月明かりの夜、星はどこへ行ってしまうのだろう?
ネパールの夜道は、日本の夜道に比べると随分と暗い。
ネオンが少ないし、それ以前に街灯も少ない。
夜道をバイクで走るとき、住宅街の路地は真っ暗で、ポンコツスクーターの頼りないヘッドライトと窓から漏れるわずかな灯りが頼りだ。
首都のカトマンズや第2の都市と言われるポカラでもそうなんだから、ちょっと都会から離れた村なんて、街灯の『が』の字すら見つからない。つい数年前まで、電気が引かれてない村は珍しくなかった。
電気が来たとはいえ、山の斜面にポツポツと点在しているだけの村の家の明かりは、道を明るく照らすことはない。
夜になると、私は懐中電灯なしに村の道を歩けない。
真っ暗で、どこまでが道でどこからが畑かわからない。うっかりすると畑に落ちてしまいそうになる。
けれども満月の夜は違う。
満月は日本のそれよりも大きく明るく道を照らす。
私が歩くのに十分なほどに。
星を隠すのに十分なほどに。
降ってきそうなあの空満天に広がる星々は、満月が登ってくると同時にどこかに行ってしまう。
そして、その輝く光は、夜道を明るく照らし出す。
満月の夜道がこんなにも歩きやすいことを、夜の間消えることのない街灯のある街で暮らしてきた私は気がつかなかった。
そして、月の光で星が消えてしまうことも知らなかった。
「月が出ると、星って見えなくなるんだね」
とネパール人に言うと、何を今更といった怪訝な顔をされた。
満月が輝く夜には星は見えない。
そんなことは村人にとっては当たり前のことなのだ。
同じ時代に同じ地球に住んでいるのに、私たちの見ている景色は違う。
彼らに見えるものが私には見えなくて、私が見ているものが彼らには見えない。
でも、私たちの目を眩ませているものや、曇らせているものを一つひとつ取り除いていったなら、同じ景色が見えるのだろうか?
いや、人ひとりの人間が同じ人間でない以上、どこまでいっても、きっと、全く同じ景色が見えることはないのだろう。
それでも、きっと、いろんな余計なものを排除していけば、世界はもっとシンプルでわかりやすく、民族や宗教が違っても、分かり合えることが増えるような気がする。
【text by Chikako from Nepal 】