統合失調症の幻聴に関する考察16

まず精神の統合(統覚)を失調すると何が、前回の体制で作られた連合国にとってイケないものであるか考えてみよう。統覚の失調は、前回の大戦よりももっと前のウィーン体制くらいからイケないことになっていると思われる。

精神分析学者のユングは、統覚を失調することで地平の向こう、つまり観測者が言語で認識できるあらゆる宇宙の中に、乱数を見つけ出し、それがギリシャ神話と同じような普遍文法Univarsal Grammerだと発見したことがある。

我々は、つねに地平の外には絶対的な必然性のある最高の存在がいるのではないかと思う。

そもそも、まず精神というデカルトの「わたし」は、昨日のわたしと、今わたしがここに存在しているわたしであることの同一性を、我々はどうやって統合しているのだろうか?

そこには、経験してきたものの記憶である、悟性(知性)と、わたしが考えるときに、わたしがわたしであると判断するところに、判断ミスが見られることがある。

精神の統覚は、統語論的にも、完全性のある必然性もある、完全な言語によるものが必要だ。

そうでなければ、客体である対象もわたしである過去があるかもしれない。

精神の統覚に必要なのは、その観測時点においての完全性のある式だ。

例えば、地平の向こう側に、全体性のある最高存在がいたとして、精神の統覚の際に、地平の向こう側も統合してしまう場合だ。

これは、もはや知識や経験を超越してしまい、対象からの直感で得られる現実存在ではなく、純粋理性の理想、つまりイリュージョンをも、精神の統覚に包摂してしまう理性の判断ミスがある。これは理性がついやっちまいがちなことで、2000年以上もこの事例は世界各地で見られる。

それが世界の体制からすると、イケないのだ。

世界の体制は、完全性のある言語でできている。我々、地球上に住む人間は仕方なく、この数式に合わせるしか他ない。それ以外は、魔女であり、異端であり、狂人であり、犯罪者なのだ。過去の完全性のある記憶(悟性(知性)は捨て去り、母国語と共に、新しい言語を獲得することで、新しい体制の規律に適正化される。自然である人間とはこうであるべきだと。

「精神障害とはつまり植民地だ」



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