クリミア・タタールについて:「屈しない一族の木」その2
帰還と新たな苦難
アブジェミルはと娘たちは家族と共に近くにいましたが、アブジェミルの息子のシェフケットは併合と親スターリン主義的な勢力のクリミア進出を受け入れることができませんでした。
アブジェミルはサマルカンド農業技術学校を卒業し、農学者の職業を得ました。ウズベキスタンでは、クリミア・タタール人たちは移動を伴う仕事に積極的に応募し、移住先から抜け出す手段を探していました。彼らは、そこにいる間も故郷のことを忘れず、帰還を夢見続けていました。地元のウズベク人たちから特に温かく迎えられることはありませんでした。
1973年、アブジェミルさんは32回の応募の末、ようやくクリミアでの仕事に就く許可を得るという、信じられないほどの幸運を手にしました。彼は故郷のアイ=セレズには戻れませんでしたが、ついに父親のいるクリミアの地に家族と共に到着しました。彼の家族には当時、3人の子供がいました。それ以来、彼は現在も妻と共にクリミアのペルヴォマイスキー地区のクレスティアニフカ村で生活しています。
アブジェミルさんのクリミアへのロシア侵攻初期の日々の記憶です。
クリミアへの「緑の小人」たち(ロシア軍は自分たちの身元を示す識別マークなしでクリミアに進入したという意味の隠語)の侵入初期について、アブジャミルさんはあまり話したがりません。
「いつも、良い結果を期待する必要があります。2014年の2月や昨年の春、私は夜に『明日は全てがうまくいきますように』と思いながら眠りにつきました。でも、結果は結果として受け入れるしかなかったんです…私たちはクリミアを決して諦めたことはなく、常にその地を目指してきましたし、これからもずっと私たちの故郷を求め続けます。私たちには他の祖国はありません。ロシアは1783年から計画的に私たちの民族をクリミアから追い出そうとしてきました。ソ連もそれを続け、今のロシア政権も同じことをしています。」
新たな追放 — リヴィウ
息子のシェウケットさんは、家族と最近まで住んでいたクリミアのフェオドシア市からキーウへ避難させました。彼らは困難な時期を乗り切り、状況が落ち着けばすぐに戻ってくるつもりでした。というのも、シェウケットさんとその妻のアイシェさんは6年間、フェオドシア市の地元住民や観光客に愛された「クルイズ」というカフェを一緒に作り上げてきたからです。シェウケットさんは、2014年1月にはすでに不穏な事態が近づいていることを予測しました。というのも、SBU(ウクライナ保安庁)やFSS(ロシア連邦保安庁)の職員が非公式にこの地域にいて、しばしば彼のカフェに立ち寄っていたからです。
「来店者たちは、隠すことなくこれから起こる出来事を話し合っており、街を歩いている人々は観光客には見えず、地元の人々とも違う集団でした。そして、2014年2月26日、クリミア・タタール人たちが議会でのクーデターを阻止し、その後クリミアの政府機関が占拠されたとき、家族を避難させる必要があると感じました。我々は古い民族であり、何が次に起こるかすぐに理解できるのです。」
家族はキエフに1か月ほど滞在しましたが、半島からの情報は、早期の帰還が絶望的であることを示していました。シェフケットさんは家族をリヴィウに移し、秋には小さなカフェを開業しました。最初の試みはあまりうまくいきませんでした。その間、フェオドシア市から悲報が届き、彼のカフェが完全に解体されたことを知りました。しかし、彼には三人の息子を育てる必要があり、涙を流している暇はありませんでした。今、彼の家族は再びカフェを開く決意をし、一方でクリミアではクリミア・タタール人の経営する店舗が次々と閉鎖されていました。しかし、シェフケットさんはもう心配していません。父親であるアブジェミルさんが困難な時期にどう生き抜くかを教えてくれたからです。
クリミア・タタール人の古い知恵は、常に忍耐強く、楽観的で、神から与えられたものを大切にすべきだと教えています。来る者は去り、あなたはその場所に留まるのです。私は、この併合が長くは続かないと確信しています。私たちは耐え抜き、必ず戻ります。それまでは、私の子供たちはギムナジウム(中等学校、日本での中学高校に相当)でウクライナ語と同様に英語やドイツ語を学んでいます。私たちは賢くならなければなりません。なぜなら、クリミアを復興するのは私たちだからです!
あのシルクツリー、桑の木、が生きている限り、庭園は成長し続けます。そして、最近、アイ・セレズに住むクリミア・タタール人たちがこの木の下に集まり、伝統を引き継いでいくために集会を開きました。― そう、私は2015年の記事を締めくくりました。
しかし、人生は再びクリミア・タタール人たち、そして全ウクライナ人たちの足元を揺さぶりました。2022年2月、非常に厳しい時が訪れたのです。これに何を加えることができるでしょうか…私たちは耐え抜き、必ず戻ります!
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