『男が痴漢になる理由』を読んだ感想
どうも、最弱アンチジェンダークレームのNです。
今回はかなりセンシティブな話題ですので、苦手な方はご留意ください。
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性犯罪は、女性の尊厳を踏みにじり、人生を壊し、長期に渡る苦痛を与える人権侵害であり、断固として撲滅すべきです。
先日、性暴力被害者の女性の勇気ある法廷での訴えが、広く共有されていました。
本当に痛ましい事件であり、その切実な訴えは多くの人の胸を打つものでした。
このような事件は二度とあってはならないと思います。
表現規制反対派の人たちの中でも、神崎ゆきさんの呼びかけで、犯罪被害者支援の輪が広がっております。
私も微力ながら支援させて頂きました。
私は、犯罪被害の実態、ジェンダー論、フェミニズム思想、メディア効果論等、まだまだ知識不足を痛感しておりまして、勉強を始めたところです。
さて、今般、斉藤章佳氏の『男が痴漢になる理由』を読みました。
長年に渡り性犯罪再発防止プログラムを実践されている榎本クリニックでの経験に基づく痴漢犯罪の実態についての仮説は、従来の固定観念を覆すものであり、表現規制の箇所以外は、とても参考になりました。
以下、その感想を記します。
痴漢犯罪の実態について
本書によれば、痴漢犯罪の原因は必ずしも性欲ではなく、ストレスが原因であるという。
仕事や人間関係のストレスの蓄積から痴漢犯罪に至るケースが多く、痴漢行為がストレスへの対処行動(コーピング)となっている。
世間の見方に反して、痴漢加害者の多くは特別に性欲が強いわけではなく、風俗店の利用は抑止にならないことが多い。
犯罪報道では、加害者の性欲の強さや生育歴等の特異性が強調されることが多いが、実際には加害者の多くは普通の男性であるという。
犯人は犯行時に「(無意識の)スイッチが入った」と供述するが、匿名性の高い満員電車等の条件が整っている状況下を選んで犯行に及んでおり、計画的であるので、「スイッチ」などというものはない、という。
※これは、犯人の供述をそのまま信用してはならない事例と言える。
痴漢犯罪は「性依存症」という病気である。
ただし、そのことをもって犯人の罪が軽くなることはない。
痴漢行為が「生きがい」であると答える加害者も多くおり、それは「行為・プロセス依存」であり、性依存症の症状である。
痴漢加害者の再犯率は非常に高い。
痴漢犯罪を繰り返す犯人に対しては、性依存症の治療により再犯を防止しなければならない。
榎本クリニックにおける再発防止プログラムでは、認知行動療法に基づき、ストレスへの対処行動(コーピング)の学習が重視される、という。
痴漢行為が「生きがい」などという「認知の歪み」を矯正し、効果的なストレスへの対処法を学ばせ、趣味やスポーツ等の新たな「生きがい」を持たせることで、自力でコーピングができるようになることを目指す。
満員電車について
痴漢犯罪が行われる場所は、平成28年の調査では電車内が52.7%、駅が19.4% に上る。
2010年の警察庁の調査では被害女性の約9割が泣き寝入りせざるを得なかったという調査結果もあり、深刻な問題である。
電車内での痴漢犯罪が多数を占める原因は、満員電車にあるという。
満員電車内では犯人は匿名性を獲得し、人と人の距離が近くなり、犯行を実行しやすい条件が整っている。
女性専用車両の設置も進められているが、満員電車を解消することが痴漢犯罪の抑止にもつながると思われる。
認知の歪みについて
性犯罪者は「認知の歪み」を持っている。
ここでの「認知の歪み」の定義は、「問題行動を継続するための、本人にとって都合のいい認知の枠組み」とする。
犯罪を正当化するための認知を作り上げ、「女性が痴漢されることを望んでいる」「痴漢しても許される」などと思い込んだ上で犯行に及ぶ。
認知の歪みが形成される背景には、女性差別が社会通念として社会に存在することが原因としてある、というのが著者の仮説である。
世間の見方と違い、痴漢犯罪のターゲットとなるのは、露出度が高い服を着た女性ではなく、大人しそうな女性である、という。
たとえば、親が娘に「短いスカートを履いていたら痴漢に遭うよ」と言うことは、「短いスカートを履いていたら痴漢に遭っても仕方がない」という痴漢加害者の言い分を間接的に認めていることになるのではないか、と著者は言う。
どのような服を着るのも女性の自由である。
「夜遅くまで出歩いていたから」などと被害者である女性の落ち度を責めることはセカンドレイプにもなる。
性犯罪者は「女性をモノとして見ている」と言われるが、実態はそれとは違う側面がある。
性犯罪者は被害者のリアクションを求めている。
それは犯罪者の支配欲、達成感を満たすために必要なものであり、性犯罪の本質は性欲だけでなく、支配欲にあることを意味している、という。
上記のような加害者の「認知の歪み」を矯正することが、再犯防止の観点から重要であり、その治療では認知行動療法が用いられている。
表現規制について
以上の事柄については大変参考になりましたが、表現規制については本書に反論させて頂く形になります。
認知の歪みが形成される背景には、女性差別が社会通念として社会に存在することが原因としてある、というのが著者の仮説ですが、
同時に、性犯罪者は痴漢等の行為を描いたアダルトコンテンツの影響を受けている、という仮説を立てられています。
上記のような「表現の悪影響」論、あるいは、「認知の歪み」論は、昨今の広告や漫画等に対するジェンダークレームと呼ばれる、特定の表現に対するバッシング行為の根拠ともなっている仮説と言えるでしょう。
この仮説は未だ証明はなされていませんが、表現規制を求める人たちの間では自明であるかのように信じられているようです。
※ここでの「アダルトコンテンツ」の定義は定かではなく、実写であるか架空のキャラクターであるかによっても話が変わってきますが、ここではその区別に触れずに論じられています。
こちらに対して、漫画等の架空のキャラクターの表現規制に反対する立場から2点ほど反論を試みさせて頂きたいと思います。
1.犯罪者の供述の信用性の問題
「アダルトコンテンツの真似をして犯罪を実行した」などという犯罪者の供述をそのまま鵜呑みにすることはできません。
なぜなら、それは責任転嫁である可能性が高いからです。
犯罪を全て自分の責任とするのではなく、「アダルトコンテンツのせいで犯罪を犯してしまった」と言えば、犯罪者自身の責任が軽減されるでしょう。実際に司法判断に影響して刑罰が減刑されたとすれば犯罪被害者にとっては不当な判決であると感じることでしょうし、量刑に影響がなかった場合でも、犯罪者の心の中で罪悪感を軽減することに繋がるのではないでしょうか。これらは犯罪被害者の擁護に逆行する事柄であると思われます。
安易にアダルトコンテンツ等の影響を認めることは、「社会が悪い」「アダルトコンテンツが悪い」そして「自分は悪くない」という犯罪者の責任転嫁を許すことになるのではないか。
もし、犯罪者が自分の罪と真摯に向き合うのなら、
「全て自分が悪いのです。社会のせいでも、アダルトコンテンツのせいでもありません」と言うべきでしょう。
そして、その言葉を心から言えるように促し、犯罪者の認知の歪みを正すことが、認知行動療法の目標でもあるのではないのでしょうか。
端的に言えば、犯罪者に「言い訳を許さない」ということです。
犯罪者には相手の尊厳に配慮できない「認知の歪み」が存在することは確かですが、
その「歪み」がどのようにして犯罪者の中で形成されたのかを慎重に解明することが重要であって、安易に「社会の風潮が悪い」「アダルトコンテンツが悪い」などと断定すべきではないかと思われます。
2.マスタベーションとの関連性の問題
本書では、性犯罪者は犯行前にマスタベーションの頻度が増えることが示されており、このヒアリング結果をもって、アダルトコンテンツによる犯行への悪影響を推定する仮説が示されています。
しかしながら、本書にも「コーピングとしてのマスターベーション」とも書かれているように、マスタベーションは一般的にストレス解消の手段であると思われます。
性犯罪者が犯行前にマスタベーションの頻度が増えることは、それが犯行を促していると見なすよりも、マスタベーションによるストレス解消により犯行を自ら抑止しようとする「代償行動(心理的な防衛機制)」であると見なした方が適当であるように思えます。
もし、この仮説が真であるとすれば、アダルトコンテンツが犯罪を助長するという説は誤りであり、 「アダルトコンテンツがあるから性犯罪が抑止される」という説の方が正しいことを意味するのではないでしょうか。
海外の事例で、コンテンツに対する表現規制を導入した国で性犯罪の発生数がむしろ増加したという話もあります。
なお、憲法学者の志田陽子氏はメディアのインタビュー記事の中で以下のように述べています。
私の考えとしては、こちらに近いですね。
まとめ
性犯罪は女性の尊厳を踏みにじり、人生を壊し、長期に渡る苦痛を与える人権侵害であり、断固として撲滅すべきです。
本書を読んで、その実態について理解を深めることができました。
一部に反論させて頂く箇所もありましたが、その他は大変参考になる情報を得ることができましたので、そこは切り分けて知識として糧にさせて頂ければと思っております。
引き続き、犯罪被害の実態や、ジェンダー論、フェミニズム思想等の勉強を進めたいと思っております。
以上、お読み頂きありがとうございました。