来の目的とは何か?
誰もが無駄に時間を過ごしたいわけじゃない。
わざわざ足を運んで、かつ時間を取ってもらったのには、明確な理由があると思ってる。あるべきだと思ってる。
ある時誰かに言われた、「そうやって会うことに毎回目的を持つの?なんか男性的だね」
最後の一文はよくわからないが、なんかずっと覚えてる。
この前、面接官でも言われた。
「時間を費やしてもらう時、充実するようにちゃんと準備をするんだね」
その人は、それを私の強みだと言った。
自分の強みは、自然なもので、
無自覚だからこそ、本人は認識をしていないのだと。
■ゴールのない時間の使い方
上京をしてきた大学生の時、沢山の出来事をなんだなんだマルチにトライしてきた。
複数のバイトやサークル、恋愛(ぼそり)や学問。
自分に合う空気感や人達、過ごし方がいまいちわからず、でも単純に「今」与えられてる環境を物怖じせず選択して、飛び込んでいった。
謎にZepp東京を貸し切ってイベントをやったし、
朝までおしゃんなダーツバーでいちゃいちゃしてたし、
いろんな合宿や呑み会の誘いに、体が許す限りは参加した。
翌朝路上のゴミにダイブする友人を見て笑ったり、
次の日寝て終わっちゃう虚しさを見ないフリしてた。
大学生では味わえないお店でのデートや、都会のviewを見回す場所に行く状態にただ酔いしれてたし、
当時のカレと過ごす時間が、何よりも私を自己承認してくれる時間だと思って長らく強く依存もしていた。
要は、自分の幸せの形を知らなかったし、
それを誰かに無理やり預けることで、頭で考えず、これが幸せなのだと思い込んでた。
まとめますと、大学生の時間の使い方として、最高のものを味わってるととんでもない勘違いをしていたわけです。(さすがおのぼりさん)
たくさんの無駄な時間と、無駄なお金を費やしてきたという自覚が今ではすごい。すっごい。
もちろん、その時にたくさんの経験をできたし、いろんな世界を見れた、が故に、
「あ、こんな人達みたいにはなりたくないな」と思えたので、
人生の収穫こそ大きかったけど、間違ったことを正と信じていた状態は、健全ではなかった。明確に、健全ではなかった。
そんな中、大学3年生で人生の転機が訪れた。
1人の女のコとの出会いをきっかけに、その後の価値観そのものが少しずつ覆される出来事だった。
(結構スピリチュアル的に受け取られるニュアンスが含まれているので詳細はまた別で)
その時から、
「有限な時間の使い方」と、その時間を「誰と費やすのか」を徐々に意識するようになったし、
自分に問題提起をするようになった。
でも、とっても健全な変化だと今でも思っている。
■いま、出来ること
若い頃は、時間なんて永遠にあるように思っていた。
お金なんて、親にも頼っちゃえば水のようにあふれてくるものだと思っていた。(やばすぎ)
でも、私達は確実に歳をとっているし、
どれほど自分が 変わらずに今にしがみついても、周りが確実に時間と共に変わっていく。
永遠なんてやってこない。
時間に逆らうことなんて、誰もできない。
後悔ないように今できるのは、時間の真っ只中に生きながら、アクセルを踏み続けること。
そう思った時に、
・今、私がコレに時間を費やしているのは、「本当に」価値があるのか?
・怠惰で一緒にいた人達にとっても、この時間は果たして価値があるのか?他に使った方がいいのでは?
・私は、誰かの人生をも道連れにしてしまってるのではないか?
どこに時間を使うかによって、
人生は180度変わる。
よくある言葉のように、
働く場所を変え、住む場所を変え、付き合う人を変える。
そうすることで、自分の当たり前が変わりインプットの質が変わり価値観が変わりうる。
ひいては人生が変わってくる。
自分の、そして周りの人の、
「本当の幸せ」のために、目前の選択をできているのだろうか?
その責任まで、ちゃんと考えられているだろうか?
気負いすぎと思われるかもしれないが、大なり小なりこれは今でもよく考える。
多分めっちゃ真面目なんだと思う。
そのくせ「今」を重視するからこそ、
好き!と思ったら好き!って言うし、嫌だって思ったら嫌だって言う。その場その場は完全なる直感型でフルオープン。
そりゃあ人間だもの、ハメを外したい時だってあるし、まともな理性を
捨ててパーっと過ごすときだってある。(時間生産性を考えちゃう理性をぶっ飛ばして)
「はい・いいえ」では片付けられない男女関係に、目先の仕事をほっぽり出してタクシーに飛び乗って駆けつけてしまうことだってある。
世の中の色んなことがグレーゾーンにあるとはわかっているので、(特に男女関係ですよ)
はっきりしない余白をむしろ楽しむことも、大事にしてる。むふ。
機械じゃないもん。
人の中でも、かなり感情的に動いている方。
むしろ感情的すぎてこいつヤバいって思われてると思う。(全く同感)
でも、
・自分だけではない誰かの思いや目的を背負っている時
・一方的ではなく、お互いにとって取捨選択を迫られている時
ex打ち合わせ、面接、面談、商談、固めの飲み会、情報交換の場、紹介者との挨拶、真面目な恋愛、、などなど。
上記の場合は、いろんなことを考える。
話す目的があるからこそ、お互いにとって、ちゃんと価値のある時間にできればと思うし、
そのために調べることや準備はちゃんとする。
たまに大きく失敗しちゃうけど、
大抵そういう時は、
・前提(期待値)のすり合わせ不足
・準備不足
・展開の推測不足
・男女のいらない感情を挟んじゃった時
・先方への無駄な気遣いが先行した時
・要らんプライドを先に持っていった時
・自身の自立できておらずどこか弱っている時
上記が要因。
ほんと無駄。
そして終わったあとに、めちゃくちゃ後悔する。
結局自分に最大限出来るのは、目前に100%集中することだけだったのに、一体何やってるんだ、と自分に怒りを覚える。
こんなこと完璧にできるようになったら、「後悔」なんてものがない人生になるんだろうけどまぁ無理だわな。
ただ、無理だよなと思う開きなおりを毎回繰り返すより、
今しかない「今」を、全力でポジティブに生きれることを追求したいと思う。
なんかそれだけなんですけどね。
■コンプレックスとの共存
あと、すごく単純に、自分に自信がないんだと思う。(結構露骨に)
わたくしめが貴方様の時間を使ってしまって…的な、行き過ぎた謙遜のニュアンスも含まれてる。
ある面接官から言われた、「建部さんって自分に自信ないよね」と。
一瞬頭をよぎったのは、イベントや飲み会を開催してフルオープンではっちゃける私と、誰かに言われた、「めっちゃ自分に自信ありそうだよね」。
だけど、「はい、そうなんです」と返した瞬間、何だかしっくり来た。
その場その場を全力で楽しむ精神と、自分に自信がないというベースは、矛盾するようでちゃんと共存できている気がする。
めっちゃ弱ってる時に自分を否定する理由にもなるし、行き過ぎてて自分をコントロール出来なくなっちゃう(謙遜しすぎて本来の目的を見失う)時もあって嫌になるけど、
他人に「強み」と認めてもらえる要素にもなる。武器になる。
まさに一長一短、裏と表。
自分に対する自信なんて、ずっと持たなくたっていい。
ただ、今の自分へ導き、25年間培ってきた直感と、
周りにいてくれる大切な人達には、深く自信をもつ。
うむ。
■教育分野の多様化
いやー、それにしても、あの大学生の時間を湯水のように使う=大学生あるある(キャピッ)みたいな風潮、どうにかならんかね。
大学行くハードルや目的意識が異常に低いよね。大卒の価値って何?っていう。
もはや、専門性のある分野(4大以外に専門学校も含む)を扱ってるところだけ残して、(法、経営、語学、料理、等などその道のスペシャリストを目指せるところ)
〇〇〇〇部的な、謎に4文字で組み合わされた目的が曖昧な学部とか排除してしまえぃ。
なんかでもこの動きって、着実に進んでるか。起業したい人向けの大学、とか、大学の選択肢が大胆にガツンと広がってる。
あとはどうやって、その情報を高校生までにキャッチするかだなー。
将来に関心をもつか、だなーー。
ある人が、「教育システムを変えることもひとつあるだろうけど、子ども達がもつスマホの画面をある程度ハックしてしまえば、教育委員会なんて通さなくてもいい」的な事言ってた。
な、なるほどと。アプローチの仕方がスマホのおかげでだいぶ多様化して、まぁ授業まともに聞かなかったら先生に怒られるかもしれないけど、スマホを眺めて情報収集をする割合が増えれば増えるほど、このご時世だいぶ価値のある選択をできるようになる。
何より、この情報過多社会の中で、ちゃんと価値ある本質的な情報を届けられれば。
今も未来も多様化しているからこそ、こちら側の脳も柔軟でありたいものですな。