統合失調症の幻聴に関する考察19
これまで相対性理論的時間の解釈をもって精神の統合の際におけるコペルニクス的展開を披露してきた。
どうやら、観測者は、昨日の観測者と今日の観測者を統合する際に、理性的な判断が必要なようだ。(ここで観測者はだれ?という問いはしない。もし誰かがわかったところで、気休めにもならないし、確率は99.99999999%無い)
そう考えると、感性のひとつの統覚である、聞くというモーダルチャンネルは、しょーじき、どうでもいいと思う。内部表現は、もっと広い範囲の統覚をやっているかもしれないからだ。
ここで、ややこしいので、観測者の統覚を、内部表現とする。
内部表現は、ニューラルネットワークでいう情報そのものだ。
情報?
じゃあ幻聴は情報なの?
重力、電磁波、強い力、弱い力、時間、空間、などの振動数を駆使して情報化している私達だが、幻聴は理性的判断の理性誤謬(りせいごびゅう)だとする。
まてまて!!理性なのか、知性なのか、どっちでもいけることになってきたぞ、
いや、まて、最終的な決定は、理性だ。知性がおかしいから、理性が勝手に思索して理性誤謬をおこすわけだ。
ばーか
追記:認識とはなにか、で今止まっています。3年以上たってます