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大学で学ぶ意味

はじめに

現在の日本の大学は19世紀ドイツの踏襲。
大学はもともと12世紀ルネサンス。
そのまえでは古代ローマ。

僕は今、調査をしている。
蟻の研究の為。
毎日蹲む。

彼女らの世界は毎日が大慌て、ではない。
そこにある事象に反応する。
存在する、だけ。

彼女らは大変かもしれない。
もしかしたら楽しいのかもしれない。
案外さぼっているのかも。

積み重ねて掘り進めて。
歩いて歩いて。
巡り合って感じる。

何か来た。
甘いぞ。
おいしいぞ。

1cmにも満たない体で世界を経験する宇宙人。
圧倒的な組織力。
3億年で作り上げられた体系。

積み重なっていくその一瞬を僕はただ観測している。
地球の終わりまで続く工程を見つめる。
僅か100年の命。

大人の意見

演習の時も僕は彼女たちを探していた。
丁度、機械の体験会。
機械を扱う大人たちは不思議そうに聞く。

「ほいで、何の役に立つ」
「えっと、何の役にも、」
「そうなんか(笑)」

言葉の意味を推測する。
蟻を調べて、
お金になるのか。
得をするのか。
ご飯を食べられるのか。
養えるのか。
社会のどこに役に立つのか。
それを知らない人に何を提供するのか。
木を切る立派な仕事をする私たちと比べて、何の役にも立たない蟻の研究をする君のその意欲は、私たちと同等かそれ以上に価値を持つ者なのか。
大学に価値はあるのか。

なんとなくこんな感じ。
僕の体感。
推測。

きっとほとんどの人はそう思うだろう。
社会に出て、蟻なんか知ってて何になるのかと。
それよりもプログラミングだろうと。

僕はおもえない。
おもわない。
思いたくない。

大学の意味

直観的に大学がなくなることは国の終わりだと思う。
理由は上げられるけど今はいい。
僕の感想。

資金難で大学は文系の人数を減らして理系に投資する。
現代は量子コンピュータとか蓄電池とかが、文法の解明よりも価値が高い。
一次産業何て3Kと言われる。

たしかに。
法隆寺に行っても鹿苑寺、慈照寺、清水寺に行っても特に得られるものはない。
農業体験なんて汚れるだけだし、虫はいるし、疲れる。
交通費と宿泊費、食事代、お土産代。
貴重な休みまでも盗られてしまう。
大切なのは自分の時間、個人主義の時代。
人の多い観光地もあっつい中並ぶ行列も、さっむい中知らない仏像を眺めることも、人生において何のメリットもないじゃないか。
家でじっくりと長時間テレビとNetflixとYouTube、Instagramで他の人が喜怒哀楽を表現している方が有意義な休日じゃないか。
何せ費用は90%減だしね。

でも。

今、僕がこの具体例を示せていることに、価値はないだろうか。
人と思いを共有する。
ある程度の教養と体験は付き物。

これはほんの一例に過ぎない。
経験するだけで得られることはまだまだたくさんある。
学ぶことに価値はある。

彼らの機会は誰が実証段階まで持っていったのだろうか。
それらの金属の性質は誰が突き止めて利用できているのか。
電気の性質、物理的なものの動き、効率の計算。

自分の趣味嗜好がわかる。
世界の体験を変化させられる。
これらは繋がっている。

指摘されたように、蟻の研究何て、それを聞いた段階では何のためにも誰の得にもならない。
野帳を眺めても事実しか浮かばない。
個人的な満足のみ存在する。

しかし。

蟻の生態は本当に無意味だろうか。
昔のアメリカでは蟻のルート検索の仕組みを基にトラックは動いていた。
それくらい、彼女たちは最短距離を早く見つける。
総当たりではなく、真っ直ぐに見つける。
遺伝子の残した奇跡を僕たちは享受している。

Amazonで購入した商品が翌日届くことは、奇跡に近いと思ったことはないだろうか。
スーパーで遠い地域の野菜をどう運ぶか考えたことはないか。
GoogleMapを使って下道を走ってないのか。

誰のおかげでその選択肢をとれているのか、考えてほしい。

こんなにてるのにちがう

僕たちはおそらく人間。

ドメイン : 真核生物 Eukaryota
界 : 動物界 Animalia
亜界 : 真正後生動物亜界 Eumetazoa
階級 : 左右相称動物 Bilateria
上門 : 新口動物上門 Deuterostomia
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
上綱 : 四肢動物上綱 Tetrapoda
綱 : 哺乳綱 Mammalia
下綱 : 真獣下綱 Eutheria
上目 : 真主齧上目 Euarchontoglires
大目 : 真主獣大目 Euarchonta
目 : 霊長目 Primate
亜目 : 直鼻猿亜目 Haplorrhini
下目 : 真猿型下目 Simiiformes
小目 : 狭鼻小目 Catarrhini
上科 : ヒト上科 Hominoidea
科 : ヒト科 Hominidae
亜科 : ヒト亜科 Homininae
族 : ヒト族 Hominini
亜族 : ヒト亜族 Hominina
属 : ヒト属 Homo
種 : ヒト H. sapiens

研究対象はアリ類。

界 : 動物界 Animalia
門 : 節足動物門 Arthropoda
綱 : 昆虫綱 Insecta
目 : ハチ目 Hymenoptera
亜目 : ハチ亜目 Apocrita
下目 : 有剣下目 Aculeata
上科 : アリ上科 Formicoidea
科 : アリ科 Formicidae

分類学上はほとんど違う生き物。
でもこんなにも違うのに。
アリと物流はよく似ている。

先に例として挙げたのはアリのルート検索に絞っているから、環境を実験室で作り、センサーなどを付けてどこをどのタイミングで通っているかを調べて解析している。

長い。

要約すると、実験室のアリの生態。

彼女たちは驚くべきことに、どこでもほとんど同じ動きをする。
野生化でも。
試験管内でも。

だから誰でもアリは飼える。
水と餌さえ与えられれば。
あとは根気。

アリの行動は人の役に立つ。
じゃあ、行動だけの研究でいいんじゃない?
と、考えてくれたら思う壺。

なんで、蟻の行動って効率よくね、って発想になるのか。
物流に似てると思いついて実験した人。
その人物は絶対に彼女たちをずっと観察している。

研究成果だけ見て、それいいね、得するねってなるけど。
行きつくためにはまずは地道な観察が必要になる。
どうやって飼育する必要があるのか、何を食べるのか。
どこに住みやすいのか、近くに何があるか。
実験するにしてもこれらの事は知らなきゃいけない。

しかも。

アリ類は地球上に2万種、日本だけでも300種。
種によって体サイズは3倍違う。
主観だけでも2倍違う種もいる。
木の中、土の上、石の下。
住む地域によって食べるものも住む場所も違う。
国、県、地域、1m。
本当に彼女たちは多用に生育する。
ちなみに、一番多様なのはクモ類。

わかってほしい。
アリ類を知ることは生物の多様性を知ること。
環境の複雑さを測ること。

仮に僕たちに他の種がいたとする。
共生できる?
ほとんど同じシステムとコミュニケーション方法を持てる?

オラウータンとか猿とか。
一緒に生活できる?
同等の食事と住む場所でいい?

それくらいアリはとんでもない生態をもつ。
だからまだわかってないことも多い。
地域の生息情報なんてない。

世界や国、地方単位ならおおよそのものは既に作られている。
大体の生息場所と生態も。
でも、認知度はまだ高くない。

それを僕は作りたい。

将来的には、生きた標本資料館を作りたい。
地域に住むアリのディスプレイ。
価値はないとしても。

今の関心は、彼女たちの生息環境。
なんでそこにコロニー作ったん、って場所は多い。
木の切り株とか植物の根とか地面の裸地の真ん中とか。
そこでいいならここでもいいやん。
でもそこがいいらしい。
環境偏好性。

これは人にも特になりそうだと思ってる。
今の住居選択は距離とか家賃とか。
それだけじゃなくて湿度とか狭さとかも加えられるように。
アリの場所を選ぶ基準で環境の良さまでわかるかもしれない。
彼女たちの衣食住を兼ね備えた場所選び。
もう一つ。
彼女たちは環境を破壊することは滅多にない。
海外だと農園を荒らす害虫認定されたり、拷問の道具になったりする。
それはでも、その環境に適応した生態の結果に過ぎない。
本当の意味で適応し、環境と一緒に暮らしている。
持続可能性を求める近年の風潮。
順応する住まいを持つ彼女たちに、学ぶものは大きいと思っている。
まだまだあるけど、また今度で。

世界を映すレンズは、なにも僕たちの持つ哲学だけじゃない。
本当に大切なモノは、目に視えない。
学問の持つ、価値は。

ぼくの意見

なんでアリの研究をするかは単純な趣味嗜好。
好きだから、が妥当な表現。
でも意味を聞かれたら答えられる。

こういう本質はどうなんみたいな質問する人は、自分の方が上だと思っていると僕は思っている。

意味なんてあるわけない。
本質なんて、暇だから、以外存在するのだろうか。
死にたくない。

それの価値は?
って、お前に生きる意味あるの、となにもかわらない。
そんな質問しかできない大人になりたくない。
せめて考えてから行ってほしい。
問いを建てたことないのか。

「アリの研究ってルート検索以外に得はあるの?」
「生態学ってお金かかるだけで得はしてるの?」
「仕事したほうが楽しいんじゃない?うちの会社来る?」

みたいに質問できないか。
彼女たちは骨髄反射とフェロモンですれ違いざまに伝える。
存在してるって。

日常を切り取って残すこと。
僕の今の人生の指針で、夢。
ありすぎても少なすぎても。

僕の中では研究もその一環。
生き物としての大先輩の生きることを知る。
無から無へと続く短い一生。

有ることの意味を哲学者が考えてきた。
たぶんそれが人間っていう生き物。
僕もそうなる。

問い続けたい。

観測の価値。
基礎の価値。
日常の価値。


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