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私のクストフ

シンガーソングライター 寺尾紗穂さんの歌う『クストフ』という曲がある。

僕らは旅に出たんだ まるで思いつきの旅に
見るのは果てない夢さ そうだろう
どうしてかな今ごろ 君のやさしさが温もりになって
空を見上げてわかった もう時が過ぎたこと 穏やかな日に
(寺尾紗穂「クストフ」)

「僕」は「君」と無計画な旅に出たことがあって、それはどうやらずっと昔の話で、今は過ぎた日々をただ思い出すだけ。そんな歌だ。

私はこの曲を、寺尾さんの配信ライブで初めて聴いた。静かなピアノのイントロにすーっと誘われて、最後までパソコンの画面に釘付けで聴き入った。ほかの曲もすばらしかったけれど、『クストフ』には際立って惹きつけられるなにかがあった。

「この感覚を知っている」と思った。聴きながら、旅先で出会ったある人のことを思い出していた。

22歳の初秋、私はラオスのルアンパバーンという街にいた。コンビニで立ち読みした旅行雑誌に載っていた「東南アジアの桃源郷ルアンパバーン」という一文と、夕焼けに染まる街並みの写真を見て、その日のうちに1週間後の航空券を予約した。衝動的な一人旅だった。

彼に出会ったのは、たしか2日目の朝だったと思う。

たまたま立ち寄った路上のカフェでアイスコーヒーを飲んでいるときだった。ふと目線を先にやると、男性が一人で、塀にペンキを塗っているのが見えた。背中にびっしょりと汗をかきながら、もくもくと壁を青く塗っている。することもないので、私はその様子をぼーっと眺めていた。少し経つと彼は振り向き、私の視線に気づいて手を止めた。そうして自然と会話が始まった。

彼はコウという名前で、私と同じ22歳だった。「そこのゲストハウスで働いてるんだ」と塀の向こうの建物を指差す。流暢な英語は、日々観光客とコミュニケーションをとる中で磨かれたものだという。「日本語の勉強をしようとしたこともあるんだけど」と、ペンをとりだして手のひらに「あ」と書いて見せてくれた。「難しすぎて挫折したよ」

一通りお互いに自己紹介をしたあとで「今日は何をする予定なの?」と聞かれ、何も決めてないと答えた。「近くにいいサウナがあるから連れてくよ。15時にここで待ち合わせで良い?」とコウは言った。

私たちはその日、昔からの友達だったみたいに一日を過ごした。バイクに二人乗りで小さなサウナ小屋を訪れ、そのあとはカフェに立ち寄り、ひたすらおしゃべりをした。「今夜友達とディスコに行く予定なんだけど、来る?」と誘われ、夜にまた待ち合わせをした。彼の幼なじみのノック、その恋人のアニーが合流し、4人でディスコ(というかビアガーデン)へ繰り出した。瓶ビールを1ダース注文し、だらだらと飲みながらときどき音楽に合わせて踊った。ホテルに帰ってきたのは夜中の1時を過ぎた頃だった。

「また会える?」という約束はしなかったが、会わないほうがむしろ不自然だった。次の日も、その次の日も、コウは連日どこかしらに私を誘った。ビアバー。カフェ。地元の人向けのマーケット。サンセットの見える丘。私はバイクの後ろに乗ってどこへでもついていった。

ある夜は、コウの家族も交えた夕食に誘われた。コウは自作のスープをボウルに入れて運んできてくれて、私が口にすると「どう?」と落ち着かない様子で感想を尋ねた。トマトとパイナップルが入った甘酸っぱいスープで、「すごくおいしい」(本当においしかった)と伝えると何度もおかわりをよそってくれた。

私たちは毎日一緒にいた。ノックとアニーが加わることもあったし、ふたりきりのときもあった。いつも遅くまで遊び歩いていたから、ルアンパバーンの名物である早朝の托鉢(道を歩く僧侶にお供え物をする行事)はついに一度も見られなかった。

何も計画せずに身一つで来た私にとって、コウがいろんな場所、それも観光客はなかなかたどり着けないであろう場所に連れていってくれることは、身も蓋もない言い方をするなら“都合がよかった”。彼にもまた別の下心があったかもしれない。ただ、純粋に、彼と一緒にいるのは居心地がよかった。

私がつたない英語で伝えようとすることを、彼は驚くほど正確に汲み取ってくれた。言い回しが浮かばずに言い淀むと、彼はよく「つまり君は〜〜と思っているんだよね?」と先回りした。「まさにそう言いたかったの」と何度言ったかわからない。そして彼が言おうとすることも、私は同じように理解できた。

出会って数日の他人とは思えなかった。彼といると、言語というフィルターを通さずに、魂同士が直接会話をしているような錯覚を覚えた。

「俺ゲストハウスで働いてるけど、本当は旅行者って嫌いなんだよね」

ある日コーヒーを飲みながら、コウはふと漏らした。その言葉の真意は計りかねたけれど、少なくとも私は彼にとって「旅行者」ではないのだと理解した。


そうして1週間が過ぎた。帰国の日が近づいていた。

その日もコウとノック、アニーと一緒にビアバーに行った。しばらく飲んだところで、ノックは私を見て「もうすぐ日本に帰るんだよね?」と言った。それは「君とコウはこの先どうなるの?」というニュアンスを含んでいた。

私たちは核心に迫る話を何もしていなかった。「そんな真剣なものではない」と思っていれば楽だったからだ。少なくとも私はそうだった。そのときも、「私が帰ってもまた新しい旅行者が来る」というようなことを口にした。

コウはしばらく黙っていたが、グラスに残ったビールをぐっと飲み干すと、いつもより語気を強めて「君はいつもそうだ」と言った。「いつもそうやってはぐらかしてばかりだ」

それから軽く言い合いになった。「俺は何度も伝えてきたつもりだ」とコウは主張した。「君の考えていることがよくわからない」とも言った。そんなの私にもわからなかった。この先をどうするのがいいのか、私は何もわからなかった。

「君はいろんなところを旅行していろんな人と出会って、人間をわかった気になってるかもしれない。でも、真剣に人の気持ちと向き合おうとしたことなんて一度もないんだろ」

最後に彼は私の目を見て言った。反論する言葉を、私はひとつも持ち合わせていなかった。それはもう悲しいほどに図星だった。


一人で帰りたかったけれど、「この時間に一人でタクシーは危ない」とノックに止められ、結局いつものようにコウのバイクの後ろに乗った。

走り出してから私たちはずっと黙っていた。もうすぐこの街を離れるということ。さっきのコウの言葉。彼はいま何を考えているのか。私はどうしたいのか。いろんな考えの断片が頭の中を回る。ただ夜がびゅんびゅんと両脇を通りすぎ、ときおり強い風が吹いた。

すると次の瞬間、ノックが突然大声をあげた。

「スコールだ!」

大粒の雨がボタボタと顔をたたいたと思ったら、あっというまに目も開けられないほどの嵐になった。雨が吹きつけて、Tシャツが体にべったりと張り付く。滝の中みたいな暗闇をバイクは走り続ける。稲妻が光る。

私たちはもう、黙ったままではいられなかった。コウが笑いながら叫び声をあげ、ノックとアニーもそれに続く。私も堪えきれずに笑った。遠くで雷の落ちる音がした。

「ねえ!」

嵐の中で、コウは前を向いたまま叫んだ。

「結婚しようよ!」

私も叫んだ。

「うん、そうしよう!」

私たちは雨粒を浴びながら笑い続けた。このままどこまでも走っていけそうだと思った。


コウと私は、離れてからもしばらく電話やメッセンジャーで連絡をとり続けた。

「君と一緒になるために、ゲストハウスの手伝いじゃなくて、もっと稼げる仕事に就こうと思う。実は子どもの頃から空港で働きたいと思ってた。だから最近、管制官を目指して勉強を始めたよ」

コウはある日電話でそんなことを言った。けれど彼はもちろん東京へ来ることはなかったし、私もそれっきりラオスへ行くことはなかった。私たちは若く、周りには楽しいことが山ほどあった。結局はその程度だったのだ。

メッセージのやりとりは毎日から3日に1回になり、1週間に1回になった。月に3万円(当時はLINEの無料通話なんてなかった)だった電話代は、数ヶ月後には月5000円に戻った。そうして長い時間が経った。

コウからふたたび連絡が来たのは、それから3年が過ぎた頃だった。

「久しぶり」「元気?」と短いメッセージのやりとりをしたあとで、彼は「今年結婚するんだ」と言った。ご丁寧に彼女とのツーショットまでついてきた。「おめでとう」と私は送った。

少し間が空いて、また1枚の写真が送られてきた。肩章とバッジのついた、何やら仰々しいシャツを着たコウが写っている。そのあとにはひとこと「管制官になったよ」とあった。


『クストフ』の作曲の背景について、インタビュー記事で寺尾さんはこう語っている。

「クストフ」も、恋の話ではないんですけど、南京大学に短期留学していた時に出会ったドイツ人の男の子がいて。一緒に揚州まで旅をした時のことを、10年くらい経って思い出した時に、なぜか泣いちゃって。別に彼に恋してたわけでもないんだけど、そういうすごくキラキラした時間があって、それが過ぎ去ったということに関してなぜか涙がこぼれて、できた曲です。

出典:【インタビュー】寺尾紗穂、新作『たよりないもののために』で歌う“目には見えない世界”

曲名の『クストフ』は、その男性の名前だそうだ。

「『クストフ』に恋をしていたわけじゃない」。その言葉はきっと本当なのだろう。

恋ではなかった、と私も思う。旅の高揚を恋だと錯覚した。それだけのことだ。あれから何年も経った。季節はめぐり、時は過ぎた。また会いたいとは思わないけれど、きらきらしたあの数日間がもう手が届かないほどに遠くにあることを思うと、ちょっとだけ泣きたいような気持ちになる。私は歌を作れないから、こうしてだらだらと書いている。私のクストフ。どうかずっと幸せに、元気でいてくれたらいいなと思う。


「ソファでわたしは旅をする」は、"空想の旅"がテーマの共同マガジンです。この話は事実とフィクションを混ぜたものです。


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Chihiro Bekkuya
あしたもいい日になりますように!