鎮痛剤シップ
昨日義母に、鎮痛剤入りシップを貼った。
ここ数日、義母は「痛い、痛い」とよく言った。
又、いつものと思ったが、今回は痛みを抑えるシップを外科でもらっていた事を思い出した。
前回、貼ったとは思うがなかなか効かないので、冬だった事もあり温めたりしていた。
なので、そのシップの存在は封印していた。
が、暖かくなり又「痛い」と言う義母に「湿布貼る?」と何気なく聞いたら母は、「貼ってもらおうかね」と言うので貼ったら、翌日「痛くないと」喜び足車なしであるき始めた。
そんなに効くのか、こちらが驚いたくらいだった。
そんな時、ふと自分の祖母の事を思い出した。
祖母は、今生きていたら101歳になる。
新潟に生まれた祖母は、貧しい家の子だった為、名古屋の方に奉公に来た。
私が覚えてるのは、昔流行った、[おしん]という番組で、貧しかったおしんが、食べていた大根飯のシーンを見て「大根飯が食べれるだけ幸せだ」と言ったことだ。
母から話しを聞くと、祖母は、名古屋に来ると子供が、4人いる商売屋さんの、お手伝いさんとして雇われる事になり、そこの奥さんが早死にすると、その店主(わたしの祖父)と結婚して、商売をしながら、前妻の子4人と自分の子3人と計7人を育てあげてくれたとの事だ。
その間には、奉公人が自分の母親になる事になると言う事で、前妻の子供達からのいじめは、酷かったらしい。
私が、知っているその方達はとても優しいおじさんおばさんになっていた為、その間の祖母の苦労のたまものだと今更実感する。
そんな祖母も、晩年は、お金には、恵まれなかったものの、次男夫婦と孫達に囲まれ、こちら見ると(なかなか義叔母は、厳しかったとのこと)幸せそうだった。
ただ、80歳に近づくと骨粗鬆症が酷くて骨が「ガサガサと背骨が崩れる音がした」と聞いてから、小さくなっ祖母は、「痛い痛い」と言っては、私の家業を休み休み手伝ってくれていた。
そんなある日、母が、「おばあちゃん来てない」と電話で聞かれ来ていなかった為、みんなが探して見つかったのは、川の中だった。
色々な苦労を乗り越えて、ようよう時間が出来、ひ孫達と会うのを楽しみにして来てくれていた矢先にどうしてと思った。
ある人が、「色々苦労は耐えれたけど、あの背中の痛みが酷くて耐えれなかったのかもね」と呟いた人がいた。
本当の事は、祖母でなければ分からない
が、もし義母の湿布が祖母に効いたらと思うと、義母が「痛くなくなった」と言う声が、祖母の喜びの声のようで嬉しく思えた。
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