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失くしものの行く末

すこし前、銭湯に櫛を忘れた。祖母からもらって20年近く使っていたものだ。父ゆずりの頑固なくせっ毛も、そのツゲの櫛でとかすと綺麗になる気がしていた。銭湯に電話をかけて探しに行ったけれど、もうどこにも見当たらなかった。

思えば忘れもの、失くしものの多い人生だ。買ったばかりの服を電車に忘れる、お気に入りの傘をカフェに置いてくる、旅行をすればピアス、文庫本、充電器、パスポート、あらゆるものをホテルのテーブルやらベッドやらに置き忘れる……。それらは落とし物として管理室に届いていたり、あるいは永遠にどこかへ行ってしまったりした。


だけれど、大切なものが手元から消えてしまったとき、私は悲しむのと同時に、なんだか少しウキウキしてしまうところがある。

その元にあるのは、むかし読んだある絵本だ。

子どもの頃、母が「フェリックスの手紙」という絵本を買ってきた。

主人公・ソフィーは、旅行先でお気に入りのウサギのぬいぐるみ「フェリックス」をなくしてしまう。悲しみにくれるソフィーの元に、ある日1通の手紙が届く。差出人は、なんとフェリックス。ロンドン、パリ、エジプト、ニューヨーク。フェリックスはソフィーの知らないところでひとり世界中を旅していて、旅先からせっせと手紙を書いてよこす……そんな物語だった。

封筒から手紙を取り出せるしかけの付いた絵本で、私は毎晩封筒を開いてフェリックスの手紙を読みながら、行ったこともない国の風景に心を躍らせた。フェリックスは最後までソフィーの元へ戻ってはこないのだけど、「ひとりで楽しくやっているよ」というメッセージは幼い私を少なからず前向きにさせた。

そうか、どこかに置き忘れてしまったもの、なくしてしまったものたちは、知らないところで私の知らない世界を旅しているのか。それもこんなに楽しそうに。

私は今でも、そう信じている節がある。

銭湯に置き忘れた櫛の旅は、きっとこんなところだろう。

真っ暗なロッカーに置き去りにされてしばらく経った頃、また扉が開いて光が差し込み、隣にドサリと鞄が置かれる。櫛はその中にするりと滑り込む。数十分後、湯上がりの女性はなにも気づかず、鞄に荷物を放り込む。外に出て、自転車のカゴに鞄を乗せて走り出す。櫛はがたがたと揺られて、あるマンションの一室にたどりつく。

その家には、小さな女の子がいる。母親の鞄の中に見知らぬ櫛を見つけ、それはさっそく彼女のおもちゃになる。人形の髪をとかしたり、自分の髪をとかしたり。櫛は毎晩、おもちゃ箱にしまわれる。ままごとセットの野菜やら、ぬいぐるみやら、たくさんの新しい友達ができる。

ある朝、女の子は人形と櫛をリュックに入れ、家族みんなで旅行へ出かける。各駅停車で数駅、それから新幹線で2時間、特急列車で1時間、そこからまた各駅停車で30分の長旅だ。櫛はリュックの中で揺られながら、耳慣れない発車メロディや駅名のアナウンスを聞く。駅弁、スナック菓子の匂い。缶ビールを開ける音。久しぶりの外の世界だ。

家族が小さな駅のホームに降り立ったところで事件は起きる。女の子がリュックをあけた拍子に、櫛は隙間からするり滑り落ちる。誰も気づかない。乾いたコンクリートに、櫛はひとり横たわる。電車が去って、あたりは静かになって、日が傾いていく。

そして誰かが櫛の体を持ち上げる。そのままゆったりと歩き、駅員室のドアを開けて、硬い木のテーブルの上、「落とし物」と書かれた箱の中に櫛を入れる。そこにはハンカチ、ピアス、財布、いろんな仲間たちがいる。「どこから来たの?」駅がひっそりと静まり返ったあと、一箱に集められた落とし物たちはわいわいとおしゃべりを始める……

書いていたら、なんだかほんのり怨念っぽいというか、じっとり不穏になってきてしまった。でもきっとそんな感じで、意外と元気に(?)やっているんだろう。

今までに失くしてしまったものたちは、それぞれがこうやって世界のどこかに散らばって、それぞれの旅をしているのだろう。秋の夜長はこんな妄想がはかどる。

いつかひょこっと帰ってくるかもしれないから、まだ新しい櫛は買わずにいようと思う。たまには手紙のひとつでも送ってくれたらうれしい。


(「フェリックスの手紙」は、調べてみたらだいぶ前に絶版になっているようです。悲しい)

「ソファでわたしは旅をする」は、"空想の旅"がテーマの共同マガジンです。


あしたもいい日になりますように!