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勉強を「する」じゃダメ|「勉強の合間に生活する」を実現する考え方

こんにちは!べべです!

僕は毎日勉強ばかりしている人間で、「勉強の合間に生活する」なんて狂気的な言葉を体現してしまっておりますが、だからといって「勉強が大好き!」というわけではないです。

嘘つけ!と思われるかもしれませんが、僕は真の意味で「勉強好き」ではないと思うんです。

何か目標や理想があって、それを達成するために「勉強したい!」という方は多いと思いますが、勉強そのものが楽しくて「勉強したい!」という方は少ないと思います。

勉強という行為が楽しくて、むしろ勉強するために目標を探しているという方は、僕の知る限り「東大医学部の神脳」と称される方くらいです笑

ですが僕は、後者のような、真の意味での「勉強好き」に憧れてしまいました
その状態が、自分を成長させるためには最も良い状態なのではないかと。

なので僕は、勉強そのものが「楽しい」という状態を模すために、勉強そのものが「苦じゃない」という状態を作ろうと努力してきました。

今回の記事では、その努力の過程で得た考え方を二つ、ご紹介していきます。


「勉強の合間に生活する」を実現する方法

①勉強を「する」じゃダメ

僕の経験上、勉強は「始める」ときに最もエネルギーを使います。
だからこそ、勉強とそれ以外の生活との隔たりをできる限り無くす必要があると思うんです。

そうは言っても「始める」という行為自体は、とても大切にするべきだと思います。その行為を通して、自分はこれから努力するということを実感できますし、心の中で「よしやるぞ!」と思える時間を作ることは、モチベーションの向上にも繋がる感覚があります。

しかし、根底にある意識の部分においては、勉強は「する」ものではなく、「している」ものでなくてはならないと思っています。

スポット業務のように、または一つのコンテンツを消費するように「やらなきゃ」「やりたい」という思いをきっかけに取り組むものだと意識しているうちは、勉強は他の「やらなきゃ」「やりたい」ものと同等のものでしかなく、他の「やらなきゃ」「やりたい」を邪魔する、紛れもない「苦」です。

そうではなく、SNSでのやりとりのように、または好きなお菓子を食べるように「やっている」「やってしまう」という思いをきっかけに取り組むものだと意識していれば、勉強は何気ない生活の中に当然に存在する行動になり、それは「苦じゃない」ものになります。


そんな風に考えられるわけないよ!と思いますよね。

実は、誰でもこの考えには至れるんです。

考えてみてください。

皆さんはなぜSNSを触ってしまうのですか?
どうして好きなお菓子があると食べてしまうのですか?

きっと「手っ取り早く、確実に幸せになれる」と、膨大な経験によって知っているからですよね。

だったら、勉強をすれば「手っ取り早く、確実に幸せになれる」と思える経験を、大量に自分に与えれば良いんです。

例えば、大人数での飲み会の前日に、飲み会で盛り上がる話し方に関する本を読んだら、付け焼き刃の知識だけれど、それなりに盛り上がったとか。

海外ドラマの英会話をワンシーンだけ丁寧に勉強したら、そのシーンだけは何を言っているか聞き取れるようになったとか。

さらに言えば、他の行動への評価を相対的に下げるというのも良いと思います。

例えば、スマホの電源を切って2時間集中して本を読んだら、その内容がとても深く理解出来て、スマホゲームを2時間やるよりもよっぽど良い時間の使い方をしたと満足できたとか。

試験勉強は苦しかったけれど、試験に受かった途端、周りから「凄い」「羨ましい」「優秀だ」と評価された上に、収入も上がったから、無駄な時間を過ごすくらいなら勉強した方が幸せになれるような気がしてきたとか。

どんなことでも良いので「勉強すれば幸せになれる」という感想を自分に抱かせる経験を、たくさん自分自身に与えてください

「暇だから勉強する」という感覚が、少しづつ理解できるようになるかもしれません。


②勉強を神聖視しない

多くの方が「勉強は苦しい」と思っているために、勉強をするということ自体を神聖視するような価値観が、広く根付いている印象があります。

これ実は、勉強したい人にとって、あまりにも厄介な世論なんです。

勉強することは目標達成の手段の一つにしか過ぎないのに、勉強するという行為だけで他人から褒められてしまう

勉強した結果として何が得られたか、何を自分に残せたか、何を周囲に還元できたかが大事なのに、その過程の時点で周囲から評価を受けることができてしまうから、何の結果も得られなくても、何も自分に残せなくても、何も周囲に還元できなくても、大層なことを成し遂げたような気になってしまう

その結果、勉強しているフリに容易に甘んじることができてしまうんです。


ではどうすれば良いのか。

勉強の目的を、他人軸で考えずに、自分軸で考える。
こうすれば解決できます。

他人軸で考えた目的とは「他人から評価を受けること」に帰着します。
収入を上げたい。異性にモテたい。上司に好かれて出世したい。

他人からの評価ばかりを糧にしていると、おそらく当人の勉強へのモチベーションはどんどん下がります。
なぜかというと、色々言い訳をして勉強をしなかったとしても「勉強しようとしてるだけで十分偉い」なんて言葉が世の中にはありふれているために、ある意味で勉強を全くしていなかったとしても、当人の勉強の目的は達成できてしまうからです。

一方、自分軸で考えた目的とは「自分で自分を評価すること」に帰着します。
自信をつけたい。自由になりたい。騙されたくない。

人が唯一嘘をつけないのが自分です。
そして自分の成長への投資は、際限がない上、絶対に無駄にならないものです。
色々言い訳をして勉強をしなかったら、自分の目的は何一つ達成できずその罪悪感から周囲からの評価なんて意味を成しません

ですが、人が唯一感情を制御できるのも自分です。
自分だけでも勉強を神聖視せず、ただの手段と捉えて、勉強している自分を凡庸に評価する
ただ結果だけを見据えて、自分を制御して、淡々と努力する。

ひたすら自分を磨けば、他人からの評価は自ずとついて回ります。

英語の勉強をしていると自慢げに話すのではなく、街で困っている外国人に流暢に道案内する。

Excelの勉強をしていると言いふらすのではなく、後輩のミスを素早く手直ししてあげる。

こっちの方がかっこいいと思いませんか?


まとめ

今回は「勉強の合間に生活する」というマインドを実現するために必要なこととして「勉強を「する」じゃダメ」「勉強を神聖視しない」という二つの考え方をご紹介しました。

長くなりましたが、それぞれ一言でまとめると、
「勉強を「する」じゃダメ」⇒ 勉強が幸せを呼ぶ経験を積もう
「勉強を神聖視しない」⇒ 勉強の目的を自分軸で考えよう

ということになります。

今回の記事を見て、参考にできるものがあれば嬉しいです!
それではまた次の記事でお会いしましょう!

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