心のロウソク
私は現在、オリジナルのアニメーションを作っている。
頭で思い浮かべる映像を1シーンずつ作っているが、自分の持っている知識と技術が追いつかず「あーー!!」と、5分おき位に発狂している日々。
悔しく、とてももどかしい。
「今からそんなの作ってどうするの?」そんな囁きが脳内で反響することもあるが、それでも表現したいことがあり、伝えたいことがあり、残したいことがある。
悪魔の囁きが聞こえてきた時は、小島よしおさんの「そんなの関係ねぇ!あーそんなの関係ねぇ!」を頭の中で歌っている。
思い返すと、過去、熱意を持ってやり遂げたと言えるものが無かった。
田舎産まれの田舎育ち、私が通った田舎の果ての中学校(現在は廃校)では、
部活はバレーボールか卓球の2択で、どちらかの入部が必須だった。
とりあえずバレーボール部へ入部したが、運動も大して得意でなく、熱意も無い私は「あーつまらん」が口癖となっていた。
当たり障りなく真面目に生活する事もできず、先生の言うことも聞けない。
風当たりはどんどん強くなり、居場所も無く、保健室で時が過ぎるのをただ待つだけ。そんなことが多くあり、本当に廃人のようで「あー自分って何の努力もできないダメ人間なんだなぁ」と他人事のように嘲笑していた。
そんなこんなで社会で揉まれて何とか生きてきた私も、一人の母親となった。
子どもと過ごしていると、ふと、学生時代に愛読していた漫画「赤ちゃんと僕」(作者:羅川真里茂/出版社:白泉社)の実(ミノル)が可愛くて可愛くて、年の離れた弟が欲しい!!と主人公の拓哉を心から羨んでいたことを思い出した。
弟では無いけれど、娘だけど、あの漫画の実(ミノル)のような存在が目の前にいる事実に、「夢が一個叶っているぞ」と思え嬉しくなった。
それを機に、娘を通して、自分の過去を振り返ることが多くなった。
子どもは好奇心の塊で、何にでも興味深々。真剣に夢中になって遊ぶ。
うちの娘はYoutubeのゲーム実況を好んで観ていた為、実際にゲームをさせてみると、水を得た魚のようにあれよあれよと操作方法をマスターした。
歌を唄ったり、踊ることも好きで、動画で動きを覚えては披露してくれる。
気づくと彼女の中には「好き」が溢れている。
何かを習得する時は「まだできない自分」と必ず直面することになる。
あまりにも出来ない自分が悔しくて、永遠にこのままなのではと途方に暮れ、「好きの灯」が消えてしまいそうになることがある。
灯が消えてしまう原因はきっと向かい風だけでは無い。
子どもの心の中でゆらゆらと輝くロウソクの灯はとても不安定で、
ちょっとした風でも消えてしまうかもしれない。
はたまた、そんなロウソクがあることすら自覚できていないかもしれない。
一番最悪なのは、"自分で灯を消してしまうこと”だ。
ロウソクの灯は私たちの心を照らし、真っ暗になってしまった時には、道に光を灯してくれる。
大事に大事に守っていかなければならない。
私は過去、自ら灯を消していたことに気がついた。
でも間に合った。芯がしっかり残っていた。
今は灯から大きな炎へと変わり、メラメラ燃えている。
誰かの失敗は、誰かの教訓となって生かされる。それでいい。
君のロウソクはママが守るよ。と言ったら変な顔をするんだろうな。
そんな本日24時半。
おやすみなさい。