見出し画像

どう思われるかなんて幻・マボロシ

私の人生52年。
こうやって文字にしてみると、えらく長い年月に思えてしまうけど
でも実際は、あっちゅー間の半世紀でした。

子供の頃の私からすれば、50歳の女性はもう「おばあさん」
みたいなイメージ。
それに、もっともっとしっかりしている大人の女性。

で、その年齢になってみた私はというと・・・
見た目は「おばさん」くらいで勘弁してもらうとして^^;

中身は?
いやー、いつまでたっても中身は子供。
永遠の女子高生レベルなんじゃないの?か。。。

紆余曲折あるたびに、そこそこ努力はしてきた上でこのレベル。
だから、まあ、それはそれで私なんだから仕方がないかー、と
気負うことなくそんな自分を楽しんでいます。

んでもって

私がこれだけは気をつけていること

それは

私は何がしたいのか。
私はどんな人生を送りたいのか。
私はどう在りたいのか。


ことあるごとに、自分の気持ちの中に潜り込んでは
このフレーズを問いかけるようにしています。

昔、他人にどう思われるかを気にして、良い人でありたかった私が
特に辛かったのが姑・小姑関係。

そして悩みに悩んだ末、私の出した答えは
「私はこれ以上でも以下でもないので、あなた方の思い通りには動きません」というものでした。

長男の嫁だから?しきたり?常識?

なんやねんそれ!

表立っては争いたくないし平和主義な私だから
聞き分けのいいふりをしていましたが
本当は理不尽に感じることばかりで
心の中ではいつもブチ切れていた私。
(向こうの考え方が間違っているというのではなく
単に私とは考え方や好みが違うというだけのこと)


自分の想いを表現するのは、それはそれは怖かったですよ。
でも、うわべだけ取り繕ってその場は丸く収まったように見えても
結局いずれまた同じような障害が勃発するんです。

潜在的な存在の自分から
本当にあなたはそれでいいの?
あなたの人生はそんなもんでいいの?

そう、課題のように次々と
まるで問いかけられているように。

だから「私は私を生きる」と決めて
「私はこれ以上でも以下でもない」
人生変革の最初のステップがそこからでした。


そうです。そうなんです。

自分の人生は自分で決めたらいいんです。
って言うか、自分で決められるのですよ。


人はそれぞれに育った環境が違うので常識も人によって様々。
時代背景が変わるだけだって常識自体が大きく変わりますからね。

人と人との価値観が違うのは当たり前なんだし
自分の価値観を押し付けることもできないし
相手の価値観に従う義務もない。

どんな時でも常に対等だということ。

自分の感情(本音)を抑え込んでまでして相手に合わせることと
思いやりをもって接することとは意味が違います。

自分の本音を抑えてまでして他人に尽くすのは
その人に悪い人と思われたくないという気持ちが隠れているから。

そんなことを繰り返していると
生きるのが苦しくなってしまいます。

だって、本当の自分で生きていないから。


自分の意見を言って「どう思われるか」で判断するのではなく
自分がどうしたいかで決めることが大事です。

そのために乗り越えなければならないことが発生しても
それは「自分自身を生きる」ために必要な出来事。

たとえその人から嫌われたとしても
じゃあ、その人が自分の人生に
どれだけの良い影響を与える人なの?って考えてみてください。


それに、自分が想像しているほど
他人は「なんとも思っていない」

だからとりあえず、自分の思っていることは伝えてみる。
できそうもないこと、嫌だなと思うことは断ればいい。

もちろん喧嘩腰に言うのではなく
真摯にお断りしましょう。


で、何か言われたらその時考えればいい。

他人がどう思うかなんて
実際言ってみなければわからないじゃないですか?

伝える前の時点での想像なんて幻マボロシでしかありません。

そんな幻に怯えている人がなんと多いことか。

でもね、結局
自分の思う通りに行動している人ほど
人間関係は良好だし、人生の悩みは少ないです。

自分の人生は自分で創れる。
誰かのいいなりになるなんてもったいないよ。
ちょっと勇気がいることかもしれないけど
自分の人生の舵は自分で取ろう♫
その方が絶対絶対楽しいから〜。


FB:https://www.facebook.com/kurihara.aya
Instagram:https://www.instagram.com/kurihara_aya/?hl=ja
onlinesalon:https://lounge.dmm.com/detail/2584/
line@:https://lin.ee/CnbB9Te


いいなと思ったら応援しよう!