子育てをして思うこと
私は24歳で娘を、27歳で息子を産みました。
今52歳の私から見れば、24歳27歳はなんという子供だろう・・・
そう、思ってしまうほど、子供が子供を育てていたような状況だったと思います。
当時は今のようにネットで検索、なんてことはできませんでしたから
育児のことは母からアドバイスをもらうか育児書を参考にするか。
でも、途中からその育児書には違和感を感じ始めるのです。
人はロボットじゃないんだし、こんな本の通りなんて行かないよ!
っていうことが多くなり、本に書かれているようなことは参考程度に
あとは、自分の母性としての感覚を信じるようにしました。
母親とは不思議なもので、男の人にはわからない
微妙な子供からのサインが手に取るようにわかるのですね。
だから、夜中にかなりの揺れのある地震があっても目が覚めない私でも
子供のほんの小さな声には気がつき目が覚めるんです。
これは「守る」ものができた母親に神様が与えてくれた感覚なのでしょう。
でも、この感覚があったからこそ、事故を未然に防げたことは
たくさんあったと思います。
そんな子供たちも今では娘は27歳、息子は25歳になりました。
娘は美容師として働いていましたが、今はアイリスト兼フリーのヘアメイクとして、息子は19歳でアメリカへ留学し、今もLAに身を置き
夢に向けて驀進中です。
私自身、最終学歴は短大卒。
私が若かった頃は、高学歴・高収入・高身長の3高という言葉が
流行ったほどいわゆる学歴社会で、
有名大学に進学=給料の高く安定した会社に就職できる
みたいな常識がありました。
そんな環境で育った私たち世代が親になれば
やはりその名残を引きずって子育てをする環境が残っていました。
だから子供たちを小学校や中学から私立の学校に受験させることも
特に都心に住んでいると当たり前な節がありました。
さらに、元夫は小学生から国立の学校に通っていた人なので
その友人仲間は当然エリートが多く、そのお子さんたちも
有名私立中学や高校に進学していましたから
我が家もそこを目指すことは自然の流れだったように思います。
あとは、私自身学歴コンプレックスがあったので
子供たちにはそんな思いを抱かせないように、との思いもありました。
【中学受験は親の受験でもある】とも言われ(今でもそうなのでしょうか?)
子供との二人三脚で志望校を目指すのが当たり前とされていました。
まあ、そうですよね。小学3年〜4年生の頃から塾通いが始まるので
そこには親の力量は大いに関係すると思います。
ただ、子供とはいえ志望校に入るための熱意があるお子さんは
親にいちいち言われなくても進んで勉強に取り組みますし
そういう子供が志望校に合格するものです。
当たり前と言っては当たり前。
そもそも子供たちは受験の意味とか、出世の意味など知りませんから
どちらかというと、親の概念で受験するパターンが多いため
親の希望と子供の希望することが一致しない時
受験で潰れてしまったお子さんも何人か見てきました。
娘の時は、わりとスムーズに要領よく受験をこなしていましたし
勉強に関して私からいろいろ言うまでもありませんでした。
ただ、大学付属の学校だったにもかかわらず
途中からやりたいことが明確となり
大学へは進学せず専門の道へ進みたいと言い出したので
学歴社会を信じていた私は「なぜ大学へ進まないのか?」ということで
喧嘩になるような言い合いもしました。
でも将来に対する娘の展望が非常に簡潔にまとまっていて
なるほどと思わせてくれたこともあり
その想いを信じようと思いました。
おかげさまで、娘が選んだことの方が正解でした。
この時、親の概念で子供の人生を決めつけてはいけないと
心に深く思ったのです。
逆に息子は、受験に関しては色々苦労をしたタイプ。
スポーツが得意だったので、文武両道で有名な学校に入ったものの
厳しすぎる校則に生き辛さを感じ
途中から原因不明の高熱を出すようになり
それがきっかけで、わたしも息子の気持ちに気づくことができ
辞めさせようと決めました。
周りからすれば、そのまま残れば高校受験はないし
スポーツ推薦で有名6大学にも行くことは約束されていたような
環境でしたし、辞める時期としても高校受験にはとても不利な時期だったのでなぜ辞めさせるのか?もったいないと思わないのか?
周りが言うくらいだから、学歴信者で高学歴の夫が許すはずもなく
猛烈な大反対しかありません。
「なんでそんなわがままを許すのか」と相当夫からは詰られました。
でも私は母親として息子の心とからだを守ることを最優先にしたかった。
だから誰の指図も受けず息子と話し合い、辞めさせる選択をしたのです。
もったいないっちゃもったいないですよ。
塾代や入学金、制服や部活など、公立に比べると相当なお金もかけてきたし
受験に関してはそれなりに苦労もしてきましたから。
私立中学を辞めたのは中学3年の夏休み。
高校受験には非常に厳しい時期でもありました。
なので、高校受験に対するプレッシャーも
当然のことながらあったわけですが・・・
これ以上続きを話すと果てしなくなるので割愛させていただきますが。
まあ、何が言いたいかというと、私にはこの二人がいてくれたおかげで
いろんなことを学ばせてもらったと思っています。
たとえ子供であっても、子供が選択することに対して
それが一般常識とはずれていることであっても
一人の人間として、その想いを尊重することが大切だと。
「一般常識って美味しいんですか?」って思う私でさえも
そこには親として、かなりの辛抱が付いてきますが。
常識とは、自分が生きてきた中での経験から得たことであって
子供たちの世界観とは全く違うし、親の言うことが正しいなんて
言えないと思っています。
逆に、親の常識によって、子供の可能性を潰してしまうことだってありますからね。
それに、私もそうでしたけど、たとえうまくいかなかったとしても
経験しなきゃわからないこと、納得できないことって、たくさんあるでしょ。
さらに今は時代の流れが相当早くなっているから
もう私達の知らない世界を子供たちのほうが先に
見聞きするのは当たり前の時代だとも思うんです。
そんな状況で、子供たちが思い描いている世界のことを知らないくせに
あーだこーだ言えないと思っています。
私自身も離婚を決意した時くらいからは
損得勘定で動くことの愚かさを知ったし
自分が納得できないことには手を出さないし
他人の目も気にならなくなったし
やってみたいと思わないければやらないし。
嫌なことはすべて辞めようと決められるようになったのも
子供たちから学ばせてもらった気がします。
結婚した当初、私の人生は穏やかで淡々と過ぎていくと信じていました。
それが幸せの形なんだと。
ですが、蓋を開けてみたらどうでしょう。
本当の自分に気づかせられるような出来事が、わんさか起こりましたし
かなりドラマティックに生きていると自負しています(笑)
という経験者から言わせてもらうと
安定はしているけど淡々とした毎日を過ごすよりも
波はあってもドラマティックな人生を過ごせたことのほうが
宝物をたくさん得ることができたなと思っています。
それはなぜかというと、そこにはチャレンジがあり
そのチャレンジから大きな感動を受け取ることができるからです。
しかもその宝物は、上手くいかなかったことから得られることのほうが多い。
だから子供たちにも言ってます。
損得ではなく、好きなことを優先させるように、と
幸せと感じる基準は人それぞれ。
親が感じる幸せと子供が感じる幸せは同じではありません。
進む道を決めるのは子供本人です。
その中で私が親としてできる最大限のサポートをしてやりたいと思っています。
栗原文、ただいま52歳。
これからもどんなドラマが待ち受けているのか
ワクワクしながら過ごしています。
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