「老いる」ということについて考えてみる
相変わらず渋いテーマで、老いについて考えてみる。
今日ふとパパの痩せた背中を見て。
なんだかどっかで変なの食べてお腹壊して曲がってる背中を見て。
亡くなった人と同じ苦しみを思い出して。
老いるということについて、考えてみたくなった。
眼前にその問題はあって、
いつだって急に問題は起こって、
明日明後日ふと病院に行ってみたら、で始まった闘病生活もあれば、
家族中心で考えなきゃいけないライフスタイルもあるだろうから。
介護という新しい世界は、
意外と私の近くにあるのかもしれない。と思った。
▼介護
介護といえば、
日本は世界でも有数の超高齢社会に突入をしていて、そこに関する技術やノウハウ、必要とされる様々なものはどこよりも秀でていく超先進国になるとされていて、
現状ロールモデルはないものの、日本中の誰かさんがどこかで今にきっと必要なものを作ってくれるんだろうなと思いながら、
民間人がほぼ自らデジタルに頼ることをしない地域社会では、先進的な恩恵を受けられるものなのかと思う。
地元の病院に行くと、おじいちゃんおばあちゃんが朝からものすごい数。
平日でも関係なし、300円くらいの会計で先生とお話するためだけに来てるような人もいる。
なんだか謎に看護師が多くて、後ろで手を組んで談笑する人もいれば、
おばあちゃんと久しぶりの立ち話で長引いてる看護師もいる。(見ててホッコリ)
地域で愛され残り続けるには、
新規の客じゃなくて当然既存の客、「久しぶりね」なんて言える仲であることが大事なんだろうなぁと見ていてヒシヒシと感じる。
けど、随分地域は地域で、あり方がガチガチに固まっていて、
パパがあと10年後ヨボヨボしてきた時に、手を差し伸べられる環境はあるのかな?
民間人が手を出しやすい価格や使い方の何かはあるのかな?
私が都内にいながら、介護についても情報をキャッチアップしていこうと思うものの、
地域にいながらって難しいんだろうなぁ、って思う。
介護については現状の課題すら私自身全然把握出来ていないので、まずは情報収集、そこから考えよう。
いざ、ぶつかってみてから「ああこんなことで悩むんだ」って焦って動き始めるのって嫌だけど、
そこに対する事前インプットみたいなのって、取りに行かないと貰えないものなのかな?
なんか学校の授業とかで組み入れてくれたりしないかな。
介護って、親に限らず、我が子にも恋人にも、
誰に対しても施す可能性があるものだから、
緊急の医療応急処置と同じようなケーススタディとか。何か。
そういえば、周りにいくつか老人ホームがあるけど、経営元がどうしようもなくてご飯や待遇が酷いところから、別のところへ入居者さんが移った話を聞いて、
いくら売り手市場だからとて、需要あるし出しちゃえば儲かるぜ発想って限界あるんだなと思った。当然だけど。
▼キラキラした表面的なもの
キャリアだ20代だ、可能性だ未知の領域だ、
厨二病だ興味分野だ、色んなことを考えてきて。
ただ人生のごくごく1部に過ぎないということを、転職活動中も、終わった時も、帰省中も一層濃く思う。
そういうキラキラしているものは、
イコール生きる。ということだから重要で、
とても重要で、私はだからこそその分野に関わりたいと思ったのだけど、
血縁関係の家族、介護、老い、病気。
とってもリアルで大きな問題を、人生を通して掲げてくる分野について、
盲目にならず、ちゃんと対面して、
考えていかなきゃいけないと思った。
人を木に例えた時、その幹を作るのは、
仕事であり、家族との時間であり、恋人や友人との時間であり。様々なものがある中、
テロのドキュメンタリーとか観ると、死ぬ間際に愛する家族に電話して「愛してるよ」って言って死んでく的なあのストーリーって、意外と本質なのかもと思って。
普段は当たり前で、見ないフリしてても全然平気で、当然のように日常の一部だったものから、
急に予想だにせず切り離されると、
涙ながらに愛してるを伝えたくなる。
もしかしたらその一瞬も許されることもないかもしれない。
生きていく上で、幹の部分として大事に向き合っていくべきものは、
若いからこそ、親共々動ける身体だからこそ、今があるからこそ、家族だったりするのかな。
って、思ったり。
ひとりひとり答えは違うのだけど、
私は二度と後悔をしたくないという思いから逆算すると、やっぱりそこに行き着く。
この背中を見るのが最後にならないように。
最後になったとしても、後悔が残らないように。
私自身が、日々の中で追われるものだけにとらわれず、
幹の部分にちゃんと向き合っていられるようにしたいなぁ。
週に一回はそういう時間を作ろうと思ってる。
そのベースあってこその時間なのだと、仕事しながら思い続けるのってどこまで可能なんだろうなぁ。
▼人生にplusアルファをするものより、人生の基盤そのものを豊かにするもの
という、多分そういうものにより興味がある。
娯楽や進化し続けるテクノロジー、利便性のある分野。
これって基盤そのものを豊かにする事業ともちろん重なる部分もあるんだけど。
人が生きていく上で、
切っても切り離せない分野に、関わりたい。
衣食住。学ぶこと。働くこと。
家族。介護。医療、ケア。
健康、法律、経済。
多分もっとちゃんと調べれば沢山出てくる。
生きることそのものを、贅沢という言葉とは別の次元で、豊かにしたい。
最後、死ぬ間際に手元に残るものを、豊かにできればいい。
少なくとも私は。
特別な待遇や生活なんて出来なくていい。
そんなもので満たされるうちは、なんだか外部に承認欲求を求める悪循環の中から一生抜け出せないように思う。
そうやって40~50になった人たちを見て、反面教師で学べたもの大きかった。
自分を本質的に満たしてくれるものを、ちゃんと知ってなきゃなぁ。
また今度これについては考えよう。