第4話、紀元前47年、古代ローマの身分/奴隷制度と寿命
第4話、紀元前47年、古代ローマの身分/奴隷制度と寿命
人口10万人当りのローマ帝国における平均余命表
出典:Wikipedia ローマ帝国の人口学
登場人物
アルファ :純粋知性体、Pure Intelligence、質量もエネルギーも持たない素粒子で構成された精神だけの思考システム。出自は酸素呼吸生物。
ムラー :フェニキア人奴隷商人、純粋知性体アルファのプローブユニット
森絵美 :純粋知性体アルファに連れられて紀元前世界に来た20世紀日本人女性、人類型知性体
アルテミス/絵美:知性体の絵美に憑依された合成人格、ヴィーナスの二卵性双生児の姉
ヴィーナス :黒海東岸、コーカサス地方のアディゲ人族長の娘、アルテミスの二卵性双生児の妹
紀元前47年、古代ローマの身分/奴隷制度と寿命
「ムラー、この小説、いつ本編が始まるの?いつまでウンチクを続けるのよ?」
「あのな、絵美、この話は、異世界転生物の荒唐無稽な世界を書くわけじゃない。異世界転生物ならなんでもありだ。貨幣価値とかも説明しなくて良い。適当にビール一杯、銀貨5枚とか書いていれば良い。それって、500円くらい?それとも750円?なんて想像をしなくてもいい、奴隷の相場だって適当でいい、娼婦の身分なんて説明しなくてもいい」
だが、この話は、クレオパトラ7世が歴史を変えちまって、お前の元の世界が消えてなくなるのを止める話なんだ。
かめはめ波で敵をふっ飛ばせば済むって話じゃない、塩野七生の『ローマ人の物語』を読んだって、書いてないことがたくさんある。あれを読んでも紀元前1世紀のローマ、エジプト社会は想像できない。
だから、しつこく、補足編で読む人間がわかるように普通の古代ローマ社会を説明するんだよ。塩野先生は、小説でローマの水道橋で上水道をサラッと説明したけど、どう使ったのか?なんてわからんだろう?大小便はどうしたのか?なんて想像つかないだろう?
遠目に見ればコバルトブルーの古代オリエントの地中海が、実は大小便垂れ流しで、港の周囲は茶色く濁っていた、なんて塩野先生は書いてないだろう?
「わかったわよ。それじゃあ、ムラー、私とヴィーナスのこの世界での立場ってどうなの?」
「立場ぁ?そうだな、俺の奴隷で、妾ってことかなあ」
「奴隷で妾ですって?冗談じゃないわ。私達はあなたの性奴隷にはなりません」
「俺がおまえらを性奴隷とか思っているわけじゃない。だが、この古代ローマ社会では、中途半端な身分など存在しない。国家に属する人種人類がすべて国民という社会じゃないんだ。王族・貴族と平民で構成されるローマ市民がお前の生きてきた20世紀では国民に当たる。それが全人口の3分の2だ。残りの3分の1は奴隷とそれ以下だ」
奴隷は、ローマの行政府発行の値段入り証文付きで登録されていて、持ち主がいる。旦那様ってわけだ。旦那様の意志で他の旦那様に売り払うこともできる。その奴隷がよく働いてくれたと旦那さまが思えば、旦那様の好意で最終の証文の5%を払って、自由民にできる。彼女彼らを開放するということで、解放奴隷身分になる。自由民となった元奴隷には不完全市民権が与えられたが、解放奴隷の息子はローマの完全市民権を得ることができた。
でもな、奴隷は解放によってローマ市民となったが、この解放奴隷の初代は社会的に蔑視されただけでなく、法的にも低い地位にあった不完全市民権の持ち主だ。解放奴隷の子は自由人として生まれた者であるから、その代になってはじめて完全に市民として認められた。だが、それでも奴隷の血を引くということが、人間関係において汚点としてつきまとったってわけさ。
ローマ人が解放奴隷を市民の中に受け入れたのは、かれらが奴隷に対する寛大な態度を生来身につけていたからじゃない。ローマ人の家族構成のためだ。
奴隷は解放されて自由民となっても、元来は政治的に無権利で、法的にも貴族たる家長やその実子たちより地位の低い庇護民(クリエンテス)のグループに入った。
身分の分化が進んでいない、氏(うじ)族制的な集団を基礎としていた社会では、解放奴隷の属すべき場所は他になかった。元の旦那様のサポートグループ家族ということだ。解放奴隷は、最下級の市民で、土地のない市民と一緒に、都市区へ登録された。
「酷ひどい社会ね」
「人類は有史以来、酷ひどい社会ばかりを構築してきたんだ。できるだけ食える階層を増やそうとしてだ。古代ローマばかりが酷い社会ってわけじゃない。20世紀になってやっと全人類の飢餓人口が減ってきて、食うためだけじゃなくても生きていける員数が増えたから、人権だとか男女平等だとか言えるようになっただけの話だ」
20世紀以降で、大多数の人口が食えなくなったら、あっという間に古代ローマ社会に逆戻りになるだろう。だからあまりこの社会に対して20世紀の道徳観、倫理観を振り回すんじゃないぞ」
この社会を理解するためには、社会の経済状態、その結果の貧富の差、食物の差、医学的清潔度を理解しないとダメだ。それによって、平均寿命、平均余命も変わってくる。平均寿命とは、0歳の人間の平均余命のことだ。平均余命とは、ある年齢の人々があと何年生きられるかいう期待値のことだ。
俺がお前の時代の日本のデータベースを漁ったところ、この紀元前1世紀の共和制ローマの平均寿命は、なんと、男女合わせて24歳だった。もちろん、人間が24歳でみんな死んじまうわけじゃない。中には長生きするヤツもいる。生まれてすぐ死んでしまう死産も多い。それらを平均して24歳ということだ。
この時代、0歳児の死亡率は33%。つまり、100人産まれたら、1歳まで生き延びる男女は67人ということ。死亡率は、10歳で5%くらいまでに下がっていく。10歳まで生き延びれば生存率が上がる。もちろん10歳になったら、同時に産まれた100人中、もう50人は死んでいる。そして、10歳以降、また死亡率は上がっていって、20歳で8%になる。20歳で生き残っているのは、45人。40歳で生き残っているのはたった30人。それまでに70人は死んでいるってことだ。
近世以前の社会は多産で大家族制度と言われている。それは家族内労働力の確保とかで納得しているが、違うんだ。
20世紀の社会では、合計特殊出生率が2.3人を切ると人口減少が始まると言っているが、ありゃあ、あくまで20世紀の乳幼児死亡率と平均寿命をもとにした数字だ。20世紀は、乳児死亡は250人に1人、新生児死亡は500人に1人の割合だ。
古代社会では、1歳までの乳児と新生児死亡は、3人に1人の割合。高年齢出産など医学が発達していない時代で、女性が子供が産めるせいぜい40歳までに生き残っているのは、100人中30人。
つまり、合計特殊出生率が5~7人くらい以上じゃないと、人口が減少してしまうことになる。20世紀の定義では、合計特殊出生率は、15歳から49歳までの女性の年齢別出生率を合計したものだが、古代では、初潮の始まる妊娠可能な12歳ぐらいからアラサーぐらいまでの女性の年齢別出生率の合計が5~7人くらい以上でないと村の人口が減っちまうということになる。
もちろん、所属する社会階層の経済状態、その結果の貧富の差、食物の差、医学的清潔度で、合計特殊出生率は変わってくる。王族・貴族や富裕層なら、合計特殊出生率は多少低くても人口は減らないだろうが、貧富の差があっても、医学が発達していない時代だから、1歳までの乳児と新生児死亡が3人に1人の割合ってのはあまり変わらなかっただろう。
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