カナルカフェ日記 その2
今年の夏は暑い。とにかく暑い。7月に入ってから毎日続く蒸し風呂のような天気が続いていた。
結局、関東は例年より11日遅い8/1にやっと梅雨明けしたと発表されたが、どおりで7月の初旬は暑かった。
朝に家を出て5分も歩かないうちに汗が噴き出す毎日だった。
今日は朝から小雨が降ったりやんだりしているが、そのせいでよりいっそう蒸している。
7月の最初の土曜日の昼下がり、今日もまた、カナルカフェに向かっている。知り合いの女性とお茶をする約束をしているのだ。
デパートで働いているらしいが、詳しくは知らない。
自分より3、4歳年上の女優の井川遥に似ている人だ。
最近あった失恋の愚痴を話す相手として、呼び出された。まあ、ひとの話を聞くのは好きだし、取材がてらと思い了承した。向こうも誰かに話したいのだろう。ただ、あまり遅くならないように夕方までには切り上げようと思っていた。愚痴も少量のうちは聞いていて面白いが、量が過ぎるとこちらまで気持ちが浸食されてしまう。
15時にカフェの入り口で待ち合わせをしていたのだが、雨が降っていて歩くのがいつもより遅かったせいか数分遅れそうだった。スターバックスのある角の交差点で信号をしばし待つ。
ようやく青になって渡り始めた。風がよく通る場所なので傘が若干風にあおられた。握っていた右手に少し力を入れながらなんとか横断歩道を渡り切った。
どうやら彼女はまだ着いていなかったようだ。
ほどなくして携帯にLINEが入る。5分ほど遅れてくるようだ。
先に列に並んでおこう。
この夏のテラス側のレジのオペレーションは最悪だった。空いているテラス席がたくさんあるのにもかかわらず、レジでの行列がすぐに通りまで溢れかえり、見込み客をだいぶ取り逃していたと思う。まあ、そんなこと僕が心配することではないのだけれど...
ほどなくして彼女が現れた。
「こんにちは、お待たせしてごめんなさい。」
夏らしい白地に赤とピンクの花柄のワンピースという恰好で彼女は階段の上に立っていた。
「こんにちは。僕も今来たところなので大丈夫です。」
実際、約束の時間前に着いたのは随分ひさしぶりのことだった。
「雨なのに、ごめんなさいね。」
「ええ、本当ですよ!いやいや、冗談です。A子さんこそ雨の中、わざわざここまでありがとうございます。」
「総武線で一本だから意外と近いのよ。」
「それは良かった。まだ3密は避けないと、と思ってどこが良いかな、って思ってたんですけど、やっぱりカナルカフェかな、と思って。」
「久しぶりに来たけど、うん、私もここ好き。」
「ここは雨も似合うカフェですからね。」
そんなやりとりをしていたらレジで買う番がやってきた。
「プリン食べましょう!ここのプリン、すごく美味しいので。」
「じゃあ、そうしましょう。」
会計をSuicaで済ませ、テラス側の奥の方にある屋根があるエリアに二人とも腰をおろした。
「で、今日はどうしたんですか?ゆっくり話聞きますよ。」
「もー、ちょっと聞いてよ!」
そんなドラマの台詞で始まるかって思わずツッコみたくなるように彼女は話し始めた。
どうやら最近何度かデートしていた男性から、急に「もう、会えない。」と言われたとのこと。
「あらら、何があったんですか?」
「私が聞きたいよ!ちょっと前まで凄く良い感じだったのに。とても紳士で、話が面白くて、優しくて、格好良くて...」
そんな素敵な男性じゃ、競争相手も多いことでしょう、と心の中で思ったが、そんな野暮なことは言わない。
「どうしたんでしょうね。もっと詳しく聞かせてくださいな。」
「私が一方的だったのかなあ...」
確かに彼女には平均的な女性よりも一方的な度合いが強いような気がする。
まあ、今更そんなことを言っても始まらないから、とにかく詳細を聞き出すことに専念した。
「でもね...」
少し離れた席に大学生7、8人がおり何やら騒がしい。どうやらみんなで競馬を賭けてラジオで実況を聞いているようだ。
「いけ!いけ!いけ!いけ!」
真ん中にいる若い男がこぶしに力を入れながら叫んでいる。
回りの他の友達もそれに釣られて盛り上がっていた。
よく見ると女の子も3人ほどいる。
そちらに気を取られ、彼女の話が全然頭に入ってこなくなってしまった。
「ちょっと騒がしいですね。」
と苦笑するしかなかった。
「若いって良いわね...」
「A子さんだって若いじゃないですか。なんなら混ざってきても良いですよ。」
「若い人の邪魔をしちゃ悪いから遠慮しておく。」
そう答えた彼女の顔はまんざらでもなさそうだった。
もう一度大学生の集団の方を見やった。
ふと集団のさらに奥に、なんとも目立つオーラの顔の濃い男性が目にとまった。
本を読んでいるようだった。
大学生の集団の騒がしさと対比的に静かに本をめくった姿が印象的だった。
「その彼、素敵だったんでしょうが、ちょっともう難しいかもしれませんね。」
ふと、彼女の方を見てそう伝えた。
「やっぱり、そう思う?ダメかな?」
「うーん、あまり期待持たせる返答はできないので。ダメだと思う。」
「えー!悲しいなあ。」
「また、話聞きますから。夏はこれからですし、何か良いことありますよ!」
「ありがとう。優しいのね。」
「時間だけはありますから。」
雨がカナルカフェの池の水面を静かに揺らしている。
あの静かに本を読んでいる男性に、また会うだろうという予感がした。
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