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希死念慮という病

はじめに

そらは今日も美しい。
生まれてから死ぬまで僕の傍を離れない。
地下よりも海よりも深い、世界。

久しぶりに時間ができた。
空白の時間があった。
だから書いた。

人生の感じ方

本題から入ろう。
僕は高校生の頃から死を意識するようになった。
自らそこへ行こうとする気持ちもあった。
みんなそうだと思っていた。
だって、時間は今しかないじゃないか。

変化

小学生、中学生の頃には感じなかったものがある。
「しへのきぼう」
苦しんでいる人もいると思う。
今回はひらがなで表記する。

僕の場合は、暗いものではなかった。
終わりを意識して、今を生きる。
前向きな渇望だった。

時としてそれは自分への負荷になる。
あのときはあんなに打ち込んだのに今は何もしていないじゃないか。
それも自然と消えてゆき、再びまた活動が始まる。

一歩も動けなる。
寝ずに作業に没頭する。
その繰り返しが始まったのは高校2年生。
みんな、たぶん気づいていない。
特に体の変化はなかった。
言動も変わらない。
自分のモチベーションだけが変化する。

発見

卒業し、親元を離れた。
新しい人間関係の中で死ぬことを考えない人がこんなにいることに驚いた。
周りの時間は無限で、僕の人生だけが有限だった。
仕事も成り行きに任せる人が多い。
更なる進学や成功も約束されているようだった。
ぼくだけが今にとどまっている。
未来や過去なんて。
どんどん時間は細分化される。
朝、気が付いたら目が覚めていて、起きて顔を洗う。
脳が覚醒して、世界を再び知覚する。
脳の神経が動き始める。
細胞が蠢く。

生きるとは今この瞬間を知覚することで、そこに意味なんてなかった。
ただ、良心に従ってやったらいいとされることをした。
知識としての文化と与えられた環境。
世界はその詰め合わせだった。
小さい存在が僕だった。

理由

生きることに理由はなかった。
我思う故に我在り。
考える時点で存在していた。

人と関わることは楽しい。
好かれれば嬉しい。
脳の作る信号だけれど、幸せならそれでよかった。
認められた時の多幸感と達成感。
心が躍った。
もし生きる理由があるとするならば、それはこれだと思う。

でも幸せを感じるとともに、絶望もあった。
他人のために。
幸せのために。
生きるために。
僕の今は理由に塗れていた。
動くことをやめればしなくてもよい。
もし僕が死んでも世界は動く。
偉人たちでさえ、死んでいった。
死だけは誰にも分かち合えない唯一の個人の持ち物だ。
それ以外はすべて社会が作っている。
終えることが生きることなんだ。

お金をもらう。
お金を作る。
社会を回す。
稼ぐ、育てる、愛する。
みんなはどうやって向かい合っているのだろう。

わかってきた癖だけ載せておく。
なんでだろう。

気持ちの上がり方

僕は全能感のある時と、不完全感がある時がある。
主には季節による。
夏は活発で冬は静粛。
まるで昆虫みたいだ。
でも人間は気分の上下くらいはある。
好きな人を愛せられればテンションは上がるし、嫌な人に会うと下がる。
雨だとテンションが上がる人もいれば下がる人もいる。
僕のこれもおおよそ考え方の癖みたいなものだろう。

僕はどちらが本当の僕かわからない。
実際にはどちらもが僕だ。
でも自分では信じられない。
両方の中間くらいのテンションが本当なのかもしれないが、それもわからん。
みんなも思い描く「本当の自分」
実際はどれでもないのだろう。
そんなものはどこにもないのだろう。

抽象化

考え方の癖としては抽象的すぎることが多い。
地に足がついていない議論になる。
正解はなく、仕事では不便なやつだ。
死とか生とか。
意味とか意義とか権利とか。
働くこととかお金とか幸せとか。
誰も普段から考えないことを普段から考えている。
そして考えたとしても答えはない。
人に話すと変なモノとして扱われる。
それはそう。
一応僕みたいに抽象的なこと考える、誰でも。
でもそれじゃあ今は生きられない。
大方の正解を見つけてそれを軸に変化していく。
何も悪くない。

その大方の正解は自分の経験した環境や体験で得られる。
たいていは文化。
海外に行って目が覚める人は、僕とは違う体験をしている。
それぞれみんな違うのは体験が違うから。
同じ体験でも、身体的特徴は異なるから受け取り方が違う。
多様性だ。
これだから多様性は難しい。
大切にしようとするとカテゴライズできなくなり、情報量が多すぎる。

二人がいる、あなたはどちらかと付き合おうとしている。
この人は料理人の息子で、昔からおいしいものを食べているけど歌がめちゃ上手い。
あの人はおじいちゃんが伝統工芸を作っていて職人技を見て育ったから手先が器用で力もある。

上の文は今考えた。
ここにはとんでもなく大量の抽象的な言葉が使われていて、だいぶ文章を簡略化できている。
なにの料理屋さんか。
何人目の息子か。
昔とはいつごろまで。
おいしいモノって?
何の歌が上手か。
何を基準にして上手なのか。
どこに住んでいるおじいちゃんで何を作っているのか。
それは本当に関係しているのか。
具体的に何ができるのか。

でも大筋はあっている。
多様性を説く人は、この2人説明をどこまで細分化して伝えれば気が済むのだろうか。

また話が長くなった。
僕の話はいつもこうなる。

関係

癖かどうかわからない。
一応。
僕は時たま人と離れてしまう。
僕もしんどいし、相手もしんどい。
でもどうしようもなく会いたくなくなる。
それは不完全感の時によく起こる。
全能感のときは必死に友達を作るのに、全く合わなくなる。
申し訳ない気持ちと責任に大きく後悔する。
どうしてもそこに行きついてしまう。
いつか受け入れられるようになりたい。
中間になりたい。

おわり

なにがいいたいのか。
何を伝えたいのか。
何で書いているのか。

答えもないけど、書いてみるだけ書いてみた。

共感できる人もいるだろうし、こいつ気持ち悪すぎるとなる人もいるだろうし、見ない人もいる。
みえている世界はみんな違うから、生きているのかもしれない。
みえている世界を教えてくれよ。
それならまずは自己開示。
終わりを求める思考をしている人の一例だ。

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