おばちゃんの胴回りはなぜ大きくなるのか、私なりの見解
先日、通ってるスタジオのホットヨガで動きながらふと考えた。
おばちゃんの胴回りはなぜ大きくなってしまうのか、について。
インストラクションする側ではない、インストラクターに言われるがまま体を動かす側とはいえ、ヨガ中に邪念ありすぎである。
本来自分の体や心だけに目を向けるべき時間に、全くもって外に気が向きすぎる、無駄極まりない時間。
でも、横のおばちゃんも、後ろのおばちゃんも、
胴回りがやたらデカいのだ。
食べ過ぎて、とか運動不足で、とかで全身が大きくなってるのとはまた違う。
なぜか胴回りだけアンバランスに大きくなってる。
なぜだ、その不自然なサイズ感はなぜ起こる?
そうなると、気になって仕方ない。放っておけない。
バストもそこそこ大きい、
でもそのアンダーバストはさらに大きい。
カロリー摂り過ぎてるから、とか
コレステロール値だとか中性脂肪が高いだの、
代謝が落ちてるからとか、運動不足だからとか。
はたまた姿勢が悪いからでしょ、とか
便秘気味だから、とか。
なんていうか、それって一現象だったり、
ある面から見た見解でしかないような気がして
そうじゃなくって、なんだろな、何かあるんじゃないか。
ひたすら一人自分の中で考えながら、シャバアーサナの時間になって
仰向けになって、ふと今朝から痛かった私の右肩、
右の肩甲骨周りだけやたら床を押してることに気付き
床を押し過ぎてる箇所に手をそっと入れて、そしてそっと抜いたら
床に対して出しゃばり過ぎてた右肩が本来のポジションに戻ったようで
右肩が軽くなった。
で、気付いた。
おばちゃんの胴回り、出しゃばり過ぎてるんじゃなかろうか、と。
意識が外に向きすぎて、外側のことばかり気にし過ぎて
何なら自分のこともケアしきれてないのに、周りのことばっかり気にし過ぎて
胴回りがどんどん外側に出しゃばっていってるんだ、と。
行動や言動が自分軸から外れて、どこか周りの評価基準になってしまっていたり、
周りへの奉仕心が強いあまり良かれと思ってやってることにどこか無理があって、結果的に自分のストレスになってしまっていたり。
どんどん出しゃばって膨らんだ胴回りに、あらまスペースが出来たわ、これならまだまだ入るわ、てな感じで中身が詰まっていってるんじゃなかろうか、と。
と、同時に、その前日に会った美しい友人を思い出した。
彼女は、5人の子どもがいて
家事も育児も自分のことも、傍から見てもそれはそれは完璧にこなして
恐ろしく忙しい毎日を送っているにも関わらず
信じられないくらい顔もプロポーションも美しいひとで、
そして彼女の胴回りは、ものすっごく細かったことを。
美意識、とかっていう言葉で片付けてしまうことは簡単だけど
それだけじゃない。
彼女の素敵なところを突き詰めて考えていくと、
行動や言動のすべてが自分軸なのだ。
「自分が」見た目も味も美しいものを食べたいから、料理の手を抜かないし
「自分が」心地よく暮らしたいから、掃除や片付けも丁寧さを忘れないし
「自分が」そういう自分でいたいから、美容にも手を抜かない。
インスタ映え、とか、周りからそういう母親に、女性に見られたいから。
とかではなく、
自分がどうありたいか、が全て。
内観することが得意、というより自分の求めているものを常に見つめるのが当たり前で
その内観した結果がすべての判断基準。
整体を施術する側となって、体と心の繋がりは絶対に無視できないものだとつくづく感じるようになった。
体は、体つきはその人のひととなりで、そのときどきの気持ちや思考に大きく影響される。
ダイエットプログラムやセルフケアを伝える中で、効果が出やすいひとと、なかなか効果が出ないひと。
何が違うのか、分からなくてずっと考えてた。
意思の強さとか、やる気とか、そんなこともあるんだろうけど、
今回ふと気付いた、胴回りの大きくなる原因についてを基準に考えてみたら
それ以前に、キレイになりたいな、痩せたいな、の「気」や「意識」が自分発信であるかどうか、というところは大きくあるような気がしてる。
今回のコロナ禍で、コロナ太りなんて言葉をよく聞いたけど、ひょっとしたらこんなところも原因にあるんじゃないのかな。
自分がこうしたいから、自分がこうありたいから、
を言動の判断基準に、いつも以上にしづらくなってた数ヶ月。
周りの状況や発言に、不本意でも合わさざるを得なかったことで、内観する感覚が奪われ、
いつも以上に周りに気を払っていたらサイズ感変わってしまった。
なーんてことが、あるんじゃないかな。
だから、ただカロリー制限したり、ジョギングしたりしても今ひとつ効果出ない。
なーんてことが、あるんじゃないかな。
考えれば考えるほど、そんな気がして、
一時的にそんな風に外に意識向きまくってた私の胴回り、久々に見たら前より膨れてた。
あかん、もっと内観すべく瞑想しよう。