プロダクトを創るために生きていたい
1988年4月8日12時43分、姉さん、あなたは開くことすらない目で、一体何を目にしたのだろうか。聞くことのない耳で、どんな声を聞いたのだろう。泣かない声で、何を言ったのだろうか。
姉さん、あなたはあの日、死んでこの世に生まれてきた。まだ若かった父さんの、おばあちゃんの手に中にあなたはいたんだよ。冷たくなった小さなあなたは眠ったままだ。たぶんまだ母さんのお腹から出てきたことに気がつかず眠っているんだね。
でもあなたがその眠りが覚めることがないことを父さんは知っていたみたいだ。だって姉さん、あなたの冷え切った手は、父さんが何度も何度も呼びかけても手を握らなかったんだから。
姉さん、母さんはどうやらあなたの顔を知らないみたいだ。出産にともなう手術から回復して、母さんが退院して初めてあなたを見た時、あなたはすでに小さな小さな白く燃え尽きた骨だったから。白くざらついた骨だけのあなたを母さんは抱きしめたんだ。
1998年10月11日15時23分、妹よ、母も父も笑顔で君の顔を覗いていたんだ。ほんのり赤くなった君の頬を手でこすりながら、生まれたての君を母さんは腕の中で抱きしめたんだ、君は幸せそうに安心しきって眠っていたよ。
2016年3月19日9時23分、妹よ、君は母さんの腕の中で同じように眠っていたよ。違うのは、母さんは年老い、君は背が母さんと同程度に成長したことだけだ。
それ以外は、生まれた時と同じようだ。歩くこともなく、言葉を喋ることもない。一人で動くこともない。赤ん坊の時と同じような君を、抱きしめながら母さんが抱きしめている。
「今日は出かける日だよ」
身支度が終わった君を車椅子にのせ、養護施設に両親と出かける君の後ろ姿を僕は玄関から眺めている。
駅前で青いワンピースを着た少女が、美味しそうにアイスを頬張る姿がガラス越しに映る。舌でとろけるあの甘い味を、姉さん、あなたは知らないよね。
レコードショップに向かって歩く僕の横を、楽しそうに話しながら二人組の少女が通り過ぎる。大学卒業後の進路について話し合っている。社会で自分が必要とされるかもしれないあの淡い期待を、妹よ、君は知ることがないんだろう。
あるのは止まったままの大きな悲しみと、体の痛みに耐えながら、家と養護施設を往復するためだけにある膨大な時間だけだ。
もし僕が街歩く少女たちを幸せそうだと思ってしまったら。何かを得ることだけが人生の目的だとしたら。姉さん、僕はシャボン玉より脆いあなたの人生を壊すことになるね。
妹よ、狭い白い天井が世界の全ての君を守るために、僕は否定しなければならない。得ることでしか感じられない幸福は、結局は全て壊れていくものでしかないと。その幸福は嘘だと。
僕は何度も何度も通いつめて告白する。はじめてその柔らかい手を握った時、それだけで心が風船のように膨れ上がる。かわいらしい恋人の顔を見つめる。楽しい時間がすぐ過ぎる、時間は瞬く間に過ぎ去る。相対性理論は間違ってなかったと感じる。
だけど姉さん、僕が恋人の顔を思い描く度に、友達と遠くの地で楽しい思い出をつくる度に、僕はあなたたちの人生を壊していくことになるね。
僕が楽しみを手に入れる度に、あなたたちが手に入れることができないものを見せびらかせることになる。僕の行動はあなたたちに伝えてしまう。欲しいものが手に入らなければ、人生は無意味だと。
しかしあなたたちの人生が無意味だと仮定したら、何をもって僕の人生のほうには意味があると証明できるだろうか。
自分の人生の意味を証明できない僕に、あなたたちの人生の意味を奪う資格があるのだろうか。
僕は証明したい。
あなたたちに残されたたった一つのことである、生まれたということが無意味でないと。ただ生きることがそれだけで美しいと。一瞬でも生きたということがどれだけ価値があるかを証明したい。得ること以外の人生を証明したい。
僕とテーブルをはさんで話す人たちは、自分の望むことのために対価を払う。お金、時間、労力、その他の自分が差し出せるたくさんのものを。
バンクシーの絵を人生の一部を使って稼いだ資産を使ってでも欲しいと思う。だからこそバンクシーの絵には価値が出る。
食べるために1時間並んだハンバーガーの価値は人生の1時間分だ。楽しい思い出を作るために7万円支払って4日間行ったタイ旅行の価値は、7万円と4日間分の価値だ。誰かがどれだけ求めるかで、あるものの価値が現れる。求めるものを手にするために支払った対価が、そのものがどれだけ価値があるかを皆に知らしめる。
だから姉さん、僕はあなたに会いたいといつでも思っているよ。
だから妹よ、言葉のない君の想いを聞く度に、僕は君のために死ねるよって思うんだ。
僕が求めるだけ、僕が支払った分だけ、僕の人生の分だけ、あなたたちの人生に価値があるはずなんだ。
だから僕はあなたたちのために時間を使おうと思う。僕は自分の人生がどうなっても、姉さん、妹、あなたたちを世界に繋ぎとめるために、あなたたちのためのモノを生み出したい。何かを得るために行動するのではなく、何かを創り出すために行動したい。
僕が何かを生み出す淵源は、あなたたちにある。みんなが僕の時間をつかって形作られたモノを手にとる時、同時にあなたたちの人生に触れ、生きた手触りを確かめる。