ことばで世界を編集すること、との出会い/長野まゆみ「少年アリス」
はじめに断っておくと、私はこの本のストーリーを少しも覚えていない。登場人物の名前がかろうじてわかるくらいだ。だけど、この本に出会っていなかったらこうやって文章を書いていなかったかもしれないなと、ふと思うのだ。
小学5年生のときだった。帰りの会で、2ヶ月に1度の「図書新聞」が配られた。図書新聞は、ざらっとしたA3わら半紙のプリントで、図書委員が交代でつくる学級新聞のようなものだ。(図書委員は大抵、じゃんけんで負けた子がやっていた)
その中に、図書委員がおすすめの本を紹介するコーナーがあった。先生の声を遠くに聞きながら黙々と読み進めていると、6年生の誰かが紹介していた『少年アリス』というタイトルが目にとまった。
なんとなくそのタイトルが気になって、放課後、図書室で『少年アリス』を借りた。最初のページをめくってみると、はじまりはこんな一文だった。
睡蓮の開く音がする月夜だった
ぶわっと、足元から鳥肌が立つみたいな衝撃を受けた。
世の中にはこんなふうに世界を捉える人がいるのか。
文章というのは、写実的な描写だと思っていた。見たものを見たままに書くという方法しか知らなかった。だけどそのとき初めて、ことばによってできあがる世界があることを知った。もちろん、当時はそんなふうに言語化はできなかったけれど。
睡蓮の開く音がする月夜。睡蓮の開く音なんてもちろん聞いたことがないけれど、私もそんな月夜に出会ってみたい。水晶をのぞいているみたいな透明な世界観に、11歳の私は一気にかっさらわれてしまった。そして、こんなことばを書いてみたいと思ったのだ。
***
ことばで世界を編集できるというのは、希望だ。現実を見つめる解像度をひたすら上げていっても苦しいだけだから、現実から一歩外れたところで、ことばによって物語を紡ぎ出せることは希望だ。そして、私は希望のためにことばを使いたいなあと思う。
『少年アリス』に出会っていなかったら、こうやって文章を書いたり、していなかったのかもしれないなあ。
月がきれいな夜は今でも、睡蓮がすうっと開いてゆく景色がふと頭をよぎる。
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