[裁判例紹介:憲法]ヘイトスピーチ
1.概要
[裁判年月日]大阪地判令和2年1月17日
[判断事項]ヘイトスピーチ対処条例の合憲性
[結論]ヘイトスピーチ対処条例は表現の自由に反せず合憲である。
[関連法規]憲法21条
[司法試験重要度ランク]B
2.事案
大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例(以下、本件条例という。)2 条は、「ヘイトスピーチ」(以下、条例HSという。)を次のように定義する。すなわち、①その表現の目的がⓐ人種若しくは民族に係る特定の属性を有する個人(以下、特定人という。)又は当該個人により構成される集団(以下、特定集団という。特定人と併せて特定人等という。)を社会から排除すること(条例2条1項1号ア)、ⓑ特定人等の権利又は自由を制限すること(同1号イ)、又はⓒ特定人等に対する憎悪若しくは差別の意識又は暴力をあおる目的が明らかに認められること(同1号ウ)のいずれかに該当し、②その表現の内容又は表現活動の態様がⓐ特定人等を相当程度侮蔑し若しくは誹謗中傷するものであること(同2号ア)、又はⓑ特定人に脅威を感じさせ、若しくは、表現等の対象が特定集団であるときは、当該特定集団に属する個人(特定人)の相当数に脅威を感じさせるものであること(同2号イ)のいずれか に該当し、かつ、③不特定多数の者が表現内容を知り得る状態に置くような場所又は方法で行われるものであること(同3号)と定義する。
同条例は、学識経験者等で構成される大阪市ヘイトスピーチ審査会(以下、審査会と記す。)を設置したうえで、大阪市内等で行われた条例HSについて、市長が審査会の意見を聴取しながら表現内容の拡散防止措置を採るとともに、当該表現活動が条例HSに該当する旨、表現内容の概要、採った拡散防止措置、及び当該表現活動を行った者の氏名又は名称を公表するものと規定する。
Xは、平成25年に大阪市内で行われた「2月24日韓国国交断絶国民大行進in鶴橋」と称するデモの動画を含む一連の動画(以下、本件動画という。)をインターネット上の動画サイトにハンドルネームで投稿して不特定多数の者による視聴ができる状態に置いた(以下、本件表現活動という。)。本件動画には、本件デモ参加者が「不逞犯罪ゴキブリくそちょんこ、日本からたたき出せ。」、「殺せ、殺せ、朝鮮人」等の発言を繰り返す様子が撮影されていた。市長は、本件表現活動が条例HSに該当する旨、特段の拡散防止措置は取らない旨、及び本件表現行為者のハンドルネームを公表した(以下、本件公表いう。)。
本件は、大阪市の住民である原告らが、大阪市長に対し、本件条例が憲法13条、21条1項に違反し無効であるとして、監査請求を経て住民訴訟(地方自治法242条の2第1項4号)を提起した。
3.判旨
(1)合憲性判断枠組み
憲法21条1項の保障する表現の自由は、民主主義国家の政治的基盤をなし、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであり、法律によってもみだりに制限することができないものである。しかしながら、表現の自由といえども無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けることがあり、その制限が前記のような限度のものとして容認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられる。
(2)あてはめ
ア.規制目的
(ア)特定人に対する誹謗中傷の防止
本件各規定のうち、特定人を相当程度侮蔑し又は誹謗中傷する表現活動(前記②ⓐのうち特定人に係るもの)につき、市長が拡散防止措置等を採るものとする旨定める部分は、特定人に対して当該特定人の属する人種又は民族に関して侮蔑し又は誹謗中傷する表現活動が前記①の目的及び前記③の場所等で行われることを抑止することをもって、当該特定人の名誉を保護することを目的としているものと解されるところ、現代社会においては、人(当然のことながら日本人を含む。)が特定の人種や民族に属することは、当該人の人格の根本を形成するものであることも考慮すると、この規制の目的は、合理的であり正当なものということができる。
(イ)特定集団に対する誹謗中傷の防止
本件各規定のうち、特定集団を相当程度侮蔑し又は誹謗中傷する表現活動(前記②ⓐのうち特定集団に係るもの)につき、市長が拡散防止措置等を採るものとする旨定める部分は、特定集団に対して当該特定集団に係る人種又は民族に関して侮蔑し又は誹謗中傷する表現活動が前記①の目的及び前記③の場所等で行われることを抑止することをもって、当該表現活動が拡散されることや当該表現活動と同等又は類似の表現活動が反復継続等されることを通じて、当該人種又は当該民族に対する偏見、差別意識、憎悪等の感情が温存、醸成、助長、増幅等されることや、さらには、これらの感情が当該人種又は当該民族に属する個人(特定人)に対する当該人種又は当該民族に関する侮蔑又は誹謗中傷や暴力行為へと進展することを抑止することを目的としているものと解される。
本件条例制定当時、大阪市内において特定集団を侮蔑し又は誹謗中傷する表現活動が反復継続して行われたり、当該表現活動を拡散する行為が複数行われたりしていた。大阪市人権施策推進審議会は、特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的な言動が、人々に不安感や嫌悪感を与えるだけではなく、人としての尊厳を傷つけ、差別意識を生じさせることにつながりかねないものであるとの認識を示していた。また、このような表現活動が反復継続等された場合には、当該人種又は当該民族に対する偏見、差別意識、憎悪等の感情が温存、醸成、助長、増幅等され、これらの感情が当該人種又は当該民族に属する個人(特定人)に対する当該人種又は当該民族に関する侮蔑又は誹謗中傷や暴力行為へと進展することも容易に想定される。加えて、現代社会においては、人が特定の人種や民族に属することは、当該人の人格の根本を形成するものであることや、人種による差別を禁じた憲法14条の趣旨も併せ鑑みると、本件各規定のうち、特定集団を相当程度侮蔑し又は誹謗中傷する表現活動(前記②のうち特定集団に係るもの)につき、市長が拡散防止措置等を採るものとする旨定める部分に関する前記①及び②のとおりの規制の目的は、合理的であり正当なものということができる。
(ウ)特定人に対する脅威を感じさせる表現活動の防止
本件各規定のうち、特定人に脅威を感じさせる内容又は態様等の表現活動(前記②ⓑ)につき、市長が拡散防止措置等を採るものとする旨定める部分は、特定人に対して当該特定人の属する人種又は民族に関してその生命、身体又は財産が具体的に侵害されるとの脅威を感じさせるような表現活動が前記①の目的及び前記③の場所等で行われることを抑止することをもって、当該特定人の私生活の平穏等を保護することを目的としているものと解されるところ、私生活の平穏は個人にとって重要な利益であるから、この規制の目的は、合理的であり正当なものということができる。
イ.制限の態様・程度
本件各規定に基づく拡散防止措置等は、表現の内容に関する規制を伴うものであるものの、拡散防止措置等により条例ヘイトスピーチについて規制を必要とする程度は高く、また、拡散防止措置による表現の自由に対する制限は、表現活動が行われた後に、要請に応じなかった場合に制裁を伴わない拡散防止措置や、当該表現活動を行った者の氏名を把握しているウェブサイトを管理するプロバイダ等に対する当該氏名の開示を義務付ける規定を伴わない認識等公表を行うといったものにとどまり、しかも、市長が拡散防止措置等を採るに先立ちこれが合理的なものであるか否かについて、学識経験者等により構成される附属機関に対する諮問が予定されている。
そうすると、本件各規定に基づく拡散防止措置等は、公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限であるということができる。
(3)結論
本件各規定は表現の自由に対する制限として容認されるものであるというべきである。
4.解説
本判決は、結論としては本件条例を憲法21条1項に反せず合憲としてる。本判決の特徴としては、条例HSを㋐特定人に対する誹謗中傷・㋑特定集団に対する誹謗中傷・㋒特定人に対する脅威を感じさせる表現活動の3つの類型に分類して検討している点が挙げられる。学説上は、これらのうち㋐㋒に対する規制については、個人の名誉という個人的法益を保護するものとして合憲となりやすいが、㋑に対する規制については慎重論がある。しかし、本判決については、㋑に対する規制についても、3(2)ア(イ)記載の通り、規制目的の合理性・正当性を認めた点に特徴がある。