ヒンズー教と仏教の原風景Ⅹ
以下に書くことは、仏教の専門家からすると厳密でもなく、私の理解で書いたのでツッコミどころ満載ですが、難しい専門用語を使いたくもなく、平易に仏教の初期の話を書いてみました。申し訳ない。お断りしておきます。
●釈迦の生誕と入滅年、仏教興隆時代と三百年違う
「ヒンズー教と仏教の原風景Ⅵ」で、釈迦の生誕と入滅年を書きました。いろいろな説があります。
(1) BC.566年-486年(高楠順次郎説)
(2) BC.565年-485年(衆聖点記説)
(3) BC.564年-484年(金倉圓照説)
(4) BC.466年-386年(宇井伯寿説)
(5) BC.463年-383年(中村 元説)
(6) BC.624年-544年(東南アジア圏にて採用されている説)
いずれにしろ、今を遡ること2,500年前のことです。その頃のインドを想像してみましょう。釈迦は仏教の開祖ですが、アショカ王(在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)の時代という仏教がインド全土、今のパキスタン、スリランカまで席巻した2,200年前と釈迦の生きていた時代は違います。
●アヴァターラとアバター
釈迦の生きていた時代のインドはヒンズー教(バラモン教、今のヒンズー教ではない)の時代。ヒンズー教徒(バラモン教)は、釈迦をヴィシュヌ(ヒンズー教の最高神の一人)の「アヴァターラ(化身)」と信じています。ヒンズー教徒だけでなく、スリランカの仏教徒のほとんども釈迦はヒンズーの神の一人と信じています。ダシャーヴァターラ(ヴィシュヌ神の十化身)として知られる最も重要な十の化身の最も新しい九番目の化身という存在だと伝わっています。インドの人々にとって、釈迦はヒンズー教徒なのです。
話は違いますが、ジェームズ・キャメロンの大ヒット映画「アバター」ってありますよね?「アバター(avatar)」の語源をご存知でしょうか?
アバターは、皆さんご存知、ネットワーク上のコミュニケーションサービスで、利用者の代役となるキャラクターのこと。語源は、サンスクリット語の「アヴァターラ(Avatāra)」です。ヒンズー教のヴィシュヌ神は十のアヴァターラを持っています。釈迦は、ヒンズー教ではヴィシュヌのアヴァターラとされています。
●ヴィシュヌ神の十のアヴァターラ
ちなみに、ヴィシュヌ神の十のアヴァターラは、
1) マツヤ 半魚、半人の化身、アバター、キャラ
2) クールマ 亀の化身、アバター、キャラ
3) ヴァラーハ 猪の化身、アバター、キャラ
4) ナラシンハ 半獅子、半人の化身、アバター、キャラ
5) ヴァーマナ 小人の化身、アバター、キャラ
6) パラシュラーマ 斧を持ったリシ聖仙の化身、アバター、キャラ
7) ラーマ 神話『ラーマーヤナ』の主要なキャラ
8) クリシュナ 神話『マハーバーラタ』の主要なキャラ
9) ブッダ 仏教の主要なキャラ
10)カルキ 翼の生えた白馬とともに現れる最後のキャラ
です。ブッダも壮大なヒンズー世界ゲームの主要キャラの一つです。
「アヴァターラ(Avatāra)」の意味は、1)神が天から降臨すること、2)神が地上に現れた姿、ということです。ゲーマーがゲーム上に降臨してアバターと化しているようなことですね。
ヴィシュヌ神に限らず、さまざまなヒンズー教の神々が、アバターとして、この世に降臨、キャラとして地上に現れた姿をとる、ということになります。
この世(ゲームの世界)から超越した世界から超越者(ゲーマー)がその似姿(アバターのキャラ)に憑依して、この世(ゲームの世界)をプレイする、みたいな話です。
●三百年以上のギャップと仏教経典の編纂
アバターで話がそれましたが、ブッダの生きた時代と、仏教の最初の興隆期のアショカ王(在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)の時代とは、三百年のギャップが有る、ということを覚えておいて下さい。ブッダ個人の生きた時代と仏教という宗教体系が存在した時代は違います。
その三百年の間に何があったか?というと、口伝(口頭での伝承)で伝えられていた仏陀の教えを整理整頓して、書籍として残そうという動きがありました。それが、仏教経典の編纂です。そのために、結集(仏教経典の編集会議)が四回開かれました。
ブッダの死後、教団の内部に意見の違いがあらわれたため、ブッダの教えを正しく伝える必要が生じ、伝えられた説法を整理して統一を図る必要が生じた。そのために行われた仏典の編集作業を結集といい、1)ブッダの死の翌年に教団の長老たちが集まった第一結集、2)約百年後の第二結集、3)アショーカ王の時代に第三結集が行われたと伝えられている。次いで4)クシャーナ朝のカニシカ王の時に、第四回目の仏典結集が行われた。
これらの結集の結果、仏教経典の体系ができあがり、経蔵(ブッダの教え)、律蔵(仏教徒の戒律)、論蔵(仏教の理論的研究書)の三種類に分けられた。これをあわせて三蔵という(蔵は籠の意味)。また、この過程で、保守的な長老たちの解釈と、進歩的な一般信徒の解釈の違いも明らかになり、上座部と大衆部の分裂が起きてくる。
「第一結集」というのは、キリスト教で言えば、キリストの教えを直接聞いた十二使徒が聖書を作ったようなものです。ブッダを直接見て声を聞いた弟子が作ったものが「第一結集」の仏典。耳打ち遊びの最初の人です。まだ、耳打ちの内容はそれほど間違っていない。
「第ニ結集」は、仏陀入滅百年後。ブッダに会ったこともなければ、声を聞いたこともない人達が編纂した仏教経典。キリスト教で言えば、キリストの生きた時代から後に生まれた使徒パウロが書いた新約聖書の一部ですね。耳打ち遊びの次の人。耳打ちの内容はだんだん変わってきます。
「第三結集」は、仏陀入滅ニ百年後。もう耳打ちの内容は、聞き違えのレベルに達しています。
「第四結集」は、南伝では、紀元前一世紀、スリランカのヴァッタガーマニ・アバヤ王(紀元前89~77)の治世に、スリランカのアルヴィハーラ石窟寺院にて、五百人の比丘(仏僧)を集めて第四結集が行われたとされる。仏陀入滅四百年後です。
●スリランカの南伝仏教と結集
サンスクリット語というのは、ラテン語みたいなモノ。バラモンとか王族のような上層階級が使っていました。古典語です。現在のインド・スリランカの方言の元となっています。そして、キチンとした文法体系を持った文語です。
それに対して、パーリ語というモノもあります。これは俗語。話し言葉と捉えてもいい。そして、第一結集、第ニ結集の言葉もパーリ語です。紀元前三~四世紀頃の北インドの言葉が聖典用語のパーリ語として用いられてきました。
スリランカのお経は、パーリ語で祈られます。シンハラ語とかタミール語ではありませんし、サンスクリット語でもない。つまり、第一結集、第ニ結集の時代の経典ですから、ブッダからの耳打ちの内容はそれほど間違っていないはずです。
スリランカの仏教は、南伝仏教と呼ばれます。北インドから南下して伝わった仏教です。ミャンマーやタイの仏教もスリランカからの南伝仏教に起因しています。これが小乗仏教、上座部仏教と言われている元祖になります。
次回は、南伝仏教があるなら、北伝仏教もあるだと、ということで、北伝仏教のお話と、インドの仏教の衰退、ヒンズー教の興隆、密教、タントラときて、やっと、スリランカでの神々の憑依現象、というお話をします。