革命の詩
フェイスデザインという方法で、
顔のシワやむくみを少しずつ改善させた私は、
これは革命に近い!!
と、陳腐な台詞を吐きそうになりましたが、
ちょっと待って。
革命といえば・・・本来の意味は、
政権交代とか、支配階級をくつがえすことであるから、
今ある価値観をひっくり返す、という点では、
「革命的」と表現され、使われるはず・・・
と、思考が別のところへ飛んでいきました。
これを美の革命、と言う前に、
革命そのものに、引きずられていったのです。
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革命、と聞いて、まず私が思い出すのは、
十代の頃に読んだ、マヤコフスキーの詩です。
かつてのロシアの革命詩人、エセーニンに宛てた
「セルゲイ・エセーニンに捧ぐ」という詩では、
亡くなったセルゲイへの想いが込められていて、
それは、より革命的だと、感じたものでした。
行進せよ!
時が
背後で
弾丸(たま)と弾けるように
(鹿島保夫訳)
この詩の一節は、
当時、頭のなかばかりで考えすぎていた、
私にとって、まさに革命的な言葉でした。
行進せよ、というのは、
行動せよ、あるいは、
ただ進め!
という意味で使われていると受け取ったからです。
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こんなふうに、
フェイスデザインの体験は、今の私にとっての革命でもあるよな・・・
そう思ったことは、革命とその後の時代を生きた詩人を、
思い出すことにつながりました。
同時に、
革命そのものへの認識を、ひっくり返してくれた、
もう一つの歴史的な事件をも、思い出させてくれたのでした。