『性犯罪被害にあうということ』『性犯罪被害とたたかうということ』の感想
こんばんは、Nです。
人の尊厳について話をする時には、私たちは一人の生身の人間として相対する必要があります。
虚飾を剥ぎ取った、等身大の一己の人間としてです。
そこでは論破もレトリックも必要ありません。
これを仮に「生身の人間領域の話」と呼びましょう。
今回は、そのような領域での話です。
なお、かなりセンシティブな話題ですので、苦手な方はご留意ください。
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性犯罪は、女性の尊厳を踏みにじり、人生を壊し、長期に渡る苦痛を与える人権侵害であり、断固として撲滅すべきです。
今般、小林美佳氏の『性犯罪被害にあうということ』『性犯罪被害とたたかうということ』を読みました。
(所々見覚えがありましたので、以前にも読んだのかもしれません。)
読み進めるのが辛くなり、時折、涙が滲んでくるほどの壮絶な内容で、その想像を絶する痛みの一端を感じる思いがしました。
この言葉が、強く心に残りました。
被害者の痛みを、完全に理解することは誰にもできない。
けれど、そばに寄り添って、その痛みを分かろうと努力することはできる。
それが何よりも大切なのだということ。
そのような辛い時期には、慰めの言葉も上滑りしてゆくだけなのかもしれない。
それでも、突き放さずに、時間をかけて、寄り添い続けることが大事なのかなと思いました。
理解をして欲しい、という願い。
他人の痛みを完全に理解することはできないし、軽々しい言葉は胸に響かない。
それを知った上で、それでも理解をして欲しいという願いは確かにあるということ。
一見矛盾するような複雑な心理ですが、それが率直な心境なのでしょうね。
その感情に対して、突き放すのではなく、寄り添うことが大事なのかなと思いました。
もし、自分が犯罪被害に遭った時、近くで支えてくれる人の存在は何よりもかけがえのないものだと思います。
そして、自分の身近な人が、そのような事件に巻き込まれたらどうするのか。
それを想定した研修会なども行われているようですね。とても有意義だと思われます。
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主にツイッター上で活動している私にとって、興味深かったのは、以下のくだりでした。
インターネットの掲示板で出会った被害者がもっとも信頼できる友人になった。
インターネットを使用して助けを求める先を探しやすくなったのは事実。それに伴い、著者への被害者から連絡が来るタイミングも早まっている印象がある。
昨今、社会問題になっているように、SNS上で知り合って犯罪に巻き込まれる事件や、SNS上での誹謗中傷の問題も多くある反面、本来のインターネットには上記のようなメリットもあるということ。
今よりもっとインターネットのリスクを減らし、メリットを最大化させることができれば、と思います。
啓発活動やマナー運動等に加えて、システム上での機能面での改修として、たとえば、「自分のアカウントに対するNGワードによるフィルタリング機能」あるいは「フォロー外のアカウントからの引用リツイートを制限する機能」を設定できるようになるだけでも、かなり改善するのではと思われます。
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著者の知り合った性犯罪被害者3000人のうち120人しか警察に届け出ず、そのうち30人しか刑事裁判まで至っていない、ということでした。
大多数が泣き寝入りしているという現状。
また、犯人像について、顔見知りによる犯行とそうでない場合が半々で、顔見知りの犯行の内訳は親兄弟及び配偶者が約3分の1を占め、職場関係者が16%、恋人が11%となったそうです。
加害者の半数が身内や顔見知りであることが、現状を壊したくない、泣き寝入りするしかないという状況の原因の一つとなっている、という。
これは性犯罪被害の特徴でもあるかと思われますが、「外に知られたくない」という心理が強くあるようですね。当然のことだと思われます。
ただ、犯人が野放しになることは由々しき事態ですので、プライバシーを保護しながら、犯人逮捕に結びつけられる仕組みがあれば、と思われます。
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裁判員裁判でプライバシーが暴かれることについても、多く言及されていました。
裁判員裁判を通じて、被害の詳細を複数の部外者に知られるということ自体が、被害者に対するプライバシーの侵害であり二次加害になっているのではないか、ということ。
そして、「強制性交等致傷罪(強姦致傷罪)」は裁判員裁判の対象となりますが、「強制性交等罪(強姦罪)」は裁判員裁判の対象外であるということで、
裁判員裁判となって被害の詳細が複数の部外者に晒されることを嫌って、あえてより刑罰の軽い「強制性交等罪(強姦罪)」での起訴を求める被害者もいる、ということです。
これでは被害者の保護に繋がらず、本末転倒であると思われますね。
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創作者の自由を守る側の立場の自分として興味深かったのは、以下の事例でした。
表現者としてエンターテイメントに関わる仕事をしている、ある女性は、幼少期に従兄弟から性被害を受けた体験があったが、
表現者として自身の作品の中で性暴力被害の真実を伝えたい、ということで挑戦していた。
表現という手段によって自分の心を開き、トラウマから解放されたいと望んでいた。
創作活動が一種のメンタルケアとして機能していた、という事例と言えると思われます。
創作活動において、「生きがい」やメンタルケアなどの面で、創作者と愛好者が救われている、ということも広く知られるべきだと思われます。
この力強い言葉は、苦痛の中にある被害当事者の方へ向けられたものでしょうね。
そして、社会的には性犯罪者を決して許さず、然るべき処罰を課し、性犯罪を撲滅することが求められているのだと思います。
性犯罪の撲滅に賛同いたします。
まとめ
性犯罪は、女性の尊厳を踏みにじり、人生を壊し、長期に渡る苦痛を与える人権侵害であり、断固として撲滅すべきです。
私は性犯罪の撲滅に賛同しており、また、創作者の自由を守りたいと考えている人間です。
昨今、広告などの性表現をめぐり、SNS上で「性犯罪を助長する」などとして、「ジェンダークレーム」とも呼ばれるバッシング行為が横行している現状があり、
表現の自由と、性犯罪の撲滅が、あたかも二者択一であるかのように論じられることがありますが、これには反論したいと思います。
両者は両立できるものであるはずです。
現実での性犯罪の撲滅に賛同すると同時に、
創作者の自由を守りたいと願っております。
以上、お読みいただき、ありがとうございました。